野球でもサッカーでも音楽活動でもない…意外にも20~30代男性社員が夢中になる「社内部活動」の名前

2025年1月31日(金)16時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yagi-Studio

仕事で成果を上げるためにはどうすればいいのか。日本文化の魅力を発信しているブランドプロデューサーの梅澤さやかさんは「社内に華道部を作った投資会社の社長がいる。いけばなを通して社員それぞれにリフレッシュや創造性が得られたそうだが、本当はそれ以上の良いメリットがあったと話す」という——。

※本稿は、梅澤さやか『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/Yagi-Studio
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■なぜ社内に「華道部」を設立したのか?


〈稽古〉が実際の仕事に役立つという意見を聞くと、「何となく理解できるが説明はできない」と思われるか、「両者はあまりにもかけ離れていて結びつかない」と感じるのが普通でしょう。


また〈稽古〉という言葉には、昔ながらの厳しい上下関係や精神修養のイメージがあり、「時代遅れの価値観や方法論ではないか」と思う人もいるかもしれません。


一方、実際に稽古をしている人には、稽古が仕事に活かされているという感覚を持っている人が多いと思います。


〈稽古〉をすることで仕事によいことがあるとしたら何でしょうか。現代、そしてこれからの時代に〈稽古〉をやる意味はあるのでしょうか。実際に稽古をしている人の体験談から探っていきたいと思います。


投資会社の社長Kさんが、社内に「華道部」を設立してから10年が経ちます。


部活に参加しているのは、20代から30代の若手社員です。これまで花をいけることなど考えたこともなかった男性社員も、いざ花の稽古を始めると夢中になるのだとか。これまで長く部活を続けていた社員の中には、会社を退職しても稽古には通ってくる部員が多いそうです。


投資会社の仕事とは、市場を分析し、新しい事業に資金を提供し、戦略的な経営支援を行うことです。週末に各自好きなことをやるならともかく、平日の夜に「そんな悠長なことをしている暇はない」と考えそうですが、なぜ会社に「華道部」を設けたのでしょうか。


■華道を通して得られた気づき3つ


Kさんに尋ねたところ、長年、花の稽古をしてきて気づいた仕事へのよい影響を3つ教えてくれました。


1つ目は、社員の精神状態をより深く理解できるようになったことです。


いけばなをしている姿をみていると、「いま、いい状態だな」とか「少し悩んでいるな」などの状態がわかるため、わざわざ面談をしたり声をかけたりするよりも、リアルタイムで部員の状態を把握してフォローできるようになったそうです。


2つ目は、稽古そのものがそれをする人にとってリフレッシュ効果を持つということです。


仕事で行き詰まっている部員も、稽古をしている経過で自然と心を立て直して元気になるのだとか。仕事での悩みを引きずらず、短時間でマインドを整理することにつながっているようです。


3つ目は、クリエイティブな作業を通じて創意工夫の力が養われることです。草花をいけるという芸術的な活動が、仕事での発想や柔軟な対応力の向上に結びついているというのです。


■心が落ち着いた茶室への露路


Kさんの会社がある南青山のビルは、一見すると要塞のような印象を与えます。


10階建ての無機質なガラスとコンクリートの外壁は、周囲の街並みとは一線を画し、威圧的な存在感を放っています。窓は小さく、深い陰影をつくり出し、内部を覗き見ることを拒んでいるかのようです。


しかし、内部に一歩足を踏み入れると、その印象は一変します。吹き抜けを中心とした回廊が広がり、スペインのヴィラのように明るく、京都の町屋のような心地よい風通しを感じさせます。投資会社が入居しているとは思えないほどで、まるで自宅にいるかのようにくつろげる空間が広がっています。


ある日、用事で訪れた私をKさんが案内してくれました。ビルの回廊を歩き、ひとつの扉の前で立ち止まったとき、Kさんが静かにその扉を開けました。そこに現れたのは、狭い茶室へと続く細い露地でした。先ほどまでの開放的でカジュアルな雰囲気は一変し、澄んだ空気と集中した雰囲気に包まれました。しかし、そこには重苦しさはなく、むしろ心が静まるような穏やかさがありました。


■洗練された空間内で感じた著者の変化


室内の露地に敷かれた飛び石をつたって進むと、茶室が目の前に姿を現しました。小さな躙り口(にじりぐち)から茶室に入ると、そこには四畳半ほどの空間が広がっています。床の間には菊や秋草がいけられ、紅葉の描かれた掛け軸が掛けられていました。天井は低く、小さな窓から漏れる柔らかな光が畳の上にやさしい陰影をつくり出しています。


露地から茶室に向かうあいだに、それまで私の頭のなかにあった考え事は霧が晴れるようにすっと消え去っていき、ここは現代の東京なのか、はたまた時が流れているのかさえ覚束ない不思議な感覚になりました。


オフィスの一角にある茶室で花の稽古が行われている様子を見て、私のなかにあった稽古に対する否定的なイメージが徐々に薄れていきました。それまでは、稽古を時代遅れなものと見なしていましたし、仕事とは結びつかないものだと思っていました。しかし、このような洗練された空間での稽古が、むしろ新しい仕事環境をつくり出しているように感じられたのです。


■稽古は求められていることを考え、行動力を養える場


Kさんは私の様子を察したのか、穏やかな口調で話し始めました。


「〈稽古〉は、単なる伝統の継承ではないのです。稽古は心と技と体をつかって深く考えて動けるようになるための普遍的な方法論なのです。稽古は人の心と体のシステムに対する先人の研究実践がもとになっている、と私は考えています。ですから、時代に関係なく活用できるはずです。


〈稽古〉には『稽(かんが)える』という言葉が入っています。『古いことを考える』と書いて〈稽古〉と読みますよね。古(いにしえ)から継がれてきた技の本質を考えて、いまなすべきことを見つける。非常に創造的なニュアンスが〈稽古〉という言葉から読み取れます。今、自分に何が求められているのかを考えて行動する力を養う場が〈稽古〉でもあるのです」


その言葉を聞いて、私は〈稽古〉と仕事の関わりについて、新たな視点を得た気がしました。茶室や花の稽古が、最新のオフィス環境のなかに違和感なく溶け込んでいる様子を見て、伝統と革新が融合する可能性を直感しながら質問を続けました。


写真=iStock.com/Kanawa_Studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kanawa_Studio

■なぜスポーツでも楽器でもなく「稽古」なのか


「〈稽古〉がどのように仕事と結びついているのか、少しずつ理解できてきました。もう少し深く掘り下げて考えるために、あえて反論させてください」と私は切り出しました。


「先ほど教えてくださった3つのよい影響は、必ずしも稽古に限ったものではないように思えます。たとえば、人の状態を把握するという点では、スポーツでも同じことが言えるでしょう。気持ちの切り替えについても、好きなことをしたりリラックスしたりすれば自然とそうなるものです。創造性の向上に関しては、ギターなどの楽器の練習でも同様の効果が得られるのではないでしょうか」


Kさんは私の質問を熱心に聞いてくれました。そして、答え始めました。


「鋭いご指摘ですね。たしかにその通りの部分もあると思います。私が最初に述べたメリットは、一般的にビジネスをする人にとって感じられるプラスの側面ですし、稽古をしているとその効果を強く実感するのも事実です。ただ、私を含めた社員全員が、稽古にそれ以上の魅力を感じて傾倒している理由を考えてみる価値がありますね」しばらく考えたあと、Kさんは続けました。


■スポーツや楽器とは異なる「華道」の魅力


「私たちがやっている花の稽古のなかで、スポーツや楽器の練習とは異なる要素を考えてみると、生命そのものを扱うという点が挙げられます。日本文化で飾られ楽しまれてきた『花』は、物理的に花のかたちをしたものに限られません。日本には、花に人生や心のうつろいを重ね、生命サイクルそのものを生々しく感じ取っていた感性があったと私は思います。


春になると植物が芽を出し、やがて蕾をつけて花が咲きます。夏には緑の葉が生き生きと茂り、秋には紅葉し、やがて枯れていきます。次の年が来るとそのサイクルをまた繰り返していくようでいて、二度と同じ花は見られません。人が花を見て美しいと思ったその瞬間は、実はほんの一瞬も留めておけないのです」


Kさんは少し間を置いて、さらに説明を続けました。


「その一瞬の美しさを捉えて花をいけるには、花の状態を細心の注意を払って観察し、最適なタイミングを見極めることが求められます。たとえば、いけたあとにちょうど見頃を迎える花を選ぶことや、いけたあとも花がしおれたり枯れたりしないように適切な水揚げを行うことなど、こうした技術はもちろん重要です。しかし、それ以上に大切なのは、花と一体になり、花を通して自然のリズムを感じる力です」


■花の稽古の真髄とは


「技術の進歩だけを追求すると、『枯れない花が最良』という結論に達するかもしれません。さらにそれを極端に進めると、遺伝子を科学的に改変して枯れない花をつくる方向に進むでしょう。


しかし、枯れない花に、私たちは生命力を感じることができるでしょうか。生命力のない花に見た目以上の美しさがあるでしょうか。これは花の本質にかかわる問いです。


生命情報システムは、自動的にエネルギーを取り込み、それを化学変化させて栄養とし、不要なものを新陳代謝するという自動システムで成り立っています。その精密なシステムに無知な者が手を加えると、うまく機能しているシステムに歪みやバグが生じるのは当然ではないでしょうか。


実際に市場に流通する花は、極力枯れないことを目的にした商品としての花です。それらは利便性から需要がありますし、その機能を否定するわけではありませんが、日本で人々が生活とともに楽しんできた花とは違うということは、日本文化のあり方として知っておいたほうがよいと私は思います。


花の稽古を通じて感じるのは、花の美しさがそのうつろう姿そのものにあるということです。一瞬の輝きと、やがて訪れる衰退。しかし、その花が枯れたあとにも種子が落ちてまた生命は続きます。この自然の循環を受け入れ、その中に美を見出すことが、花の稽古の真髄だと思います。だからこそ、私は花が生命サイクルそのものを表していると考えます。技術は大切ですが、それは自然の摂理を理解し、その一部になりきるための手段にすぎません」


■自然の循環を知っておくと、新しい視点が持てる


「人生も同様です。誕生から青年期を経て、成熟し、老いて死んでいきます。誰もがその真実を知っているはずですが、日々の生活や仕事のなかでそれを実感して生きている人は少ないでしょう。


多くの場合、自分が病気になったり、身近な人の死に直面したりしてはじめて、時の流れと環境との関わりの中で活かされている自分を意識します。花に向き合うことで、私たちは自然と人生を同じものとして感じる感覚を身につけることができます。



梅澤さやか『エグゼクティブはなぜ稽古をするのか』(クロスメディア・パブリッシング)

うつろいゆく自然と自分がひとつとなる。この感覚を養うことに、日本の花の稽古の本質があるように私は感じます。


このような認識をもちながら日々を過ごすと、自然や人との関わりのなかで新たな気づきが生まれます。そこから生み出される仕事は、現代社会に適応しながらも自然と調和した、より深い意味を持つものとなるでしょう。


つまり、花の稽古を通じて得られる洞察は、私たちの生き方や働き方に新たな視点をもたらし、よりよい人生と仕事の実現につながると思うのです」


Kさんの説明から、花の稽古が単なる技術の習得を超えたものであることが伝わってきました。


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梅澤 さやか(うめざわ・さやか)
ブランドプロデューサー
カルチャーマーケティング・コンサルタント。KAFUN代表。慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学卒。19歳から世界的な写真家・荒木経惟の専属モデルを務め、芸術的な環境に身を置く。凸版印刷株式会社マーケティング本部 消費行動研究所を経て独立し、国際広告賞などを受賞。30年近くにわたり、芸術・デザイン・ファッションを通じたブランド戦略に多数関わる。知識とリアルな体験を融合してたどり着いた「カルチャーマーケティング」の手法を用いて、ブランドの背景や特徴を分析。人々のライフスタイルや価値観との関わりを読み解き、ブランドの過去・現在・未来を貫く価値を見出し、最適なポジショニングを導き出す戦略からブランド・プロデュースを行っている。現在はジャパンブランドや伝統文化の海外展開を視野に入れたリブランディングやラーニング企画に力を入れている。
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(ブランドプロデューサー 梅澤 さやか)

プレジデント社

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