開業は関東大震災の2年後…消えた“帝都復興の輸送路”「西武安比奈線」跡には何がある?
2025年3月31日(月)7時0分 文春オンライン
いまや日本中、主だった道路はほぼすべて舗装されている。砂利道なんて、クルマの入れないような路地くらいでしか見かけない。
いずれにしても、日常的に歩く道はほとんどが舗装された道ばかりだ。だから、たまに砂利道を歩くハメになるとガッカリしてしまう。なんで砂利なんて敷き詰めてあるんだ、歩きにくくてしかたない……。が、砂利をバカにしてはいけない。
関東大震災が変えた首都圏の光景
砂利はコンクリートの骨材などに使われる、つまり建材として不可欠な素材なのだ。コンクリート造りの家もビルも橋もトンネルも、大げさな言い方をするならばみんな元を辿れば砂利を使っているというわけだ。現代人の営みは、砂利によって支えられているのである。

首都圏で砂利の需要が急増したのは、大正時代だという。関東大震災で大きな被害を受けた首都圏が、その復興のために砂利を求めた。首都圏近郊を流れる河川から川砂利を採取し、都心に運んだ。そのための鉄道路線も、いくつも建設されている。
開業は100年前…消えた“帝都復興の輸送路”「西武安比奈線」跡には何がある?
たとえば、現在の東急田園都市線のルーツである玉川電気鉄道は、多摩川の砂利を運ぶのが目的で明治末に開業した。渋谷駅前は砂利置き場になっていたという。
また、JR南武線や五日市線も多摩川の砂利輸送が建設のきっかけになったし、相模鉄道も相模川の砂利輸送を目的とする“砂利鉄”だった。こうした路線の多くはのちに砂利輸送をやめ、いまやすっかり首都圏の通勤通学路線として八面六臂の活躍を見せている。
かつては砂利を運んで都市建設に資し、いまではその都市に暮らす人の日常を支える……などというと、なんともエモい気がしてくるのではなかろうか。が、すべての“砂利鉄”が通勤通学路線に変貌したわけではない。
中には、砂利輸送の取りやめとともに役割を終え、廃線になってしまったものもある。そのひとつが、入間川の砂利輸送を担った西武安比奈線だ。
西武安比奈線は、新宿線南大塚駅(終点・本川越駅のひとつ手前)から分かれて入間川の河川敷まで延びていた砂利輸送路線だ。
開業したのは大正末の1925年のこと。関東大震災が1923年だったから、帝都復興のための砂利輸送がこの路線の目的だったことは明白だ。
きっと、他の砂利輸送路線とともに震災からの復興、また戦後は戦禍からの復興と高度経済成長にも大いに貢献したに違いない。
そんな安比奈線も、長期にわたる休止を経て2017年に正式に廃線となった。安比奈線の活躍はもはや半世紀以上も前に遡る。それでも、まだ町の中に廃線跡はほとんどそのままに残っているという。いったい、どんな様子なのだろう。
出発地点の西武新宿線「南大塚」に向かうと…
そういうわけで、西武新宿線の南大塚駅にやってきた。南大塚駅そのものは小さな駅だ。
駅のすぐ近く、線路と並行するように国道16号が通り、また本川越寄りには関越自動車道の川越インターチェンジがある。線路に沿って南側は川越狭山工業団地。朝夕には工場への通勤客でも賑わいそうだ。
そんな小さな駅から、安比奈線は分かれていた。どのように分かれていたのかは、駅の北口に出ればすぐにわかる。
ホームの脇にコンクリート製の枕木などが並んでいる一角があって、その脇の道を辿っていくと新宿線から北に分かれるように弧を描きながら空き地が続く。誰がどう見たって、ここが安比奈線の廃線跡に違いない。
道路と交差するところでは、アスファルトにかつてのレールが埋め込まれたままだ。現役時代には踏切だったのだろうか。まあ、列車が走っていたのは60年以上も前のことだから、実際のところはわからない。
いずれにしても、道路と廃線跡はフェンスで区切られていてもちろん立ち入りはNGだ。聞けば、廃線跡の用地は西武不動産(3月31日までは西武リアルティソリューションズ)と西武鉄道の所有になっているという。
だからその脇を辿っていくしかないのだが、それにもまたいささか難儀する。廃線跡が遊歩道になっているわけでもなし、また道路に転用されているわけでもなし。それでいて、道路が並行しているわけでもない。
むしろ廃線跡の空き地にピッタリとくっつくように、南大塚駅前の住宅やマンションなどが並んでいるのだ。だから、廃線跡を見失わないように注意しながら、少し離れた道を歩かねばならない。
「南大塚」から5分も歩かないうちに国道が見えてきた
そうすると、南大塚駅前から5分と歩かずに国道16号に出た。首都圏の外縁をぐるりと回る大国道、通行量もなかなかに多いのだが、安比奈線もかつては国道16号を跨いでいたのだ。だから、廃線跡の空き地も国道16号を挟んでさらに北に続いてゆく。
国道16号を跨いだ先も、安比奈線の廃線跡は両サイドに民家がピタリと接している。いつまでも中に入らずに遠回りをしてばかりいても仕方がない。
かといって勝手に廃線跡に侵入するわけにもいかないので、ここからは西武鉄道の広報氏に同行を願うことにした。偉そうな言い方をすれば、特別な許可を得て、というヤツだ。
そんなわけで、ここから先の廃線跡ウォークは文字通りの廃線跡をゆく。とはいえ、訪れた日はあいにくの雨模様。定期的に草刈りはしているというが、地盤まで整えられているわけではないから、水をたっぷり含んだ廃線跡はなかなかに歩きにくい。
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無事に廃線跡に立ち入ることを許された著者。雨模様で滑りやすい廃線路を進んでいくと、森の中に消えていくレールの先で「とある光景」を目にすることになった——。 後編 に続く。
写真=鼠入昌史
〈 降りしきる雨、2本のレールが延びるトンネルの向こうに…消えてまだ10年も経っていない廃線「西武安比奈線」跡で待っていた“行く末” 〉へ続く
(鼠入 昌史)