2月4日はワールドキャンサーデー。31歳で乳がんを発症、乳房を失う。「なぜ私が」と思ったけれど、東日本大震災で運命と受け入れた

2024年2月4日(日)9時0分 婦人公論.jp


絵手紙部門入選『あなたの分も生きていきます』 齊藤紘子(さいとう・ひろこ)さん

2月4日はワールドキャンサーデーです。世界中の人が、がんに関する意識を高め、知識を増やし、がんに対して行動を起こすことを目的として、各地でさまざまな取り組みを行っています。がんサバイバーの方の作品と思いを紹介した記事を再配信します。
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がんと告知された時の不安、がんと共に⽣きる決意、そしてがんの経験を通して変化した⽣き⽅など、⾔葉だけでは伝えきれない想いを絵画・写真・絵⼿紙で表現する「場」があります。がんサバイバーの方の思いが詰まった作品を紹介します。

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まだ30代になったばかり…なんで私が?


私が乳がんと診断されたのは31歳の時でした。30歳頃から片方の胸が大きくなってきて、単純に喜んでいました。しかしある時、胸にしこりを感じ病院で検査を受けた所、2週間後に乳がんの告知を受けました。なんで私が?ガン家系でもなく、まだ30代になったばかりなのに!

自分が乳がんになってしまったというショックで頭がいっぱいでしたが、それを受け入れられないまま、あっと言う間に入院、手術を受け、私の片方の胸はほとんどなくなってしまいました。

私はリンパ節転移もしており、抗がん剤治療を受けました。副作用がひどく、やっと動けるようになった時に次の抗がん剤を打つ、その繰り返しで、回を追う毎に体へのダメージも蓄積されていきました。

自然災害の無情さを目の当たりにして


副作用で苦しむ中、周りの友人は結婚、出産ラッシュ、友人の幸せそうな話を聞く度に、私は独身で乳がんになってしまい惨めな気持ちでした。そんな鬱々とした日々を過ごしていた2011年3月。突然の大地震が起こりました。

東日本大震災でした。それまで日常を過ごしていた人々が、自然災害で一瞬にして命を奪われてしまう無情さ。
そんな人達がたくさんいるのに、私は31歳で乳がんになってしまって悲しみに暮れていたけれど、それでも今生きている。これってどういうことだろう?と悩みましたが、もうそれが運命だと思うしかない。

それならば、今乳がん治療中でも生きていられることに感謝しよう。頑張って生きようと思えました。抗がん剤治療を終え、放射線治療と、半年間の治療期間を終え、その後ホルモン治療も済み、手術から12年経った今も元気に生きています。

それから毎年のように東日本大震災の慰霊キャンドルナイトに参加しています。亡くなった方々に祈りの灯火を捧げながら、あなたの分も幸せに生きていきます、と心に誓っています。そして病気を乗り越えられた自分にも、支えてくれた家族にもとても感謝をしています。

第13回 リリー・オンコロジー・オン・キャンバス
がんと生きる、わたしの物語。コンテスト 受賞作品一覧

・絵画部門最優秀賞『きらきらゆらゆら悔いなく自分らしく』
・絵画部門優秀賞『おかあさん ありがとう』
・絵画部門入選『再生した私』
・絵画部門入選『また逢う日まで』
・写真部門最優秀賞『焼きおむすび』
・写真部門優秀賞『はじめて並んで歩いた日』
・写真部門入選『自然のいのちとわたしの生命(いのち)』
・写真部門入選『家族』
・絵手紙部門最優秀賞『看護師達』
・絵手紙部門優秀賞『大丈夫』

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