「子育て支援」は最優先の課題ではない…少子化対策で「子育てが重視される社会」を目指すべきではない理由

2024年2月7日(水)15時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/west

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少子化を止めるにはどうすればいいのか。立命館大学の筒井淳也教授は「少子化の根本的な原因は未婚化にあるので、子育て支援は少子化対策にはならない。子供を育てやすい社会を目指すのではなく、若者が結婚しやすい社会を目指すべきだ」という——。

※本稿は、筒井淳也『未婚と少子化 この国で子どもを産みにくい理由』(PHP新書)の一部を再編集したものです。


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■「子育て支援」は少子化対策になるのか


2023年4月1日に発足した「こども家庭庁」だが、設立に向けた直接の発端は2021年、菅義偉(すがよしひで)政権下で「こども庁」の設立が検討されたことであった。その後、名称として「こども家庭庁」が提案され、2022年6月に国会で設立が可決された。以降、こども家庭庁が少子化対策の「司令塔」として位置づけられることになった。


新たな体制では、これまでの「少子化社会対策大綱」「子供・若者育成支援推進大綱」および「子供の貧困対策に関する大綱」の三つの大綱は、「こども大綱」として一つに束ねられることになった。こうなると、有識者が中心となって少子化対策の柱としてこれまで提案されてきた若者、あるいは独身者への支援が後景に退いてしまうのでは、という心配をしたくなる。こうなってしまうと、少子化対策は後退してしまう可能性さえある。


当然と言えば当然だが、結婚し、子どもを産み育てるのは大人である。生まれた子どもを支援することはたしかに間接的には子育てをする大人を支援することにもつながるが、特にまだ子どもをもっていない独身期の生活支援などについては、両者は重なるところが小さい。


考えてみてほしい。「児童手当を拡充します」と政府が発表したとき、結婚に踏み出せない若者が「じゃあ誰かと出会って結婚できる!」と考えるのかと言えば、多くの場合そうはならない。こども家庭庁のスローガンは「こどもまんなか社会」である。しかし、そもそも子どもを大事にすることと少子化対策は、関連はするがイコールではないことを忘れるべきではない。


■「子ども中心」だからこそ出生率が低下する


まず、「子ども中心」のつくり方は一つではない。


極論だが、「大人は仕事や楽しみを含む自分の人生を犠牲にして子ども中心に人生を考えるべき」という方針で政策を推し進めれば、「子ども中心社会」になる。しかし、こういう社会づくりに人々は合意しないだろう。


写真=iStock.com/kohei_hara
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子どもをもつのは、政府でも企業でもなく個人あるいは家族・世帯である。「子ども中心」が負担になるくらいなら、人々はむしろ「子どもをもたない」という選択をするかもしれない。それでも、非常に限られた人だけが子どもをもち、その子どもたちが社会的に重視される社会は、立派に「こどもまんなか社会」である。そしてこの「こどもまんなか社会」は、極端な少子化社会である。屁理屈(へりくつ)に聞こえるかもしれないが、あり得なくはない。


そこまで極論を展開するまでもなく、子どもを大事にする社会が「多子社会」ではないことは家族社会学者にとっては常識だ。むしろ子どもを大事にするようになったことが、出生率低下の一つの要因なのである。家族社会学では、子どもや子育てが家族において重要な関心事になったのは近代化以降であるという見方をする(*1)。


(*1)落合恵美子(2019)『21世紀家族へ:家族の戦後体制の見かた・超えかた』第4版(有斐閣)


■「子ども中心主義」になったのは近代以降


近代化以前は、高い乳幼児死亡率もあり、親は現在ほどの強い愛着を子どもに持たなかった。幼くして死んでしまった子につけた名前を、次に生まれた子につけることも多かったが、この習慣はそれぞれの子のかけがえのなさ、個別性を重視する現代の親の心理からすれば理解しにくいだろう。


子育てにしても、必ずしも親が親身に行うとは限らず、乳母に預けたり、共同体の中で奔放に育てたりすることもあった。ある程度大きくなったら、他の家に奉公に出すことも当たり前に行われていた。


社会が近代化するにつれて、経済的生活水準が上がり、かつて行われてきたように、遺棄といったかたちで生まれていた子の数を調整する必要性も減る。医療・公衆衛生や栄養状態の向上もあり、乳幼児死亡率が下がる。生まれた子が無事成人する確率も格段に高くなった。生後1年未満の乳児死亡率は、1899年(明治32年)には人口1000人あたり153.8人だったが、現在では2人程度である。ちなみに乳児死亡率が150というのは、現在のたいていのアフリカ諸国よりも高い数字である。


こうして、親は生まれた子の成長を長期的に見守るようになる。また、子どもの数の減少や教育期間の長期化もあり、「少なく産んで大事に育てる」という意識が浸透する。政府の支援の有無に関わらず、社会はまさに「子ども中心主義」の時代になった。そして子ども中心の価値観が広がっていく中で、さらに避妊などの手段が浸透することで、子どもの数が減ってきたのである(*2)。


(*2)山田は、日本では「子どもにつらい思いをさせたくない」という強い愛情があり、そのことが状況によって出生を減らしてきた可能性を指摘している(山田昌弘〔2020〕『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?:結婚・出産が回避される本当の原因』〔光文社新書〕)


■「子供が重要ではない社会」のほうが子どもは生まれやすい


もちろん、実際に政府が「子ども中心」というスローガンで意味しているのは、子どもだけではなく子育てをする世帯への支援を公的に行うことであろう。ただ、それでもこのスローガンは、少子化対策としてはあまり有効なものではない。


少子化対策で重要なのは、人生を子ども中心に構築することではない。むしろ大人にとって、結婚したり子をもうけたりすることが人生の他の側面にあまり影響しないような社会をつくることこそが肝心だ。逆説的だが、子どもが人生に占める位置があまり大きすぎないような社会のほうが、子どもは生まれやすいと言える。


今さら、前近代社会におけるように子どもが生産力としてあてにされ、「人生にとって子どもが必須」という状態に戻すことは難しい。現代では、仕事キャリアが子をもつことに影響を受けないことが重要になる。しばしば両立支援と言われる政策である。さらに言えば、子どもではなく子育て支援を中心に据えることにも、少子化対策という点では一定の限界がある。理由はすでに述べたように、日本の場合には子をもつことの前の「結婚の壁」がまだまだ大きいからだ。


■結婚「できない」のか「したくない」のか


繰り返すが、少子化対策の重要な鍵の一つは結婚にある。では、なぜ結婚は減ってきたのだろうか。


写真=iStock.com/yuruphoto
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ここで、次のような疑問を持つ人が多いだろう。すなわち、今の若い人は「結婚したくてもできない」のか、それとも「結婚したくない」人が増えているのか、という問いである。実は、この問いに答えるのはそうとう難しい。そもそも、この問いは成立するのだろうか。するとすれば、どういう情報あるいはデータがあれば「答え」がわかるのだろうか。


たとえば、「結婚はしてもいいんだけど、あまり条件のよい相手も見つからなさそうだし、今は結婚したくないかな」といった考え方の人はたくさんいそうだ。ではこの人は、上記の問いならば「結婚したい」のだろうか、それとも「結婚しなくない」のだろうか。


もっと極端な例を考えてみよう。次のように質問したらどうだろうか。「あなたは、以下のような人と現在交際しているとします。ルックスは上々、年収3000万円、仕事は安定しています。家事や育児は完璧にこなしてくれます。性格も優しく思いやりがあり、あなたを大事にしてくれます。数年間付き合ってきて、相性もよさそうです。この人があなたとぜひ一緒になりたいと思っています。あなたはこの人と結婚したいですか」。


自分の主義として「結婚をしたくない」人がいるとすれば、このような絶好の条件でも「結婚はしない」と考えている人のことであろう。


■「いずれ結婚する」と考えている人は減っている


さきほどの例は極端だが、よい条件があったとしても結婚はしたくないと考えている人こそが「結婚はしたくない」人だ、という考え方もありうる。この基準を採用すれば、「結婚したくない」と考えている人の割合はかなり少なくなるのではないだろうか。


このような基準で行われた調査は、日本では私が知る限り存在しない。なぜなら、「よい条件」をどのように設定するかで回答が変わるため、再現性の小さいデータになってしまうからである。何がよい条件なのかは時代によっても変化するため、時代を通じた比較も難しくなってしまう(*3)。


いずれにしろ、「結婚したくない」という選択肢と「いずれは結婚したい」という選択肢は、考えられている以上に違いが曖昧で、重なりがある。そのことを念頭に置いた上でだが、結婚意向の推移を見てみよう。


図表1は、20代前半、20代後半、30代前半の三つの年齢階級について、男女の結婚意向をグラフにしたものだ。具体的には、未婚者を対象とした調査において「いずれ結婚するつもり」と回答した人の割合を示している。データからは、30代前半の女性を除けば、いずれの性別・年齢階級においても基本的には下落傾向であることが読み取れる。


出所=『未婚と少子化 この国で子どもを産みにくい理由

(*3)意識(規範や意欲)が条件に左右されることを踏まえた調査研究の一例として、以下を挙げておく。
Robbins, Blaine G., Aimée Dechter, and Sabino Kornrich (2022) “Assessing the Deinstitutionalization of Marriage Thesis: An Experimental Test” American Sociological Review,87(2):237-74.


■2015年までは結婚意欲が高かったが…


ただ、詳細に見てみれば、1982年(初回調査年)から1997年までは下落、そこから2015年までは安定、最新調査年(2021年)では顕著に下落、という傾向が見て取れる。


2021年調査では結婚意向が下落しているが、報告書では「今回、性別や年齢、生活スタイルの違いを問わず減少がみられたことから(中略)、調査を行った時期の特殊な社会状況が、幅広い世代の意識に影響した可能性も示唆される」とされている(国立社会保障・人口問題研究所「第16回出生動向基本調査結果の概要」より)。


このように基本的には下落傾向が観察できるものの、少なくとも2015年までは結婚意欲は8割を上回っていたことにも留意すべきである。この間、それでも未婚化・晩婚化は進んできたわけで、多くの人は「結婚はしたいが望む結婚ができないのでしなかったのだ」ということになる。


結婚意向が下落した局面も多く見られるが、この下落の意味はデータからはわからない。次に見ていくように、条件がかなわないために結婚をリアルに感じられなくなってきた、という可能性も指摘できる。


■「経済的要因」がミスマッチを生んでいる


そもそもなぜ人々は結婚を遅らせたり、またはそもそも結婚しないようになってきているのだろうか。おそらく一番適切な回答は「さまざまな理由が複合的に重なってこうなった」というものだ。


若者の性行動が不活発化しているという報告もあり、これが結婚行動の後退につながっている可能性がある(*4)。そもそも日本などの東アジア社会では、欧米社会ほど強いカップル文化がなく、これが自由恋愛の時代においてカップル形成にネガティブに影響している可能性がある。


この中で、研究者のあいだで一つの有力な要因として考えられているのは、特に経済的要因に起因するミスマッチである。結婚におけるミスマッチとは、要するに「条件が合う相手に巡り合わない」ことだ。近年では恋愛婚がほとんどであるとはいえ、少なくとも日本では「愛さえあれば結婚する」という状況にはなっていない。相手との相性のほか、やはり仕事や収入が気になるものである。


日本では比較的、性別分業、すなわち「男性が稼ぎ、女性が家のことをする」という分業体制が根強く存在してきたため、特に女性は結婚相手の男性の仕事や稼ぎを気にする度合いが強かった。


(*4)林雄亮、石川由香里、加藤秀一編(2022)『若者の性の現在地:青少年の性行動全国調査と複合的アプローチから考える』(勁草書房)


■「下位婚」を選ばない大卒女性


では、現在に至る少子化が進行してきた中で、女性は結婚に際してどのような選択をしてきたのだろうか。


図表2は、1960年代から2010年代の60年間にかけて、それぞれの年代で女性(16〜39歳)が行ってきた結婚に関する選択を女性の学歴別に見た数値である。


出所=『未婚と少子化 この国で子どもを産みにくい理由

選択肢は三つに分けている。「未婚」は結婚しないという選択である。ここで「上位婚」とは、規模の大きな企業の正社員といった、一般的に好条件の相手との結婚を指す。「下位婚」とはそういった男性以外との結婚である(*5)。たとえばグラフの一番左上の数字「13」というのは、1960年代に高卒の女性は平均して13%「上位婚」を行った、ということを示している(気をつけてほしいが、グラフは70%から始まっている)。全体的に未婚継続という選択肢の割合が増加傾向にあったこともわかるだろう。


注目に値するのは、大卒女性である。ここでは、「下位婚」の選択割合はずっと1%程度であった。この間、増加傾向にあった大卒女性は、徹底して「下位婚」を拒否してきたことがわかる。


(*5)女性が自分より地位が上、同じくらい、下の男性と結婚することをそれぞれ女性上昇婚、同類婚、女性下降婚と言うことがあるが、ここでの上位婚と下位婚の概念とは異なる。上位婚と下位婚の分類についての詳細は、以下の文献を参照。筒井淳也(2018)「1960年代以降の日本女性の結婚選択」荒牧草平編『2015年SSM調査報告書2人口・家族』61│76頁、2015年SSM調査研究会。簡単に言えば、ここでは上位婚とはたとえば大規模企業の正規雇用、下位婚とはそれ以外を指す。また、同様の分析については以下の論文も参照。
Raymo, James M., and Miho Iwasawa (2005) “Marriage Market Mismatches in Japan: An Alternative View of the Relationship between Women’s Education and Marriage” American Sociological Review, 70(5):801-22.


■男性も女性に稼ぐ力を求めている


1960〜80年代にはまだ「上位婚」の割合もそこそこあったのだが、1990年代からは割合が小さくなっている。大学に進学する女性が増え、結婚するならば有利な結婚をしたいと望む人も増えたのだが、これに対してそのような条件を満たす相手(男性)の供給が増えてこなかった。


以上のデータからは、このような結婚市場の変化が透けて見えてくる。所得が結婚と強く結びついていることは、さまざまなデータで示されてきた。図表3は、30代前半の男女について、ある時点の所得額がその後の結婚割合に影響していることを示すグラフである。


出所=『未婚と少子化 この国で子どもを産みにくい理由

筒井淳也『未婚と少子化 この国で子どもを産みにくい理由』(PHP新書)

男性だと、年間所得が500万円以上だとその後、4割以上が結婚しているが、100万円未満だと5%にも満たない状態である。他方で、近年の変化としては、稼ぐ力が結婚に結びつく傾向が、男女双方に広がっている可能性がある。図表3の下を見ると、所得が200万円未満の女性は、その後の結婚の割合が顕著に少ないことがわかる。雇用が不安定化する中で、女性が稼ぎの安定した男性を望むように、男性の側も稼ぐ力を持っている女性を望むようになってきている。


とはいえ、女性の所得は、まだまだ男性の所得ほどには結婚の可能性に対してはっきりとした影響力を持っていない。以上から示唆されることは、安定した所得、あるいはそれをもたらす仕事があることが、結婚にとって持つ意味の重さである。


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筒井 淳也(つつい・じゅんや)
立命館大学教授
1970年福岡県生まれ。93年一橋大学社会学部卒業、99年同大学大学院社会学研究科博士後期課程満期退学。主な研究分野は家族社会学、ワーク・ライフ・バランス、計量社会学など。著書に『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』(光文社新書)『仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』(中公新書)などがある。
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(立命館大学教授 筒井 淳也)

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