音楽の楽しみ方を変えたソニーの「ウォークマン」は、いかにして一大ブームとなったのか?
2025年1月10日(金)4時0分 JBpress
アダム・スミスが提唱した“神の見えざる手”に代表されるように、元来、経済学の世界は「人間は合理的に行動する」ことを前提としている。ところが生身の人間がつくる経済社会においては、必ずしも合理的とは言えない行動が数多く存在しており、心理学的アプローチを踏まえて人間の経済活動を分析する「行動経済学」が、近年ビジネスにおいて注目されるようになってきた。本連載では『悪魔の教養としての行動経済学』(真壁昭夫著/かや書房)から、内容の一部を抜粋・再編集。AI研究にも生かされ始めている行動経済学の視点から、良くも悪くも人間の意思決定に影響するマーケティング戦略について考察する。
第3回は、1979年に誕生したソニーの「ウォークマン」の事例を紹介。ヒットやブームを生み出す企業に求められる条件や、マーケティング戦略について見ていく。
音楽鑑賞の常識を変えた「ウォークマン」
——群集心理を高めてヒットやブームを生み出す5つの条件
企業が収益を増やすためには、自社の製品やサービスを使いたいと思う人たちを増やしていくことが大切だ。
価格が高かったとしても、「あの会社の、あの商品はどうしても欲しい」という人々の欲求を生み出し、それを高めることができれば、企業の業績は拡大するだろう。
行動経済学の観点から考えると、ユーザーを増やし、群集心理(ハーディング現象)を高めることがブームの実現には大切と考えられる。企業や商品のファンを増やすことによって、ブームが起きるのだ。
象徴的なヒット、ブームの例は、ソニー(現ソニーグループ)の「ウォークマン」だ。1979年に登場したウォークマンは、世界の人々の音楽の楽しみ方を変えたように思う。ウォークマンが登場する以前、人々は居間にステレオセットを設置するなどして音楽を鑑賞した。音楽は、再生機器が置かれた部屋で聴くのが当たり前だったのである。
ウォークマンの登場で、外出先や散歩をしているときなど、好きなときに高音質で音楽を楽しむことができるようになった。場所や時間を選ばず、良い音で好きな曲を聴きたい人は、ウォークマンを購入した。ウォークマンの使い勝手の良さを見聞きし、私も欲しいと思う人は増えた。音楽鑑賞の常識が変わったのである。
ウォークマンを使う人が増えると、イヤホンやケースなど関連するアクセサリーの需要も増えた。ユーザーが増えると、ウォークマンを欲しいと思う群集心理が高まる。群集心理を刺激することで、ウォークマンはヒット商品となり、ブームが起きたのだ。
そのために必要なのは、新しい発想を実現しようとする企業家のマインド(心)だろう。オーストリアの著名な経済学者、ヨーゼフ・シュンペーターは、企業家の重要な役割は、新しい結合を生み出すことだと説いた。
結合の形態をシュンペーターは5つにまとめた。
①新しいものを作る(プロダクト・イノベーション)、②新しい生産方法を導入する(プロセス・イノベーション)、③新しい販売先を生み出す(マーケティング・イノベーション)、④新しい素材や半製品(部品など)を手に入れる(マテリアル・イノベーション)、⑤新しい組織の実現(オーガニゼーショナル・イノベーション、既存の組織を打破して独占や寡占に対応する組織を作る)の5つだ。
企業がイノベーションを遂行し、新しいモノやサービスのヒット、ブームを目指すために、行動経済学の群集心理などの知見は役に立つと考えられる。
需要をつかむためにコンセプトを明確化
——自社の存在意義を理解して世界有数のゲーム会社に成長
ブームを生み出すために大切な方策の一つは、人間の欲求を深掘りして考えることだろう。欲求は多種多様だ。余暇を充実させたい、おいしいものを食べたい、かっこいい洋服を着たい、高級自動車や時計を買って自慢したいなど、際限がない。止(とど)まることを知らない人間の欲求をつかむ企業の成長によって、資本主義経済は成長しているともいえる。
潜在的な需要をつかむことは、消費者が好き(欲しい)と思うモノやコトを生み出すことに言い換えることができる。そのために、経営者は事業のコンセプトを明確化する。
わが国のある企業は、元々、花札やトランプなどのカードゲームを製造していた。高度経済成長期に入って家庭にテレビが普及すると、カードゲームの売れ行きは伸び悩んだ。そんなある日、当時の経営トップは、従業員にこれまでにはない新しい玩具のアイディアを募った。この時点で経営者は、自社の存在意義は「面白いことを増やすこと」(遊びの創造)と明確に理解していたようだ。
同社は、経済成長によって週末の百貨店などを訪れる家族連れが多いことに着目した。そのときに流行っていたのが、ゲームセンター(ゲーセン)向けの大型のゲーム機(アーケードゲーム)だった。新しい遊びに、人々は魅了されていた。
同社は、業態を転換し、アーケードゲームを小型化し、ポータブルゲーム機、家庭用のテレビゲーム機を開発した。面白いことを増やすことが自社の存在意義であるという明確なコンセプトの下、同社はテレビゲーム事業での成長を目指した。
世間が驚くようなユニークなキャラクターを生み出し、のちに人気シリーズとなるゲームソフトを発表した。他社にソフトの製造を委託することで、ゲーム(ソフト)を増やして多彩なラインナップとし、常に新しい遊びを提供した。そうすることで、ユーザーに飽きられてしまうことを避け、ゲームにどっぷりと浸れる世界を目指した。
周囲がゲームを楽しむ姿を見て、自分も同じ体験をしたいと、ゲーム機を欲しいと思う人も増えた。面白いゲームを満喫したいという欲求は万国共通だろう。群集心理の高まりとともにゲーム機やソフト、関連グッズの売り上げは増加し、同社は世界有数のゲーム会社に成長した。
このように世界的なヒットやブームを巻き起こしている企業は、需要をつかむためにコンセプトを明確化していることが多い。いったん需要という鉱脈を見つけると、イベントの開催や他業種とのコラボ企画によって、自社商品と消費者が触れ合う場を増やしていく。キャラクターの魅力を活かすため、映画などを活用することもある。
コンセプトを明確化することは、消費者にとって選択肢が多すぎて選べないという状況を避けることにもつながるだろう。需要が生み出されると、各種のマーケティング戦略を実行して、人々に自社製品への憧れを抱かせ、群集心理を刺激する。
成功している企業ほど、行動経済学の理論を実践していることは多いと考えられる。さらに行動経済学の主要な理論を学ぶことで、消費者側からも考えることができ、企業のマーケティング戦略からあなたの身を守ることにもつながっていくのだ。
<連載ラインアップ>
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■第2回 ネットフリックスの“おすすめ”に、なぜ人はつられてしまうのか? ビッグデータが刺激する消費者の潜在意識とは
■第3回 音楽の楽しみ方を変えたソニーの「ウォークマン」は、いかにして一大ブームとなったのか?(本稿)
■第4回 なぜ「推し活」でファンが増えるのか? 群集心理を巧みに突く消費者参加型ビジネスの戦略(1月23日公開)
■第5回 「バンドワゴン」「スノッブ」「ヴェブレン」…企業のマーケティング戦略で押さえておくべき3つの消費者心理とは?(1月30日公開)
■第6回 SNSが変えた消費者の行動様式、フリマアプリとシェアリング普及の背景にある“5つのA”とは?(2月6日公開)
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筆者:真壁 昭夫