「僕もボクシングをやりたい」6歳の井上尚弥の決意を確認するために聞いたこととは。父・真吾「あの日<親と子>でなく<男対男>として約束を交わして」

2024年5月17日(金)12時30分 婦人公論.jp


(撮影:山口裕朗)

24年5月6日、東京ドームにて、マイクタイソン以来34年ぶりとなるボクシングのタイトルマッチが開催。世界スーパーバンタム級4団体統一王者・井上尚弥選手(大橋)が、元世界2階級制覇王者ルイス・ネリ選手(メキシコ)に6回TKO勝ちをおさめました。「日本ボクシング史上最高傑作」とも呼ばれる尚弥選手をトレーナーとして、そして父として支えてきたのが真吾さんです。今回、その真吾さんが自身の子育て論を明かした『努力は天才に勝る!』より一部を紹介します。

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ときおりもらう質問


「どうすれば尚弥選手のように育ちますか」。

ときおり、後楽園ホールなどでそう声をかけられます。その都度、腕を組んで自分なりに考えを巡らせてみますが、簡単に言い切れるような言葉は思い浮かびません。

「小さなときから毎日コツコツと積み上げた努力の結果でしょうか」。

「尚が素直について来たからでしょうか」。

そう答えても漠然としているためか、うまく伝わらないようです。

意外と思われるかもしれませんが、自分は子どもたちにボクシングを「やらせたい」と思ったことは一度もありません。脳や肉体へとダメージを与え与えられて競い合う特殊な競技です。減量もあります。自分の愛する子どもたちが傷つく姿を見たいと思う親御さんはいないでしょう。自分も同じ気持ちです。

それでも自分はボクシングが大好きです。アマチュアですが、二戦二勝の戦績を残しています。

ボクシングのようなヒリつくくらいの真剣勝負は滅多に経験できないと思います。打たれて苦しいときもありますが、それでも何ものにも代えがたい刺激があります。おそらく、フルマラソンや登山やフリークライミングにハマる方と似た感覚のような気がします。

自分がボクシングと出会ったのは、24歳のときでした。地元の仲間から練習に誘われたのがきっかけです。中学時代の友人がプロボクサーとなっていました。試合は三ラウンドでノックアウト負けでしたが。空手などはしていましたが、ボクシングの「打たせずに打つ」技術の高さに魅了されました。喧嘩とボクシングを分かつものが明確に見えたのです。

友人の通っていた協栄町田ジムに行ったところ、トレーナーの中村隆先生から「筋がいい」と褒められました。褒められるのは大好きです。一気にのめり込みました。

人生で最も忙しかった時代


「このまま練習をしていけば、プロボクサーにもなれるのでは」。


『努力は天才に勝る!』 (著:井上真吾/講談社現代新書)

とはいえ、ボクシングに専念できる環境ではありませんでした。すでに尚弥は生まれ、弟の拓真もお腹の中でした。

「明成塗装」を立ち上げ、若輩ながら親方として奮闘していた時期でもありました。仕事と家庭のバランスを考えるのもやっとこさであるのに、さらにボクシングも加わるのです。

今振り返るとこの時期が最も忙しかった時代でした。

早朝から現場に出て、職人さんが帰った後も現場で働き、車を走らせ、協栄町田ジムで練習する。帰宅すると子どもたちはもう寝ています。長女の晴香の天使のような寝顔を見つめ、翌日の活力を養いました。

20歳で独立し、誰よりも働きました。ガムシャラになって働くことでいずれゆとりが生まれることを夢に見て、刷毛を握り、マスキングテープを貼っていました。

当たり前のことですが、働けば働くほどボクシングに割く時間は減るものです。納期が迫れば、残業をし、ジムに行けない日も続きます。

それでも強くなりたいと願い、時間を見つけては練習をしていました。野球選手を目指す少年が、自宅の庭先で素振りをするように自分も練習を繰り返していました。

振り返ってみると、練習の時間が限られていたからこそ、徹底して基礎が身についたのだと思います。練習時間が多くとも基礎をおろそかにしていては強くなることはできません。ジムで中村先生から教わったことを思い返しながら、一人で練習をすることで、身についた気がします。

僕も父さんとボクシングを一緒にやりたい


いつものように休日に一人で練習をしていたときのことです。

対戦相手をイメージし、虚像に向けてジャブを放つ、シャドーボクシングの練習をしていました。相手のジャブが返ってくるので、バックステップし、すかさずステップインとともにジャブを放ちます。トレーニングウエアが汗で湿ってきたときでしょうか。誰かの気配を感じたのです。

「僕も父さんとボクシングを一緒にやりたい」。

6歳の尚弥が自分にそう語ってきた瞬間でした。そのときのみぞおちのあたりをぐっとつかまれたような衝撃を今でも覚えています。

尚弥は御多分に洩れず、仮面ライダーや戦隊ヒーローが大好きな男の子でした。縁日で買った仮面ライダーのお面をかぶってはテレビの中のヒーローごっこをしています。晴香に向かってライダーキックをし、三倍くらいに返されています。二つ下の弟の拓真は、とばっちりを受けないように母親から離れません。

幼稚園児の尚弥の横で自分はシャドーボクシングをしていました。尚弥の目にはテレビで観る特撮ヒーローと自分が重なっていたようです。

「父さん、強くてかっこいいな」。

自分のシャドーをじっと見ているのです。

小学校にあがった尚弥の中でひとつの決断があったようです。早めに仕事を上がれた平日の夕方、子どもたちを連れて近くの公園へ遊びに行きました。

晴香は一目散にブランコへ、いつもなら尚弥も一緒に駆けて行くはずなのに、自分の近くから離れません。自分はストレッチを終えて、ステップの練習をしていました。

「んっ、どうした。お姉ちゃんと遊ばないのか」。

尚弥は小さい身体を揺らしながら、自分に寄ってきました。

「僕にもボクシングを教えてよ」。

そう語ったのです。尚弥は意思表示をしてきました。まだ小さいので言葉は乏しいですが、表情や目を見れば本気で語っていることは伝わってきます。幼くとも人格を持った一人の人間なのです。6歳の少年でも自分で決定を下す意志を持っているのです。

「男対男」としての約束


「ボクシングは甘いスポーツじゃないよ、それでもできるの?」

尚弥の目をじっと見つめ語りかけました。うん、と頷きます。その目からは揺らぐことのない意志が感じられました。自分は尚弥をじっと見つめて言葉を続けました。

「父さんはボクシングに嘘をつきたくないから一生懸命やっているんだ。尚もボクシングに嘘をつかないと約束できるか。練習がどんなに辛くてもやり通せるか」。

尚弥はほおを真っ赤にさせて返してきました。

「うん。お父さんと一緒にやりたい」。

子どもながらに決意を秘めた表情でした。胸の奥底から熱い気持ちが湧き出ているのが見て取れました。それを受けて、自分は「親と子」ではなく「男対男」としての約束をしました。

「よし、それならお父さんと一緒にやろう。でも本当にできるのか? 明日になったらもう嫌だ、と言うなら父さんは教えないよ」。

尚弥は渾身の力で首を上下に振ります。

「ボクシングをするなら『でも』『だって』も言っちゃダメだからな」。

まだ子どもとはいえ、自分で選んだ道です。その覚悟を示してもらうためにも言い訳は禁じました。できないことを他人のせいにしない。自分で決定を下した以上、そこに責任は発生することを知ってもらいたかったのです。

「うん、わかった」。

尚弥は素直に繰り返します。よし、と自分は大きな声を出して気合をいれました。

親子で一緒に練習を重ねて


「身体の力を抜いて、左足に五・五の力を入れて、反対の右足には四・五の力をかけてごらん」。

ステップワークを教えると、尚弥の目がギラリと輝き、稲妻のような踏み込みを見せた──わけもなく、ふにゃふにゃとした動きでした。

弟の拓真も幼稚園が終わると練習に交じるようになりました。当時は賃貸マンションでしたが、一部屋を大きな鏡を置いたトレーニングルームにしました。その鏡の前でステップの練習をするのです。

「打たれないためにまずはステップの練習だ」。

15年前のあの日から、親子で一緒に練習を重ねてきました。

尚弥の背丈は自分の腰にも満たなかった。拓真はさらに頭一つ小さかった。その小さな兄弟が小さな拳でジャブやストレートのようなものを日が暮れるまで放っていました。

※本稿は、『努力は天才に勝る!』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

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