女装者がその魅力で敵の男をたらしこみ、隙をついて暗殺する。なぜサン・ジュストは「美貌のテロリスト」として日本化されたのか…井上章一が語る「ヤマトタケルとフランス革命史」

2024年4月23日(火)12時30分 婦人公論.jp


(写真:PhotoAC)

英雄は勇ましく猛々しい……ってホンマ? 日本の英雄は、しばしば伝説のなかに美少年として描かれる。ヤマトタケルや牛若丸、女装姿で敵を翻弄する物語を人びとは愛し、語り継いできた。そこに見た日本人の精神性を『京都ぎらい』『美人論』の井上章一さんが解き明かした連載「女になった英雄たち」が『ヤマトタケルの日本史』として刊行された。井上さんが同書を刊行したのちに気づいた、ある事実とはーー。

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なぜ日本では「フランス革命」がよく知られているのか


日本では、フランス革命の歴史が、ひろく知られている。隣国の、たとえば韓国や中国の人たちとくらべても、よくわきまえていると思う。

日本の歴史教育は、それだけ多くの時間をこの革命にさいてきたようである。

もちろん、マンガの効用もあなどれない。1970年代以後、日本ではフランス革命を題材としたマンガが、数多くえがかれた。それらが革命がらみの知見を日本人におしえたことは、うたがえない。

なかでも、大きな役目をはたしたのは『ベルサイユのばら』である。池田理代子が1972年から発表しだしたこの作品は、読者から熱狂的にむかえられた。翌年には宝塚少女歌劇で舞台化され、その後も上演されつづけている。


『ベルサイユのばら1』著:池田理代子/集英社

主人公は、オスカルという貴族の娘である。女でありながら、近衛連隊の隊長をつとめた。男装の麗人として、そのキャラクターは設定されている。

ある日、彼女は国民会議の場で革命家のサン・ジュストを目撃した。そして、その美貌におどろかされる。「男装をした女がいるぞ! すごい美人だ」。オスカルは盟友のアンドレに、そうつげている。

現実のサン・ジュストは男である。革命期にはジャコバン派の闘士として活躍した。ルイ16世が断頭台へおくられたのは、彼の名演説もきっかけになったとされている。

美青年ではあったらしい。聖堂にえがかれ天使のようだと、じっさいにも言われていたようである。そんなサン・ジュストを、池田は女に見まがう人物として登場させた。自身も美しいと言われなれている、そのオスカルがたじろぐほどの美形として。

男装の麗人から女装の達人へ


これに刺激をうけたのだろう。1978年には、サン・ジュストを大きくとりあげるマンガがはじまった。上原きみ子の『マリーベル』がそれである。池田作品のサン・ジュストは、まだ端役であった。それを、上原は主役級の一角におしあげたのである。

のみならず、上原のサン・ジュストは女装の達人にもなっていた。学生時代には女をよそおい、バイオリンを演奏することで、学費をかせぐ。ドレス姿に変装し、追手の目をくらましつつ、あぶない場はきりぬける。そんな人物設定がほどこされている。

池田作品では、まわりから女と見まちがえられるだけに、とどまっていた。それを、上原は、意図して女にばける策士へ変貌させたのである。のちのインタビューで、上原は池田からの感化を語っている。

「池田さんのサン・ジュストがインパクト強いでしょう(中略)サン・ジュストさんは一度描きたい人物で」(『マリーベル 6』2001年)。

木原敏江がえがいた『杖と翼』(2000—02年)に、女装の場面はない。まわりから、性別をいぶかしがられるぐらいに、その表現はとどまっている。ただ、『杖と翼』は、サン・ジュストを主役にしたてていた。池田理代子のまいた種が、大きくそだって実をなしたのだと考える。

女装して敵を暗殺


こういう日本マンガ史上に、近年画期的な作品が出現した。『断頭のアルカンジュ』(メイジメロウ、花林ソラ)がそれである。2022年にはじまり翌年には完成した。


『断頭のアルカンジュ 1』(著:メイジメロウ、花林ソラ/コアミックス)

やはり、サン・ジュストを主人公とするマンガである。のみならず、作者は彼には、しばしば女装もこころみさせた。上原きみ子以後の経譜に位置づけうる作品である。

作中には、シャンパーニュの一領主であるブランジ男爵が登場する。

彼に妹をけがされ、サン・ジュストは復讐を思いたつ。そのため、女装にうってでた。ブランジがねらっている娘になりすます。その姿は、男爵家の執事から、「噂よりずっと美しい…」と評されもした。

女装者は、そのまま男爵の館へはいりこみ、当人と対面する。そして、自分にうっとりするブランジを、殺害した。相手のゆだんにつけこみ、敵(かたき)をうったのである。

史実では、ありえない。また、フランスでも、こういうサン・ジュスト像は語られてこなかった。日本のマンガが、かってにこしらえたフィクションである。

女装者がその魅力で敵の男をたらしこみ、隙をついて暗殺する。男でありながら、女スパイのような作戦で、ねらった相手を亡き者としてしまう。こういう話が、日本では8世紀はじめ、記紀のころから語られていた。クマソの族長をほうむりさったヤマトタケルの説話は、この型でできている。

ヤマトタケル変奏曲


のみならず、この話型は時代が下ってもたもたれた。同工の物語を、いくつも派生するにいたっている。たとえば、遮那王(『義経記』)や犬坂毛野(『八犬伝』)の物語を。その過程を、さいきん私は本にまとめている。『ヤマトタケルの日本史-女になった英雄たち』として、刊行した。

刊行当時は気づけなかったが、書きそえよう。ヤマトタケルの女装暗殺譚は、21世紀の日本でも生きている。それは、フランス革命史のサン・ジュスト語りに飛火し、これを変容させた。この革命家を、ヤマトタケルともつうじあう人物にしてしまったのである。

サン・ジュストは革命の急進派として、史上には位置づけられている。王殺しのテロリストといったような評価もある。美形の人としても知られてきた。日本へくれば、ヤマトタケル風に話が加工されかねない人物ではある。そして、ほんとうにそのとおり、『断頭のアルカンジュ』は話をすすめていった。

18世紀のフランスには、シュバリエ・デオンという女装の剣士が実在する。革命前夜の政局にも、少しかかわった。しかし、彼にはテロリストめいた実蹟がない。だから、日本のマンガは、ヤマトタケル風に加工しなかった。『イノサン』(坂本眞一 2013—20年)は、端役をあてがったが。

ヤマトタケルめいた女装者に、日本でばける。そのためには、サン・ジュストのようなキャリアが必要だったのかもしれない。

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