元ホワイトカラーおじさん「僕はこんなとこで働く人間じゃ…」66歳バツ1元社長がアマゾン倉庫で見た痛い人々

2024年3月13日(水)11時15分 プレジデント社

撮影=東野りか

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60歳で定年を迎え、65〜70歳まで再雇用されるケースが増えている。雇用は確保されるものの、安い給料に不平不満をこぼす人も少なくない。家庭の事情で幼少時から苦難な生活を強いられ、働くことを余儀なくされたフリーライター歴45年の野原広子さん(66)は、「私の原点はパシリ。どんな苦難でも受け入れ、カネがないなら稼げばいいという考えを現在も貫いている。そんな姿勢を定年後の人生を歩む方も持つべきかもしれない」という——。
撮影=東野りか

■幼いころから隣家の“パシリ”をして小遣い稼ぎ


週刊誌『女性セブン』での「富士山登山」や「AKBなりきり」などの体当たり取材が人気を博す、自称“オバ記者”として知られるフリーライターの野原広子さん(66)は茨城県桜川市出身。東京中心部から100キロ圏内ほどの小さな町で高校卒業まで暮らした。3歳で実父を亡くし、家族は継父と母と弟2人の計5人。継父とはソリが合わず、絶え間ない喧嘩や困窮生活から、早いうちに独立心が芽生えたそうだ。


「家にお金がないので、小金をどうやって稼ぐかいつも考えていました。隣家のおじさんのタバコを買いに行ったり、養鶏場で卵を集めたりしてお駄賃をもらうことからスタート。今でいう“パシリ”ですね。高校進学時に『中卒で働け』と継父に言われましたが、反発して、商店の住み込み店員になりました。働きながら地元の農業高校に通ったのです」


野原さんが高校に入ったのは昭和40年代後半で、世間に貧しさが色濃く残る時代。それでも、1年だけだったが住み込み勤労学生の野原さんは、周囲の同級生たちから浮いた存在だったそう。ただその頃から「人は人、自分は自分」「金はなくとも、働けばなんとかなる」といった人生のスタンスが確立した。


■30代で社長になるが、経営のセンスはまったくなし


高校を卒業した後、物書きを目指して東京のジャーナリスト専門学校に入学。ここでもウェイトレスをしたり倉庫で働いたりしながら通学するが、学費が続かず中退。雑誌編集部のバイトを経て、30代で出版社の下請けである編集プロダクションを興す。1990年代の出版界は今ほど斜陽産業ではなかったので、いわゆる“編プロ”でも仕事はたくさんあった。だからそれなりに稼ぐことができたはずだが……。約8年間の社長時代はどうだったのか。


「稼いだお金は私に全てが入るわけはなく、スタッフへの原稿料の支払いや家賃・光熱費の固定費でいつもアップアップ。小さい事務所なのに、机ごとに固定電話や新しいコピー機をわざわざ置くなど無駄な支出が多かったです。でも、そこまでしないと怠け者の私は働く意欲が湧かないと思っていたんです。それに、そもそも私には経営センスがない(苦笑)」


■どハマりした麻雀で、現実逃避の毎日


出版社からの支払いだけでは経営資金が足りず、借用書を何枚も書きまくり、消費者金融にも借金をした。自転車操業の毎日を送り、挙げ句の果てにギャンブル依存にも陥る。特に麻雀にどハマりし、仕事帰りに雀荘に行って徹マン。翌日に仕事がなければそのまま雀荘に居続けるという日々を送っていたのだ。


「きっかけは、真田広之さんや大竹しのぶさんらが出演したモノクロの名画『麻雀放浪記』です。映画の世界観が本当に格好良くて。しかも『牌の上がり方を知っていたら、もっと映画の良さが分かる』と知人に言われ、雀荘に通い出したのです」


麻雀などの賭け事はビギナーズラックがあり、怖いもの知らずの初心者が勝つことがある。野原さんはまさにこれ。


「また、編プロの経営やらわずらわしい人付き合いから逃れたいという気持ちもあったんです。会社に行けば、向き合わなければならない現実が山のようにあるけれど、麻雀はそこから逃避させてくれる。しかも面白い経験ができるのだから、どうしても足が向いてしまいます」


しかしそんな幸運は長く続かない。ビギナーズラックの興奮が忘れられず、勝つまで(負け飽きるまで?)打ち続けるので、財布事情はさらに厳しくなる。せっかく立ち上げた会社も清算に追い込まれた。


■銀行口座にお金がないならば、稼げばいい


宗教、異性、買い物、薬、アルコール、整形……世の中には何かに依存する人は多い。しかし依存は一瞬の多幸感に包まれるが、長続きしない。場合によっては身ぐるみ剝がされてすってんてんになったり、健康を害したりすることもあるのだ。


野原さんの麻雀依存は50歳頃まで続く。依存から離脱できたのは麻雀とセットにようにして嗜んでいたタバコをやめたのがきっかけだ。雀荘のタバコの煙のにおいが嫌いになり、麻雀の牌を並べるのが面倒になったのだとか。


その代わり、手芸が趣味なので大量の布や高価なミシンを買うといった、買い物依存に走ったこともある。その前には英語教材や100万円もする着物を衝動買いして、何年もローンに苦しんだし、イタリアでブランド物を買い過ぎてお得意様の顧客名簿に載ったことも(実際には友人に頼まれた買い物も含むが)。


何かをやめればまた何かが欲しくなる。しかし散財したことを後悔してない。


「お金は道具ですから使わないと意味がありません。お金そのものを精神安定剤にする人もいますが、私には信じられませんね」


そう、野原さんは働く力はあるが、ためる力はない。


「今まで、銀行に80万円を超える残高があったことがないんです。口座に入っているお金は支払いに消えるだけ。たまに1カ月ぐらいの生活費が残っていることがありますが、大抵はカツカツ。でも、お金がないならば稼げばいい。ためるよりもそっちのほうが私のメンタルは安定します」


■酔拳のようなベッドメイクと、混ぜるな危険のおばさんたち


40歳以降、経営や麻雀で金銭面が苦しくなったので、ライター業とバイトとの兼業生活に入る。ホームセンターの商品仕分けや事務所の掃除などの肉体労働をやったが、ホテルのベッドメイキングは学びもあったそうだ。


「1日のベッドメイクの担当は初心者で3室、慣れてくると6室、ベテランは13室と徐々に部屋が増えていくんです。自分とベテランの違いがどこにあるのかと思い、一度見学させてもらったことがありました。そのベテランはものすごいスピードでやっていると思ったら、そうじゃないんです。体の使い方がとにかく優雅。あえて例えれば、ジャッキー・チェンの映画『酔拳』の使い手みたい(笑)。手足の動きはゆったりしているけれど、まるで無駄がない、でも仕事が的確でとてもスムーズなんです」


ベテランの姿はアスリートのようで見ほれたという。一方の自分は制限内に終えねばと気負ってしまうので、バタバタと手足を無駄に動かすだけ。しかも仕上がりは決してきれいではない。


それに人間観察も興味深かった。


「『おばさんは“混ぜるな危険”だよ』って上の人から言われたのです。彼女たちを一つの場所に集めると、仲がいい時もあるけど、雰囲気が悪くなって仕事を辞めてしまうこともあるんです。それでは雇う側も大変です。だから、休憩は掃除した部屋で、一人で過ごしてもらうんです。もちろん、掃除したままのきれいさを保ちながらですけどね」


雇用の安定性のためにも「混ぜるな危険」なのである。


■肉体労働をする自分を受け入れられないおじさんたち


60歳を過ぎると、ベッドメイキング以外にアマゾンの倉庫内の商品ピックアップやユニクロのバックヤードの仕事も経験。時に自分の子供のような若いバイトリーダーにこっぴどく怒られてたし、最初は疲れ果てて倒れこむように帰宅したこともあったが、それも次第に慣れてくる。そしてどうやったら効率よく仕事をすることができるかと考えるのが楽しくなる。さらにはお馴染みの人間観察に精を出す。


「アマゾンには、元ホワイトカラー、しかも現役時代は相当出世したらしいリタイアおじさんもいました。“俺は本来なら、こんなところにいる人間じゃない”アピールがすごくて。はやく場に馴染んだほうがラクなのに……」


写真=iStock.com/Daria Nipot
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Daria Nipot

自分の能力をアピールしたいのであれば、転職エージェントに登録してエントリーをすればいい。が、定年後に自分の期待するほどの厚遇で迎えてくれる会社がどれほどあるか。否、ほとんどないことを思い知らされるだろう。だとしたら、体力さえあれば何歳でも歓迎してくれる肉体労働の現場を野原さんは勧める。条件のいい知的労働は大抵若い世代に取られてしまうという理由もあるが、肉体労働にはちゃんと魅力もある。


「肉体労働はその日のうちに完結しますし、何より健康にいい。体を動かしていると仕事に没頭できるので、余計なことを考えずにすみますし精神にもいいんです。一つの仕事だと飽きてしまうのなら、バイト派遣会社に登録していろいろな仕事を紹介してもらってもいいでしょう。今は選ばなければなんでも仕事はあります。会社員のようないいお給料をもらえないけれど、10円、100円を稼ぐことの大変さと面白さを感じられます。年を取ったら、心身にいい働き方をした方がいいと思います」


野原さんは周囲にいるエリートサラリーマンにも肉体労働を勧めているが、自分は“そっち側”にいくべき人間ではないと拒否されることが多いとか。


■金の代わりに健康な体は絶対必要


現在の野原さんはフリーライターの傍ら、衆議院議員会館で小学生の国会見学の案内や秘書の手伝いなどのバイトもこなす。実は肉体労働は現在のところお休み。高血圧と心臓の持病に加え、一昨年に卵巣に境界腫瘍が見つかり6時間の手術、さらに膵臓(すいぞう)の嚢胞と、病に悩まされた。今はヨガ教室に通い、酒もやめ、体調が安定したが、肉体労働はまだ自信がない。


「麻雀にハマっていた頃、ずっと座ったままタバコを1日30〜40本も吸っていたツケが回ってきたのかもしれません。お金はためなくてもいいと今でも思っていますが、その代わり、ちゃんと働ける健康な体は必要です」


膵臓の嚢胞が見つかって以来、残された時間を意識しだした。実父、母、継父、年子の弟を天国に見送ったため、自分にも順番は回ってくるのはそう遠くないとも思っている。


「ディズニーランドの行列と一緒です。まだまだ先は長いなあと思っていたのに、ふと気がついたら自分の番はもう目の前。だとしたら、一番心血を注いだライター業に、再び向き合うべきだと思っています」


その一つはオバ記者としての自叙伝。貧しさも、住み込みバイトも、麻雀依存も、病も人生に起こることはすべてネタ。お金はたまらなかったし、随分回り道もしたが、今まで見聞きしたことすべては長く続けてきた物書きの仕事に帰結すると思えば、納得がいく。


撮影=東野りか

今の収入はライター業が新入社員の初任給ほど、衆議院議員会館でのバイトは年に数十万円ほど。66歳としてはまあまあの収入だが、都心部に家を借りているので家賃が高い。


東京駅近くのビルにある、大好きな電車を眺められる月額2万2000円のネットカフェを仕事場にしている。年収からすれば、郊外のもっと安いアパートに引っ越しし、リーズナブルなカフェを仕事場にしたほうがいいかもしれない。


しかし、自分を追い込まないと仕事ができないという気質は変わらない。あのヒリヒリとした思いが野原さんの書く原動力にもなっているのだから。


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野原 広子(のはら・ひろこ)
フリーライター
女性誌では、母親の壮絶な介護、自身の闘病記などの連載記事が読者の共感を呼んでいる。60歳を過ぎてから過去50年間のダイエット経験『で、やせたの? まんがでもわかる人生ダイエット図鑑』(小学館刊)を共著で上梓、NHKのドラマにも出演した。バラエティー番組「人生が変わる1分間の深イイ話」(日本テレビ系)に出演経験がある。
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東野 りか
フリーランスライター・エディター
ファッション系出版社、教育系出版事業会社の編集者を経て、フリーに。以降、国内外の旅、地方活性と起業などを中心に雑誌やウェブで執筆。生涯をかけて追いたいテーマは「あらゆる宗教の建築物」「エリザベス女王」。編集・ライターの傍ら、気まぐれ営業のスナックも開催し、人々の声に耳を傾けている。
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(フリーライター 野原 広子、フリーランスライター・エディター 東野 りか)

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