生まれ、容姿、身長…豊臣秀吉はコンプレックスをどのように跳ね返したのか?

2023年9月19日(火)5時30分 JBpress

 歴史上には様々なリーダー(指導者)が登場してきました。そのなかには、有能なリーダーもいれば、そうではない者もいました。彼らはなぜ成功あるいは失敗したのか?また、リーダーシップの秘訣とは何か?そういったことを日本史上の人物を事例にして考えていきたいと思います


「予は醜い顔をしており、五体も貧弱」

 貧しい家庭に生まれ、時には物乞いのようなことをしながらも、忍耐力と忠実さでもって、逞しく生き抜いてきた若き日の豊臣秀吉。秀吉というと、歴史小説やドラマなどにおいては、主君・織田信長から「猿」とよく呼ばれているように、容姿は余り優れていないとのイメージがあります。大河ドラマにおいても、秀吉役は(時に二枚目俳優が演じることもありますが)、三枚目俳優が演じているように思います。

 近年、「ルッキズム」(外見重視主義)という言葉がよく使用されるようになりましたが、自らの容姿のことを自分で余り良いと感じていない人も、報道などを見ていて、特に若い人に多いように見受けられます。周囲から見て(全然、容姿悪くないのに)と思っても、本人からしたら(自分は、容姿は良くない)と思い込んでしまう例もあるでしょう。では「猿」と呼ばれることが多い秀吉はどうだったのでしょうか?

 宣教師ルイス・フロイスの『日本史』には、秀吉が自分の容姿について語る場面が記されています。それによると、秀吉は「皆が見るとおり、予(秀吉)は醜い顔をしており、五体も貧弱」と話したとあります。つまり、秀吉は自分の容姿が良くないと思っていたということです。

 戦国三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)や他の戦国武将の中で、自らの容姿について語り、しかも「自分の容姿は良くない」と断言する人は、秀吉くらいではないでしょうか。それだけ、秀吉は自分の容姿に自信はなかったのでしょう。他の武将は、守護大名家の出身であったり、地方の豪族の出身であったりという場合が多いですが、秀吉は武士の家でもなく、貧家の出。そのことと、容姿のことも相俟って、コンプレックス(劣等感)に苛まれることもあったかもしれません。

 秀吉の容姿について記している書物はそれなりにありますが、そのどれもが「彼(秀吉)は身長が低く、また醜悪な容貌の持主」「眼がとび出ており、シナ人のように髭が少なかった」(フロイス『日本史』)、「容貌が醜く、身体も短小で、様子が猿のようであった」(朝鮮の人・姜沆の著作『看羊録』)というような書きぶりです。

 信長というと秀吉のことを「猿」と呼んでいる印象が強いですが、信長は秀吉の妻・寧宛ての書状で「はげねずみ」と秀吉のことを記しています。もちろん、信長が秀吉のことを常日頃から「はげねずみ」と呼んでいたかどうかまでは分かりません。

 上司が部下に対して「はげねずみ」などと言ったら、現代ならば「パワハラ」で訴えられてしまうかもしれませんが、信長は前掲の書状で、蔑視の意味で「はげねずみ」と記しているようには思えません。「お前様ほどの細君(寧)は、あのはげねずみには二度と求めることはできまい」というように、親しみの意味がこもっているように感じます。


劣等感をバネに出世

 容貌以外にも、秀吉には特異な点がありました。フロイス『日本史』によると「片手には六本の指があった」と記されています。姜沆の著作『看羊録』にも「右手が六本指」、前田利家の伝記『国祖遺言』にも「右手の親指が一つ多く六つもあった」と書かれていますので、秀吉の片手の指が六本あったというのは、おそらく本当のことでしょう。これは「先天性多指症」と思われますが、そのことでもって、周りから、好奇の目で見られることがあったかもしれません。そしてその事は、秀吉の人格形成に影響を与えた可能性もあります。

 様々な劣等感を有していたと思われる秀吉ですが、彼はそれをどのように跳ね返したか?「皆が見るとおり、予(秀吉)は醜い顔をしており、五体も貧弱だが、予の日本における成功を忘れるでないぞ」(フロイス『日本史』)との言葉を秀吉は残したとされます。身長は低く、不細工かもしれないが、そんな自分でも、ここまで出世した、どうだ! という秀吉の自負が感じられます。

 この秀吉の言葉を聞くと、劣等感を持ちながらも、その劣等感をそのまま受け入れ、しかし、それをバネにして(いつか、見ていろ)という想いで、秀吉は出世街道を走ってきたのではないか。私はそのように感じています。

 私事で恐縮ですが、私は出生時に約400グラムといういわゆる「超未熟児」として生まれました。そのことも関係あると思われますが、私も身長は150センチ前半と低いままです(秀吉の身長も一説によると、150センチ台だったと推測されています)。生まれたばかりの時に、喉に管を入れていたということもあり、声も掠れています。

 少年期、思春期にそうしたことを若干、コンプレックスに感じることもありましたが、そうしたこと(身長の低さ等)は自分ではどうすることもできません。であるならば、そのことをあれこれ考えてみても仕方がない。現実をそのまま受け止めて、前に進むしかない。元来が楽天的な性質ということもあるのかもしれませんが、そう考えて、自分の好きなことに精を出してきたように思います。

 おそらく、若い頃の秀吉もコンプレックスに負けずに、それを受け入れて、生きるための仕事を日々、懸命に行っていたのでしょう。

(主要参考文献一覧)
・桑田忠親『桑田忠親著作集 第5巻 豊臣秀吉』(秋田書店、1979)
・藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社、2007)
・服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社、2012)
・渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』(洋泉社、2013)
・濱田浩一郎『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス、2022)

筆者:濱田 浩一郎

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