医者に公認会計士も…戦力外、引退後に難関突破へ挑んだ元プロ野球選手列伝

12月30日(月)21時0分 ココカラネクスト

 年末の風物詩といえば「戦力外通告」のドキュメンタリー番組です。

 華やかなスポットライトに照らされたプロ野球の「影」の部分をフィーチャーした人間ドラマ。トップアスリートとして、生き馬の目を抜く世界で勝ち上がってきた男たちが、クビを宣告され、理想と現実にどう折り合いをつけていくのか−。

 緊張感あふれる展開に引き込まれる方々も多いことでしょう。

難関突破へ挑んだ元プロ野球選手


 しかしそもそも、ドラフト会議で指名を受けてプロ野球選手になれた時点で、その人には身体能力とともに、創意工夫しながら努力を重ねられる才能があると断言できます。減少しているとはいえ、野球の競技人口はものすごい。心技体が備わっていなければ、世代のトップに躍り出ることはできません。

 そんな人間力を「第二の人生」にも活かして、難関突破へ挑んだ元プロ野球選手を探ってみました。

【公認会計士】

 元阪神投手の奥村武博さんは引退から12年後の2013年、34歳で公認会計士試験に合格。17年に公認会計士登録し、日本初のプロ野球出身の公認会計士になりました。

 岐阜・土岐商業の出身。同校では日商簿記検定二級の合格が目標となっていて、高校時代は野球に熱中する一方、簿記の勉強にも取り組んだことが、セカンドキャリアに会計士を選ぶきっかけになりました。

 けがに泣き、一軍のマウンドを踏むことはかなわず、在籍4年で戦力外通告。引退後は打撃投手や飲食業などに従事しますが、24歳で一念発起、9年の勉強を重ね、合格率10%ともいわれる最難関を突破したのです。

 現在では本業の傍ら、講演活動や著作を上梓するなど、スポーツ選手のキャリア作りなどについて精力的に情報発信しています。プロ野球選手の底力をいかんなく発揮した好例です。

【司法書士】

 元近鉄投手の桧山泰浩さんは福岡の名門・東筑高校から1985年ドラフト1位で入団しましたが、プロ6年間で一軍出場は果たせませんでした。

 同年のドラフトは「KKドラフト」としてその衝撃が語り継がれていますが、まさにPL学園の清原和博を外した近鉄が「外れ1位」で指名したのが、桧山さんだったのです。

 豪傑がずらりと揃う当時のバファローズの中で、長引いた二軍生活。引退後は韓国プロ野球にも挑みますが、故障で帰国を余儀なくされます。ここで、高卒でも資格が取れることから、司法書士になることを決意するのです。

 合格率3%ともいわれる難関ですが、29歳の時に2度目のチャレンジで合格。97年には司法書士事務所を開業しています。大卒ではありませんが、中学時代、高校時代も一生懸命に勉学へと励み、一定の基礎学力が備わっていたことが、その後の道を切り開くことにつながりました。

【医師】

 1975年に来日し、広島や南海で活躍したゲイル・ホプキンス内野手は引退後、母国のアメリカへと帰り、医大に再入学して整形外科医になったことで知られています。

 そしてこの12月、この秋にDeNAを戦力外となった寺田光輝投手の決断がプロ野球ファンを驚かせました。27歳ながら医師を目指して、医大受験に照準を絞ったからです。

 医師一家に育ち、父も開業医。三重の伊勢高校から三重大学に進学しますが、退学して浪人し、筑波大に進んだ異例の経歴の持ち主です。卒業後はBCリーグ石川に在籍し、2017年のドラフト6位でDeNAに入団しますが、プロ2年間で一軍の登板はありませんでした。

 故障を防止するため、野球の現場と医療関係者の連携が望まれている現在。「元プロ野球投手の医師」が誕生すれば、自身の経験をフルに活かした上で、説得力にあふれた提言を行えるに違いありません。

 27歳の今から受験参考書や問題集をひもとき、勉学に励むとは、なかなかできることではありません。

 そんな道なき道を突き進む、寺田投手のチャレンジに注目していきましょう。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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