養老孟司86歳「医学部も解剖学に進んだのもすべてなりゆき。人生はくじみたいなものだけど、仕事でもなんでも、やらなきゃいけないことには意味がある」

2024年3月4日(月)12時30分 婦人公論.jp


「起きてから寝るまでずっと虫のことばかりできて幸せですが、肩こりがひどい」と養老さん。2023年8月、箱根にて(撮影:本社・奥西義和)

解剖学者として、生と死に向き合ってきた養老孟司さん。自身の大病や愛猫との別れを経験した86歳のいま、日々感じていることとは(撮影=本社・奥西義和 構成=山田真理)

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欲には限りがない


鎌倉の自宅と18年前に建てた箱根の別荘を、おおむね週の半分ずつ往復して暮らしています。

箱根には一人で行き、もっぱら昆虫の標本を作っているんです。70代までは、すすきの原っぱを抜け、イノシシの足跡が残るような山道で虫採りをしていたけど、体力が落ちてきたのでやめました。これまで国内外で採集した虫と、人に譲られた虫が大量にあるので、その整理のために生きているようなものです。(笑)

やることは毎日山のようにあるから、朝目覚めたら「今日は何をするか」、頭の中で段取りを考えなきゃならない。まずやるのは、ホットプレートのスイッチを入れること。私が好きなゾウムシなどの小さな甲虫は紙に糊付けして標本にしますが、糊の湿気でカビが生えてしまわないようホットプレートで乾かすんです。

以前はタコ焼き用の安いのを使っていたんだけど、朝から晩まで点けっぱなしにしたら壊れたので、今はスープも作れるという高級なものを使っています(笑)。乾いたら針を刺して標本箱に並べますが、肢がとれたりすると面倒なことになるから、一つひとつ丁寧に。終わりがないので修行のよう。これでは寿命が足りませんよ。

好きなだけ時間が使えるのはいいのですが、細かい作業で肩がこるから用心して休んでは、外を散歩します。標高700メートルの場所なので夏は涼しくて快適だけれど、冬は寒くて散歩がおっくうになるのが困りもの。春になればなったで虫を採りたくなるし、欲には限りがないなと思います。

開業医の母が診療所兼自宅を建てた鎌倉は緑が多く、幼少時からよく虫採りをしたものでした。小学生のころ、裏山でミヤマクワガタを見つけたとき、心臓が口から飛び出すかと思うくらい胸が高鳴ったことを覚えています。

虫の面白さは、簡単に言語化できません。形や色も多様で、人間が作ろうとしたってできやしない。「この場所に行けば採れる」と思ってもダメで、思い通りにいかないところもまた面白いんです。

命の危機を乗り越えて


人生を振り返ると、結局は、孫悟空のようにお釈迦様の掌の上にいたんだなと感じます。若いうちは張り切って遠くまで飛んでいたつもりでも、気がつけば何のことはない、見知った世界でじたばたしていただけだったな、と。

僕は幼いころから、自分の意思で動いた記憶がほとんどありません。人生はくじみたいなもので、選択できる範囲はおのずと限られると思ってきた。医学部に進学したのも解剖学の道に進んだのも、すべてなりゆきですから。

ただ、運不運でいえば、僕は「運が良かった」と考えることにしているんです。もっと悪いことが起きていたかもしれない、事故にあって死んでいたかもしれない、というふうにね。戦争もあったけれど生き延びました。灯火管制中で街が真っ暗ななか、撃墜されたB29が頭上を落ちていった。燃える飛行機がきれいだと思ったのを覚えています。

生死にかかわる病気も何度か経験しました。戦争末期に東大病院へ入院。そんなご時勢に入院すること自体、命の危険が迫っていたということ。隣のベッドにいた子は手術の翌日に亡くなっていました。

82歳のとき、70キロあった体重が1年間で15キロほど減りました。いつもの体調と違うなにかを感じ、東大病院を受診。持病の糖尿病の悪化かがんかなと考えていたら、心筋梗塞と診断されたんです。緊急検査とステント治療を受けてICU(集中治療室)へ。

3日後、無事に一般病室に移りましたが、医師からは「ギリギリのタイミング。本当に強運です」と言われました。心臓に血液を送る大きな動脈が詰まっていて、完全に閉塞したら万事終わりだったと。

日常というのは「有り難いものではない」。あたりまえの日常を失って、はじめて有り難みを感じるものです。病気は、その契機になれば幸いと思えばいいのかもしれません。病院は相変わらず苦手ですが、昨日も大学病院の検診にちゃんと行ったんですよ。

年寄りなので、午前4時5時に目が覚める日もあるし、寝られるだけ寝て10時くらいに起きる日もあります。食べる量も減ってきました。

だいたい、腹いっぱい食べ過ぎるのもよくないと思う。僕らは食糧難の時代に育ったので、「お腹が空いたら食べる」というのがあたりまえの感覚。食べたくもないときに食べたって、美味しく感じられないでしょう。だから「自分の体の声」を聞いています。

好きなことを続ける幸せ


子どものころから好きだった虫のことを、80代でも続けていられるのは幸せだと思いますね。本当は大学でも虫を勉強したかったのですが、当時、急病で寝込んでいた母から「医学部へ行くように」と懇願されてしまってね。

夫を早くに亡くし、開業医として家族を支えてきた母からすれば、医者なら時代がどうあれ食っていけるという思いがあったんでしょう。それで僕が折れた。

しかし、今になって思うと、虫の専門家にならなくてよかった。だって仕事のほかに、楽しみがなくなっちゃうからね(笑)。

それに学問の世界にも、その時々の社会情勢で求められる分野や流行がある。研究室を運営する予算を獲得するには、ある程度時流も意識せざるをえず、やりたい研究ができなかった可能性もあるわけです。

とはいえ、解剖医としての仕事を嫌々やっていたわけではありません。解剖学の研究室ではご遺体を病院や個人宅へ引き取りに行くことがあるのですが、「そんなのは自分の仕事じゃない」といって嫌う研究者もいます。

何かを「嫌だ」と感じることの半分は、「そんなものは無意味だ」という意識が入っている。しかしご遺体がなければ、解剖はできません。車で遺体を運び、ホルマリンを注入して浴槽で保管する作業からも、知ること、考えることはあった。

たとえば香典などの事務仕事でも、きっちり行うことによって、研究だけではわからないことをたくさん学んだと思います。

仕事でもなんでも、やらなきゃいけないことには意味がある。その意味は何かと考えて、どうしても必要だと思えば、それはもう好き嫌いの問題ではなく、やるしかないわけです。やっていくうちに、少しは好きになったり、面白がったりできるようになるのではないか。少なくとも僕は、そうやって仕事をしてきた気がします。

けれども、まあ、人間関係も含め大学の仕事に相当ストレスがあったのも確かでね。57歳で早期退官を決め、大学に行かなくていい朝を迎えたときは、嫌というほど空が青く明るく見えたし、女房は、毎日こんな空を見てきたのかと思ったものでした。(笑)

女房の幸せそうな時間ですか? 若いころから茶道に一生懸命です。傍から見ていて、茶道が身体を使った芸事であるとわかって面白い。畳の上で行うことの意味なども考えます。

茶碗は陶芸、掛軸は書や絵画といった美術にかかわるし、長く続けるほど奥が深いとわかってくるものでしょう。どこまで行っても終わりがないというのは、虫と同じで(笑)、幸福な趣味だと思います。

<後編につづく>

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