生類憐みの令の時代に「犬を殴っても構わない」「鳥獣殺生は自由」とされた特区とは?

2024年2月10日(土)14時0分 ダイヤモンドオンライン

生類憐みの令の時代に「犬を殴っても構わない」「鳥獣殺生は自由」とされた特区とは?

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徳川綱吉と言えば、犬公方と呼ばれ「生類憐みの令」で知られるが、この“不思議”な法令にもさまざまな裏話がある(写真はイメージです) Photo:PIXTA

2月9日公開の映画「身代わり忠臣蔵」。身代わりという独創的な設定のストーリーが話題ですが、実際の史実を見ても「赤穂事件」には様々な謎や裏話・こぼれ話があります。調べてみると日本史の意外な素顔がみえてくるかもしれません。そこで今回は『9割が答えに詰まる 日本史の裏面』(青春出版社刊)から、赤穂事件とその時代を中心に教科書に載らない歴史の裏面について抜粋して紹介します。

赤穂浪士の襲撃を吉良上野介はどの程度予測していた?

 小説や映画によれば、吉良家は、赤穂浪士の襲撃に対して、相当に警戒していたことになっている。

 しかし、そうした設定はフィクションであって、じっさいには、ほとんど警戒していなかったとみられる。

 というのも、赤穂側の前原伊助と神崎与五郎が偵察のため、吉良邸裏門のすぐ近くに米屋を開いても、疑う様子はまったくなかった。そればかりか、多くの赤穂浪士が邸宅の周りを歩き回っても、何ら対処した形跡がない。

 さらには、吉良邸の板塀の一部が壊れ、屋敷内が丸見えだったという記録もある。そんな穴すら修繕しなかったのだから、吉良側は、無警戒に近かったと言わざるをえない。


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