おたのしみ権( 利 )。

2023年2月21日(火)11時0分 ソトコト

僕はその頃、A君ととても仲がよかった。A君は町で見知らぬおばちゃんから「まあ」と声をかけられるほど端正な顔立ちをしていて、僕の父は実業家だった。小さな下町では事業の詳細は関係がなく、ただ「社長」という言葉のみが目立っていて、僕は同級生から「社長の子」として見られていた。
A君と僕は所属しているグループが違って、特段気が合うというわけでもなかった。だからそんなに話すこともなかったのだが、なぜかよく隣町まで自転車で出かけては、日がくれるまで河川敷で時間をつぶした。A君が器用に雑草を編むのを真似したり、ただ二人で淡々と、向こう岸の知らない町にむかって、小さな主張でもするかのように水切り石を投げた(書きながら気づいたが、あれが初恋だったような気がしないでもない)。
年に一度商店街で開催される大きなお祭りには、必ず一緒に出かけた。そのお祭りで使う「おたのしみ券」は、商店街で買い物をした分だけ配布される、という夢のないもので、頻繁に行われる取引先との宴会の準備が必要だった我が家には、束になったそれがあった。
お祭り当日は、町中の子どもたちが、親からもらったおたのしみ券を握り締めて集まった(おたのしみ券を買ってもらう子もいた)。その年は、A君とほかの友達もあわせて5人で回ることになっていて、ならば「おたのしみ券はみんなで分けよう」と僕は考えていた。この束を持つ人間は、いつも楽しそうでなくてはならなかったが、あまりに楽しそうでは「ズル」になるから、それもいけなかった。玄関で支度をしながら、下駄箱に置かれたおたのしみ券の束を見る。輪ゴムで縛られひっそりと佇むそれは、おたのしみ券の死骸みたいだった。


ここ2年くらい、仕事が変わった影響で運動不足になり、とうとうヘルニアになった。ただ幸いにも軽症で、「ストレッチをしながら治していきましょうね」と病院で言われたので、整体にでも通うかと近所の整体院に行った。当たりだった。とにかく腰痛が軽くなるのだ。
先生は体を触っているといろんなことを感じるそうで、ある日の施術中、「ストレスが大きすぎますね」と言われた。「受け入れることが大事ですよ」。僕は内心ムッとしたので、うつ伏せのまま「受け入れてますけどね」と言った。すると先生は、ちょっと、と言って座るよう促し、小さなホワイトボードを持ってきた。そしてそこに、陰と陽の模様を描いた。「人間の体内には陰と陽のエネルギー、それぞれが同じ大きさであります。どちらかだけが大きくなる、ということはないんですよ。太田さん、楽しいことはしていますか? 思いっきり心が安らぐような。今の太田さんだから感じられる喜びを、ちゃ
んと受け取っていますか? それを受け取ることが、ストレスを受け入れることでもあります」。
なるほど、自分のストレスを受け入れるとは、自分の幸福を噛み締めるということでもあるのだ。僕は自分で食えるようになった今も、手にした喜びを後ろめたく思うところがある。この程度の努力で、みんな認めてくれるのだろうか。おたのしみ券を握り締めた自分が、今もじっとこちらを見ている。
ちなみにお祭りの日、A君だけが僕を呼び止め、「お前が使いや」とおたのしみ券をこっそり返してきた。「そんなんする必要ないで」。やっぱり初恋は、彼だった気がしてきた。


文・太田尚樹 イラスト・井上 涼
おおた・なおき●1988年大阪生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。編集者・ライター。神戸大学を卒業後、リクルートに入社。その後退社し『やる気あり美』を発足。「世の中とLGBTのグッとくる接点」となるようなアート、エンタメコンテンツの企画、制作を行っている。
記事は雑誌ソトコト2023年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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