「ドカーンと患者さんが来ますよ」「もう、爆発!」と煽る営業…患者は知らない"開業医の意外な資金調達方法"

2024年2月10日(土)6時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/uchar

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資金がいくらあればクリニックを開院できるのか。小児科医の松永正訓さんは「資金はゼロでも大丈夫である。お金を貸してくれて、コンサルタントのように開業までのステップを支える企業があるのだ」という——。(第1回/全3回)

※本稿は、松永正訓『開業医の正体 患者、看護師、お金のすべて』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/uchar
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■資金はゼロでも大丈夫である


資金がいくらあれば開業できるか? これはゼロでも大丈夫である。担保もなしで大丈夫である。少なくともぼくの場合はそうだった。ぼくは19年間、大学病院の医局に在籍したが、開業を決意したときのぼくの貯金はおよそ200万円くらいだった。この200万円を全部つぎ込んでしまうと生活ができないので、自分は開業医になれないのではないかと思った。


ところが、ちゃんとお金を貸してくれる人がいるのである。おまけにコンサルタントのように、開業までのステップをすべて支えてくれる。ぼくがクリニックの経営を安定させれば、貸したお金と利子を回収できるから。言ってみればウインウインの関係だ。


ぼくが開業するまでの経緯をちょっと振り返ってみよう。


開業を決意する数年前に、ぼくは生命保険に加入するために、ある内科クリニックで健康診査を受けた。そのクリニックは自宅から車で30分くらい行った所にあるショッピングモールの中にあった。


クリニックの扉を開けて、まず驚いた。待合室がとても狭い。長椅子が数個並んでいて、そこに患者さんが肩を寄せ合って座っている。すし詰めという感じである。ぼくは自分の名前が呼ばれるまで待合室の隅で立っていた。


看護師さんに呼ばれて診察室に入ると、そこも狭かった。おまけに薄暗かった。医師は、そんなに年配という感じではなく、中堅といった年齢に見えた。簡単な問診と聴診が終わると、その医師は診断書にペンを走らせ始めた。


■「裸足で足、ゆらゆら」にカルチャーショック


ぼくはその様子を眺めていた。そして何気なく視線を下に向けると、あることに気づいた。その医師は素足なのである。サンダルも脱いで、足をゆらゆらさせていた。ぼくはその姿を見てこう思った。


(ああ、この人は、今の仕事が好きじゃない。狭くて暗いビルの一室で、楽しくもない仕事をしているんじゃないかな)


ぼくが大学病院で患者家族と相対するときに、「裸足で足、ゆらゆら」は絶対にない。もっと真剣に患者に接している。言っては悪いけれど、この先生は倦(う)んでいるなと感じたのである。


この光景は強烈だった。当時のぼくは大学病院で最先端の医療をやっていたので、こういう医者人生もあるのかと、ちょっとカルチャーショックを受けた。決して見下したという意味ではなく、違う世界だと感じた。ちなみに、ビルの一角のテナントになって診療所を運営することを「ビル診」という。


■開業コンサルタントも引き受けるリース会社がある


しかし人生、どう転ぶか分からない。体が弱かったぼくは、44歳の春に開業しようと決めた。それしか選択がなかった。その辺の事情は『患者が知らない開業医の本音』(新潮新書)に詳しく書いた。そうすると、自己資金が200万円のぼくは、ビル診しか選択肢がない。土地を買って、建物を建ててなどは、到底できるはずもない。


そうか、あのときに見た先生のように、狭く、暗い所で裸足で診療するのか……と思うと、強烈に憂鬱(ゆううつ)になった。でも諦めるしかない。ビル診でも何でも、とにかくどういう手順で準備をすればいいか全然分からない。そこで友人の開業医たちに、開業するための準備の仕方を教わった。


開業の第一段階は資金調達。医療に特化したリース会社があり、開業コンサルタントも同時に引き受けてくれるということが分かった。ぼくはまずZリース会社の人に話を聞きに行った。


Zリースの支社に行くと3人の若手営業マンがいた。彼らは、いきなりお金の話を始めた。ビルを借りるのにいくら、内装工事にいくら、医療器具を揃えるのにいくら、患者が何人来て収入がいくら……そうすれば何年後にはこれだけのお金がドカーンと貯まりますよという話がどんどん進んでいく。「もう、爆発!」とか煽(あお)ってくる。


写真=iStock.com/takasuu
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■「ドカーンと患者さんに来られても困る」


ちょ、ちょっと。これではまるで洗脳セミナーではないか。ぼくは別にお金が欲しいわけではない。金持ちになりたくて開業医になりたいわけではない。これはちょっと違うなと思い、ぼくはZリースとの話に積極的になれなかった。


自宅に帰って妻と話し合ったが、やはり妻も「儲け話」には興味がなかった。この話は放っておこうと思った。ところがしばらくすると、Zリースからメールが来た。そこにはこうあった。


東京都杉並区で今度新規に産婦人科クリニックを立ち上げる。この地域は、人口に対して産婦人科が少ない。かなりのお産の数が見込まれる。その産科の先生は、1カ月健診をやってくれる小児科の先生を探している。どうですか? その産院の隣のビルで開業しませんか? ドカーンと赤ちゃんが来ますよ。


東京かあ。ぼくは千葉市在住。千葉市から杉並区まで一体どれくらい時間がかかるんだろう。若いうちはいいかもしれないけど、やがて歳を取ったらとても東京まで通えないんじゃないかな。それに、ドカーンと患者さんに来られても困る。ぼくは地に足をつけてゆったりと仕事をしたかった。妻と話し合ったが、その話は断った。Zリースさんとは相性がよくないのかもと思った。


■「建て貸しという方法があります」


先輩の開業医に紹介されたのは、コピー機で有名なR社のRリースだった。Rリース社の営業の青年は夜遅くに大学病院まで説明に来てくれた。フットワークも軽いし、話してみると明朗快活で、若いが自信をみなぎらせている印象だった。


Rリースさんが尋ねる。


「開業までのタイムスケジュール感は分かりました。で、先生はどんな感じのクリニックを希望していますか?」
「希望も何もお金がないので……ビル診しかないと思っています」
「建て貸しという方法もありますよ」


初耳である。


「なんですか、それ?」
「先生が希望の土地を選んで、地主の大家さんにクリニックを建ててもらうんです。そして先生は大家さんに家賃を払って診療するんです。クリニックは先生の望み通りの大きさ、間取りになります。ビル診より楽しく仕事ができますよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。それって一体いくらかかるんですか? 本当にお金がないんです」
「ビル診よりかは少し出費が多いかもしれませんが、自分で土地を買って、自分で建物を建てるよりはるかに安いですよ」


なんと。そんなシステムがあったのか。あの狭くて暗いクリニックが脳裏に浮かぶ。うう、いやだ。穴蔵のような狭いスペースで一生仕事をしたくない。


■借金が返せるくらいは患者さんが来てくれるのだろうか


しかしぼくの心配は、Rリースさんに借りたお金を返せるかどうかにあった。開業医というのは、自分のクリニックを始めるときに、それまで働いていた病院に通ってくる患者をごそっと自分のクリニックに連れてくるという話をよく聞く。


だがぼくの場合、大学病院で診ているのは、小児がんとか、先天的な異常に基づく内臓の病気の手術後とかばかりで、小児科を標榜する予定のぼくのクリニックで診るのは無理がある。いや、診てもいいのだが、それって患者のためにならないのではないか。それよりゼロから始めた方がいいような気がする。


となると、ぼくが始めるクリニックは、地域の人たちにとってまったく未知の医療機関になる。ドカーンと患者が来なくてもいいが、全然来なくて潰れそうになるのも困る。借金が返せるくらいは来てくれるのだろうか。全然分からない。


■懸案の借金は繰り上げ返済で返すことができた


Rリースさんは悠然としている。



松永正訓『開業医の正体 患者、看護師、お金のすべて』(中公新書ラクレ)

「大丈夫ですよ。失敗した人、見たことありません」
「……でもぼくが最初の人になるかもしれませんよ」
「まあ、千葉大の先生ですから大丈夫でしょう」
「担保もありませんよ」
「大丈夫です。貸します」


迷った。迷ったが、建て貸しというワードの魅力がまさった。ぼくはその夜、妻と相談してRリースさんの話に乗ることにした。


話をしていると、Rリースさんはこういった建て貸し方式に慣れているらしく、クリニックを建てる業者もすでに決めてあった。全国的に有名なハウスメーカーだった。こうして、まず土地探しから始まった。紆余(うよ)曲折はあったが、ぼくの自宅から車で20分くらいの所に広い土地が遊んでおり、地主さんにお願いをしてクリニックが建つことになった。


で、懸案の借金であるが、これは計画以上に順調に返すことができた。はっきり言えば繰上げ返済で返した。当初はドカーンというほど患者さんは来なかったが、春に開業して秋には行列のできるクリニックになっていた。何がよかったのだろう? 自分ではよく分からない。岬の突端にぽつんとあるクリニックを目指したが、そうはならなかった。


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松永 正訓(まつなが・ただし)
医師
1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。19年、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)で第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)、『どんじり医』(CCCメディアハウス)などがある。
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(医師 松永 正訓)

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