小説家夫婦がケンカをしたら…。口達者だった吉村昭と津村節子が、12年かけて培った夫婦の絆とは?

2024年3月11日(月)12時30分 婦人公論.jp


作家の吉村昭さん(左)と津村節子さん(右)夫妻(写真提供:新潮社)

『星への旅』で太宰治賞を、『戦艦武蔵』や『関東大震災』で菊池寛賞を受賞した吉村昭と、『玩具』で芥川賞を受賞した津村節子。小説家夫婦である2人は、どのようにして結ばれ人生を共に歩んだのか、そして吉村を見送った後の津村の思いとは。今回は、小説家2人が夫婦生活を続けられた秘訣ついてご紹介します。

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口達者な小説家夫婦だった


「若い頃は、夫婦ゲンカとかいろいろあって大変だったようですが、30代、40代と年を重ねて、二人とも大人になって落着いていったんじゃないでしょうか」

と司(長男、吉村司)は両親の歴史を振り返る。

井の頭公園のそばに終の棲家を建てたのは吉村が42歳のときで、その頃には収入も安定し、暴力沙汰のケンカにまでは至っていない。

言いくるめて結婚したほどだから、吉村は口は達者。津村も負けてはいない。ああ言えばこう言うという口ゲンカに変わっていったが、それも次第に減っていった。

そのあたりのことは吉村が書いている。

〈男と女が全くちがった種属であることに漸く気づいたのは、最近になってからである。同じ人類には違いないが、霊長目オトコ科、霊長目オンナ科とわけられるべきであろう。

結婚してから12年間はケンカをしていた


結婚してから12年間、私たち夫婦はよく飽きもせずケンカをしてきた。私の方からいえば、1プラス1は2というような当然すぎるほど当然なことを口にしているのに、妻の方は1かける1は1じゃないの、などとおよそ見当ちがいなことを口にして反撃してくる。つまり、互に全く会話が通じあわないのである。男と女が、犬猫の差ぐらいに異なった種属であるからなのであろう。〉(『月夜の記憶』講談社文庫)

だから意見が合わなくて当然だった。意見が一致することはない相手と、ケンカすることがばかばかしくなったというのだ。

吉村の随筆集に『蟹の縦ばい』という作品がある。そのタイトルは、男の目が現在、過去、未来と縦の線に向けられるのに対し、女性の目は現在のみで、それも自分の現在位置から横へと向けられているという吉村の観察による。

蟹のように横ばいする女性の視点に対して、男は「縦ばい」なのだ。これも男と女の違いで、夫と妻というのは永遠に理解し合えないものだという。その諦観の上に立てば、

〈喧嘩しても、いつかは仲直りするのだから、ここらでいい加減にやめようということになる〉。互いに長所短所を認め合い、暮らしていこうとなる。


『吉村昭と津村節子——波瀾万丈おしどり夫婦』(著:谷口桂子/新潮社)

お互いの採点結果は


津村が芥川賞を受賞した年に、二人はそろってテレビ出演した。

夫婦で講演はしないなどのルールを設けていた二人が、そろってテレビ出演したのはこのときが最初で最後だ。芥川賞受賞の翌朝で、『木島則夫モーニングショー』(NETテレビ、現テレビ朝日)という番組だった。

奥さんとしての津村の採点をきかれ、

「100点。申し分ありません」

と吉村は答えた。一方の津村は、

「吉村は文学者としては100点だけど、夫としては50点くらいかしら」

と言っている。

随筆「別れない理由」でも、津村はタイトルを「五分五分」とし、自分が辛抱していること以上に相手も耐えていることが多いはずで、小説を書かせるという約束を守ってくれているだけでも希少価値だと結んだ。


作家の津村節子さん(写真提供:新潮社)

ようやく生まれた二人だけの調和


別の随筆では、二人の場合は夫でない夫と妻ではない妻の共同生活であるとし、

〈我々の場合、夫らしい夫を妻が求めたり、妻らしい妻を夫が求めたりしたとき、この均衡が破れて、本当の危機が来るのかもしれない。〉(『風花の街から』毎日新聞社)と記している。

歳月を経て、ようやく二人だけの調和が生まれたようだ。

※本稿は、『吉村昭と津村節子——波瀾万丈おしどり夫婦』(新潮社)の一部を再編集したものです

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