なぜ日本人はこんなにサーモンを食べるようになったか…「寿司ネタになる」と確信した在日ノルウェー大使館員の戦略

2024年2月15日(木)13時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/GGallery

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日本でノルウェー産サーモンの消費が伸びている。この10年で輸入量は5割増という。時事通信社水産部の川本大吾部長は「かつてサケの生食は少なかったが、1990年代以降に寿司ネタとして定着した。その背景にはノルウェーの輸出戦略があった」という——。

※本稿は、川本大吾『美味しいサンマはなぜ消えたのか?』(文春新書)の一部を再編集したものです。


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■いつの間にか寿司桶の中央に鎮座していたサーモン


ノルウェー産サーモンが日本で普及したのは、ここ20〜30年のことだ。筆者が子供のころには、たまにお目に掛かれる寿司のネタにサーモンはなかった。学生時代にも見た記憶はなく、恐らく社会人になってから、その存在を知ったように思う。しかし、当時は寿司ネタではなく、サラダ感覚のスモークサーモンが目立っていたような気がする。


それがしばらくすると、知らないうちに寿司ネタとして堂々とレギュラー入りしていた。「新人らしからぬルーキー」といった具合だろうか。どういうわけだか急にサーモンピンクが、これまでにない彩りで握り寿司のセットを一層華やかにしていた。


江戸前を起源とする「握り寿司」に、海外産の、それも新顔の養殖魚が仲間入りするのはそう簡単なことではない。江戸前には、国産・天然・近海の三拍子揃った「上物」が似合うはずだが、今では寿司桶の中央にドンと並べられ、みんなおいしく食べている。いったいなぜだろうか。


■供給過剰で養殖業者が半分廃業した“サーモン不況”


ノルウェー産サーモンを刺し身や寿司ネタとして日本に定着させたのは、ノルウェーの水産参事官として、在日ノルウェー大使館に勤務していたビョーン・エイリク・オルセン氏だった。「サーモン寿司の発明者」とも言われ、同国ではちょっとした有名人だ。


オルセン氏が1990年代初め、日本でサーモンを寿司ネタとして売り込もうとした背景には、同国でのサーモンの増産に伴う、3万5000トンもの不良在庫があったという。供給過剰によるサーモン価格の暴落で、当時1000ほどあった養殖業者の半分ほどが廃業してしまった。融資していた銀行まで破綻するほど、“サーモン不況”が深刻化していったのだ。


ノルウェーでは、魚の需要が旺盛な日本をターゲットに、1986年から「プロジェクト・ジャパン」と銘打って対日輸出を強化していた。当初はシシャモやシシャモの卵、エビなどを中心に、日本で積極的なPRを行いながら消費を喚起し、順調にノルウェー産水産物の売り込みが進められた。


このプロジェクトのメンバーでもあったオルセン氏は、シシャモなどに続いて、在庫がだぶついていたサーモンを日本へ売り込むことを考えた。その際の戦略が、その後のサーモン人気の大きな分かれ道となる。


■切り身用で輸出したら二束三文で買い叩かれてしまう


オルセン氏は、サーモンを寿司ネタなど、刺し身限定の食材としてアピールすることに狙いを絞っていた。サケを大量に消費する日本だけに、グリルして焼きサケにし、朝ごはんで味噌汁、漬物などと一緒に食べてもらうほうが、大量消費への可能性が高そうだが、焼きサケ用の「切り身」とは完全に一線を画す考えだった。


その理由は、切り身用としてマーケットへ参入すれば、日本産の天然アキサケや養殖ギンザケなどと競合し、買い叩かれてしまうからである。在庫超過の状況とはいえ、既存の市場では、二束三文でさばかれることが予想されたため、避けたかったのだ。オルセン氏は、サーモンの寿司ネタとしてのポテンシャルの高さを、かなり以前から信じていたようだ。寿司ネタへのこだわりから、名称も「サケ」とはせず、「ノルウェーサーモン」として浸透させることにした。


寿司ネタとして、日本をターゲットにした刺し身用のマーケットと言えばマグロだ。当時、刺し身マーケットはマグロの独占状態で、価格帯は加熱用や焼き物とは雲泥の差があった。したがって、サーモンも寿司ネタとして日本で普及することができれば、魚価はマグロ同様にハイレベルで維持できると考えたのだ。


■築地の魚のプロからは「川の臭いがする」と門前払い


ただ、今から30年ほど前の日本で、サーモン寿司を普及させるには高い壁があった。オルセン氏はまず、築地のプロたちにプレゼンした際、彼らから「味がおかしい」、「見た目が好きじゃない」、「川の臭いがする」、「刺し身で食べることも含め、すべてダメ」、「日本では無理」と、あらゆる面で否定され、見事に門前払いにあったのだ。しかし、これで折れてしまっては切り身用でしか売れなくなってしまう。


写真=iStock.com/Michele Ursi
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オルセン氏が「サーモン寿司は絶対に日本でウケる」と感じていたのには、味に自信があっただけでなく、次のような理由があった。オルセン氏はこう語る。


「日本ではサケを生で食べないという固定観念があるが、ノルウェーのサーモンは年中、生産できるばかりか、寄生虫のアニサキスがおらず、安心して食べられる。『生食のサケ=NG』という偏見さえ払拭できれば、きっと日本で受け入れられると思っていた。そのためには、輸入業者や卸会社、スーパー関係者、料理人、消費者それぞれの考え方を変えていくことが必要だった」


■回転寿司のプラスチックケースに入ったサーモン寿司に感激


それでも、日本の食習慣を変えるのは容易ではなかった。最終的には、いわば「ダメ元」で、日本の関係者との商談に当たってきた、とオルセン氏は打ち明ける。多くのサーモン在庫を抱え、幾度となく寿司ネタとしてのサーモンの可能性を否定されたオルセン氏だが、決して単価の安い切り身用として「投げ売り」することはなかった。


実際に、日本のある水産会社が、サーモンを主に切り身の用途で販売するため、ノルウェー側に1万トン以上の取引を求めてきたことがあったが、オルセン氏はこれを拒否している。


そうしたなか、「プロジェクト・ジャパン」に協力していた日本人が、大手食品メーカーのニチレイ幹部とのパイプを持っていたことで商談にこぎつけ、1991年に約5000トンのサーモンを寿司ネタ、生食用として供給する取引契約を結ぶことに成功した。


これがきっかけとなり、ノルウェー産サーモンは寿司ネタとして日本でデビューを果たすことになる。バブル崩壊による、食品を含めた低価格志向から、日本では空前の回転寿司ブームが到来していた。そして、ノルウェー産サーモンの存在も少しずつ知られるようになっていく。オルセン氏は1995年、回転寿司チェーンで透明なプラスチックケースに入ったサーモン寿司を見て、大きな感激を覚えたという。


■「刺し身もOK」の売り方だったら競争に勝てなかった


物事は最初が肝心だ。オルセン氏がサーモンを寿司ネタとして売るという考えを決して曲げずに貫いたことで、今のサーモン人気があると言っても過言ではない。魚の流通に詳しい水産アドバイザーはこう話す。


「ノルウェー産のサーモンが、『切り身』『塩サケ』用としてデビューしていたのなら、『刺し身もOK』と付け加えたとしても、今ほど寿司ネタとして浸透せず、国産やチリなどの塩サケとの競争に負け、市場から消えていたかもしれない」


オルセン氏の粘り勝ちとなったわけだが、オルセン氏も「切り身か、寿司ネタか」で究極の判断を迫られた当時を振り返り、「非常に大きな賭けだった」と打ち明ける。


今では、サーモンは欧米やアジア諸国など世界中で消費されている。オルセン氏は、「寿司文化発祥の日本で、寿司ネタとして認められたことが、ノルウェー産サーモンがここまで愛されるようになった最大の要因である」と語っている。


■10年前に比べて日本への輸出量は5割増加


ノルウェーの通商産業水産省所管の「ノルウェー水産物審議会」(NSC)によると、2021年の日本へのサーモン輸出量は、原魚に換算して約5万トン(輸出時に頭や内臓を除去するため)である。10年前に比べて5割増加し、過去最高となった。2022年はコロナ禍や、ロシア・ウクライナ情勢の混乱などを背景に約4万トンと減ったが、依然として高水準となっている。



川本大吾『美味しいサンマはなぜ消えたのか?』(文春新書)

かつて、築地市場のプロたちからダメ出しされた魚が、いまや「脂が乗っていておいしい」、「食べやすくハズレがない」(大手水産会社のアンケート)と絶賛され、回転寿司のネタで10年以上、一番人気の座を譲らない。世界一のマグロ消費国である日本で、その座を揺るがすほど消費され、回転寿司だけでなく、スーパーの魚売り場でも必ず売られている。北海道から沖縄まで、全国の料理店で提供される海鮮丼にもトッピングされ、不動の人気を築いた。


いま、ノルウェーでは年間150万トンほどのサーモンが養殖生産されている。南西部の沿岸だけでなく、北極圏で育つブランド魚「オーロラサーモン」の人気も浸透してきた。さらに近年は、漁場環境の保全を視野に、沖合域での養殖も増えたほか、陸上養殖も進められている。


それだけではない。これまでなぜだか手が付けられてこなかった「ノルウェー産のサーモンイクラ」の生産についてもスタートさせたようだ。ある養殖業者は、これからの大規模な出荷も視野に、試行錯誤の段階だという。オルセン氏のサーモン寿司の可能性を信じた頑なな姿勢があったからこそ、こうした新たな動きが生まれたと言えるだろう。イクラも日本人は大好き。生産が軌道に乗れば今後、ノルウェー産サーモンの親子丼が食べられるようになるかもしれない。


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川本 大吾(かわもと・だいご)
時事通信社水産部長
1967年、東京都生まれ。専修大学経済学部を卒業後、1991年に時事通信社に入社。水産部に配属後、東京・築地市場で市況情報などを配信。水産庁や東京都の市場当局、水産関係団体などを担当。2006〜07年には『水産週報』編集長。2010〜11年、水産庁の漁業多角化検討会委員。2014年7月に水産部長に就任した。著書に『ルポ ザ・築地』(時事通信社)など。
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(時事通信社水産部長 川本 大吾)

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