大谷翔平のスゴさは二刀流でも、50-50でもない…「ルールは守るもの」と考える日本人に彼が教えてくれたこと
2025年1月11日(土)8時15分 プレジデント社
米大リーグ、ロッキーズ戦で54号3ランを放ったドジャース・大谷翔平。打点は130となった=2024年9月27日、デンバー(共同) - 写真提供=共同通信社
写真提供=共同通信社
米大リーグ、ロッキーズ戦で54号3ランを放ったドジャース・大谷翔平。打点は130となった=2024年9月27日、デンバー(共同) - 写真提供=共同通信社
■ルールは「守るもの」ではなく「変えるもの」
「Ohtani rule」って知っていますか? 大谷翔平選手が、アメリカの大リーグのルールを変えました。
投手としては途中降板した試合でも、打者として(他のポジションの守備につかない形でも)試合に出続けて良い。
以前はこのルールはなく、大谷翔平選手のためにできたため、アメリカでも「Ohtani rule」と呼ばれているそうです。20代の日本人が、本場アメリカのメジャーリーグのルールを変えたのです。これからの時代に必要なのはこういうことだと思います。
「ルールって、何するもの?」私は環境活動家として、約15カ国で講演をしてきたのですが、日本の学校講演で、この質問をすると、こう返ってきます。「ルールは守るもの」もちろん、それも間違いではないでしょう。
一方で、海外の学校講演ではこうも返ってきました。「ルールは変えるもの」。ドイツでも、ルールは「守るもの」であると同時に、自分が行動して「変えるもの」と教わるそうです。
もちろん、「ルールを破る」というわけではなく、適切な方法で、自分が力をつけ、行動して。スウェーデンの小学校の教科書には、そのために勉強して力をつけることが必要だとすら書いてありました。ルールは「正義」とは限らず、昔の人の都合だからです。
■沈黙は「容認」である
南米を始め海外を転々としていますが、デモを見た回数は1回や2回ではないです。「ルールを変えよう」であったり、「給料が低すぎて生活ができないから上げよう」であったり。私はメディアも巻き込みながら、必死に変えるための行動を続けています。
実際に、海外諸国の物価は、私が住んでいた頃に比べて大幅に上がっていますが、それを上回るようなスピードで賃金も上がっているそうです。「このままだと日本人は海外に行けなくなる」と言われていますが、それを肌で実感することもしばしばです。
日本では「ルールなのだから守りなさい」と言って、理由も説明されないまま、守ることだけを強要されることもあります。だけどこれは、一種の思考停止だと思います。そして結局は、黙って従う人が大多数だからおかしなルールでも残り続けます。
陰では不満を言いながら、公には声をあげず、逆に声をあげている人を変な人扱いする。変えられるのも自分。黙って従うことで変えないことに賛同しているのも自分。
「沈黙は容認」です。ルールは「守るもの」ではなく「変えるもの」。これからの日本では、これらをアイコトバにしていく必要があると本気で思っています。
■「他人」より「自分」に矢印を向ける
ある日、母より「英雄と凡人の違い」という言葉が送られてきました。
“「英雄」は、自分にできることをただやっただけの人で、「凡人」は、自分にできもしないことを妄想しながら、自分にできることすらやらない人。”
とても腑に落ちました。誰かや何かのせいにして、耳をふさぎたくなる、グチを並べる人がいます。そういう人に限って、「自分にできることはすべてやりましたか」と聞くと、必ずやっていないです。人間の悩みは、大きく分けてこの4つだと言われています。
①健康
②仕事
③人間関係
④お金
そしてどの悩みもたいてい、「できないことがあるから」ではなく、「できることをやっていないから」起きると思います。できることをたんたんとやることも、それを人に協力してもらうことも、確かに簡単ではありません。だけどそのために、私が大切にしていることがあります。
「正しさ」より「楽しさ」を
「強要」より「共感」を
「完璧」より「前進」を
「評価」より「感謝」を
「グチ」より「希望」を
「他人」より「自分」に矢印を
そして何にも増して「行動」を
自分の人生にしろ、社会にしろ、本気で「変えたい」のであれば、これを心がけたほうが良いと思います。多くの人は、心の底から「変えたい」のではなく、ただただ「言いたい」だけなのかもしれません。だからこそ、これに徹することができたなら、あなたは現状を打破する希望になれると思います。
『自分に嫌われない生き方』より
■大きな挑戦ほど、失敗の確率は高い
アインシュタインの話でこんな話があります。
アインシュタインが学生の前で、黒板にかけ算を書いていく。9×1=9、9×2=18、9×3=27 ……そして9×10のところで、91と書いた。学生たちは、アインシュタインのその間違いを笑った。それを見て、アインシュタインはこう言った。
「私は、9個の問題を正しく書いた。だけど君たちは、それを讃えようとはしない。そしてたった1個の間違いを笑っている。」
こういう話や名言といったものは、偉人の名前が使われているだけで、それが本当かわからないことが多いです。ただ、これが本当にアインシュタインが言ったものであったとしても、そうでなかったとしても、私は内容に共感します。
今の日本は、挑戦の難易度がとても高いように感じます。挑戦する前から「ムリだよ」と呪いの言葉を連呼され、挑戦して失敗しようものなら「ほら見ろ」と笑われる。成功したところで嫉妬される。
イギリスにいたとき、何かに挑戦しているというだけで劇的に褒められたことが、恋しくなるときもあります。挑戦が大きなものであればあるほど、失敗する確率も上がります。だから「失敗するよ」と言えば、その言葉が当たる確率は高いに決まっています。それに、人のやっていることにケチをつける理由のほとんどは次のどれかに当てはまるでしょう(ごくまれに建設的な意見もあるとは思います)。
①行動しない自分を正当化したい
②注目を浴びているものへの嫉妬に狂って足を引っ張りたい
③自分の人生に不満だらけで憂さ晴らしのサンドバッグを探している
④挙げ足をとることで優越感に浸りたい
⑤とにかく何にでもケチをつけないと気がすまない
⑥別の正義に自分の正義を叩きつけたい
⑦ヒマ
■人にケチをつける行為は、自分の首をしめることになる
ロクでもないと思うし、そういう人に限って、自分は何もしていません。人に求めるなら自分がやればいいのではないでしょうか。
日本には古くから伝わる素敵な教えがたくさんあり、その1つに薩摩藩に伝わる「漢(おとこ)の順序」という教えがあります。
『自分に嫌われない生き方』より
英語には「音の鳴っているタイヤしか油を差してもらえない」といった言葉があります。「主張をしないと何も得られない」という教えです。今の日本はまるで、「漢の順序」の二と五が入れ替わってしまったように見えます。
挑戦して失敗することがまるで恥ずかしいことで、それを上から目線でバカにすること(冷笑)がまるで優れていることのよう。ネット上だけでなく、リアルでもそうなっていっていると思います。「減点方式」のなれの果てなのでしょうか。
谷口たかひさ『自分に嫌われない生き方』(KADOKAWA)
人間なんて完璧ではないのだから、人にケチをつけるなんて誰でもできます。こんな社会では「何もしない」が正解になり、「ゼロリスク思考」人間がどんどん増殖してしまいます。その行き着く先は何の変化も変革も成長もない、ただただ堕ちていくだけの社会。そんな冷笑文化に侵された社会に、先があるのでしょうか。
ですから、人にケチだけつける行為は、自分の首をしめているようなものです。人間だから、人のやっていることが気に入らないこともあります。だけどその足を引っ張りたくなったら、自分が堕ちた証拠。人のやることにケチつけるヒマがあったら、自分の人生を良くすることに時間とエネルギーを注ぎたいものです。
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谷口 たかひさ(たにぐち・たかひさ)
環境活動家・実業家・作家
1988年大阪生まれ。10代で起業し、イギリスへ留学。卒業後、アフリカのギニアで学校設立に携わり、メガバンク/M&A/メディアのコンサルタント、グローバルIT企業の取締役を経験した後、ドイツへ移住し、起業。2019年、ドイツで気候危機の深刻さを目の当たりにし、現在も気候危機に関する講演を続けている。
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(環境活動家・実業家・作家 谷口 たかひさ)