「また地獄を見たいのか」リーマンショックで銀行に追われてもU-NEXTを諦めなかった宇野康秀HD社長の確信

2024年3月21日(木)8時15分 プレジデント社

U-NEXT HOLDINGS(※)の宇野康秀社長 - 撮影=今村拓馬

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【連載 #私の失敗談第10回】どんな人にも失敗はある。U-NEXT HOLDINGS(※)の宇野康秀社長は「リーマンショック直前の経営判断によって、経営者人生の10年分はロスをした。それでも今は、あれで良かったのかもしれないと思う」という——。(聞き手・構成=ライター・小泉なつみ)

※4月1日より商号を株式会社USEN-NEXT HOLDINGSから株式会社U-NEXT HOLDINGSへ変更


撮影=今村拓馬
U-NEXT HOLDINGS(※)の宇野康秀社長 - 撮影=今村拓馬

■失敗も思い浮かばないが、成功したという思いもない


小さい時から学生時代で考えると、大きな失敗として思い浮かぶエピソードがなくて。逆に言えば、自分が成功したという思いもないんです。


私の生まれは大阪で、小学生の時から実業家を目指していました。「あそこの商売は〜」といった会話が日常的に飛び交うような商人の町だったこともあり、自分で事業を興して食べていくことは自然なことだと思っていました。高校生の時は、松下幸之助や盛田昭夫、本田宗一郎といった日本を代表する経営者の本を読み漁り、いつか自分も世界に通用する企業を作るんだ、と思い続けて昨年、60歳になりました。


父が今の私と同じ年の頃、「あと何年やれるかな」と話していたんです。父は、USENの前身である大阪有線放送社を興した起業家でした。家庭を大事にしない人だったので、「父のようにはなりたくない」と思っていましたし、25歳で立ち上げた人材派遣会社・インテリジェンスの上場が見えていたこともあって、事業を継ぐ気はまったくなかったのですが、その父が63歳で亡くなってしまって。最終的には、自分がランドセルを背負って小学校に行き、大学まで卒業できたのも父の事業や、そこで働いてくれた人たちのおかげだと思い、35歳で大阪有線放送社の社長になりました。


■「経営者人生の10年分はロスをした」リーマン直前の舵取り


経営者になってから、あれは失敗だったかもしれない、と思うことで言えば、リーマンショック直前の舵取りでしょう。その時の判断によって、経営者人生の10年分はロスをしたと思います。


当時の私には、焦りがありました。ITバブルにわいていた2000年前後、業界のベンチャー企業はM&Aを繰り返すことで時価総額を引き上げる経営手法で躍進していました。インテリジェンス出身の藤田晋さんが立ち上げ、私も役員を務めていたサイバーエージェントは当時赤字でしたが、時価総額は約1000億円でした。他にも、ソフトバンクや楽天、オン・ザ・エッヂ(後のライブドア)など、交流のあったIT企業のスピード感を間近で体感し、「自分もこの波に乗らなければ後れをとってしまう」と、焦燥感でいっぱいだったんです。


そうして時代の波に乗るようにして、大阪有線放送社から有線ブロードネットワークス、USENと社名変更し大型のM&Aを繰り返しました。自ら作ったインテリジェンスと学生援護会も買い取ったのですが、買収額は合わせて約500億円。感覚値よりだいぶ高いとは思ったものの、市場がヒートアップしていたのでしょう。ITバブルのシンボルだった六本木ヒルズにかこつけ、“ヒルズ族の兄貴分”とメディアに書かれたこともありました。実際には住んだこともないのに、なぜそんな風に書かれたのか、いまだによくわかりません(笑)。そもそも、今の若い人に“ヒルズ族”と言ってもピンとこないでしょうね。


■USENは負の遺産を背負って始まった会社


少し話は戻りますが、私が引き継いだ当時の大阪有線放送社は、“違法企業”といっても過言ではない状況にありました。有線放送のケーブルを張り巡らせるために、全国の電柱を無断利用していたのです。そのケーブルの長さは、地球3周分。撤去して正常化するためには、500億円の資金が必要でした。また、父の個人債権800億円もあり、USENは大きな負の遺産を背負って始まった会社だったわけです。にもかかわらず、当時の私は、新しいピカピカのベンチャー企業と同じ振る舞いをしていました。


ただ、時代に食らいつかなければという焦燥感と同時に、事業を通じて社会を良くしたい、日本を強い国にするんだ、という思いもあって。それは、有線のネットワークを使った光ファイバーで映像配信サービスを普及させることでした。電柱の正常化を完了し、光ファイバーのインフラ整備を手掛けた直後の2005年には、無料ブロードバンドサービス「GyaO」をスタートし、コンテンツ事業にも参入していたのです。


撮影=今村拓馬
大阪有線放送社を引き継ぎ、電柱使用問題の正常化を行っていたのは35歳の頃。「今思えば、若かったからこそできたのかもしれませんね」とも。 - 撮影=今村拓馬

■「私が死んだとて、状況が改善するわけではない」


そんな最中にリーマンショックが起き、子会社を含めて1000億円以上の損失が計上されました。連日、昼夜問わず銀行から「どの会社売るか決まった?」「再建案を出せ」という電話が入り、相当、いじめられました。結局、インテリジェンスやGyaOをはじめ、自分が手掛けた企業を売却せざるを得なかったわけですが、それは自分の子どもを売るような苦しみでした。正直、今も思い出すと辛いものがありますし、首をくくろうと考えたことも、一度や二度ではありません。でも、現実を見れば、私が死んだとて、状況が改善するわけではないこともわかっていて。やはり、自分の選択肢としてその逃げ方はないと思いました。


特に思い入れの強かったGyaOをヤフーに売却した時は、苦労を共にした仲間のことを考えると本当にやるせなくて。「ふざけるな!」といった罵声を浴びせられることも覚悟して社員にお詫びをしたんです。すると、「サービスを続けてくれる道を残してくれたことに感謝します」と、逆に御礼を言われて。その時ばかりは、思わず涙が出ました。自分は辛いと思っていても、その先で幸せに働けている人もいる。であるなら、自分は一体何に苦しんでいるのだろうと思いました。


■唯一、買い手がつかなかったU-NEXTを引き取り再出発


そんな苦しい時期に、マラソンを始めたんです。ハードな状況を乗り越えるためにも体力をつけようと思ったからなのですが、皇居の周りをぐるぐる走っていると、大手町側に銀行が見えてきて。自然と、「絶対、借りた金は返す」と思いました。当時いろんな苦しみがありましたが、大阪の商売人の家に生まれた根っからの商売人としてそこだけは守ろうと、体を動かすことでシンプルなマインドセットができたように思います。


マラソンに加えて救いになったのは、当時の副社長がポロッと言った、「とはいえ、10年したら世の中の流れは変わりますよ」という言葉です。私への慰めみたいなものだったのでしょうけど、たしかにそうだよな、と思えて楽になりましたね。


その後、唯一、買い手がつかなかったU-NEXTを引き取り、2010年にUSENから独立してベンチャー企業として再出発しました。まだ銀行の目が厳しかったこともありますし、私自身、リーマンショックの時と同じような苦しみを抱えたくなかったため、新しい人を受け入れたり、新規事業を立ち上げるようなことは自然と避けていました。10年ロスをしたと言いましたが、そのうちの半分は、このような痛みの治療に費やした時間です。その時間の中で、一度は手放したUSENも取り戻すことができました。


撮影=今村拓馬
当時のUSENの事業の中で、唯一買い手がつかなかったのがU-NEXTの事業だった - 撮影=今村拓馬

■「また地獄を見たいのか」と言われても続けたU-NEXT


U-NEXTは、「ネットで映画を観るヤツなんているわけない」と散々バカにされ、誰からも手が挙がらなかったビジネスなわけですが、私はそこにこそ、確信がありました。昔から映画が好きで、大学時代は1日1、2本映画を観る生活を送っていたものの、レンタルビデオ屋へ借りに行ってもお目当ての作品が貸出中だったり、かと思えば返し忘れて延滞料をとられたり。そもそも、往復30分かけて借りたり返したりをするのが面倒だなあと思っていた頃、海外で電子データによる映画の配信実験が行われた、というニュースを目にしたんです。今後、コンテンツ視聴は配信に置き換わるだろうし、その利便性ゆえに逆行することもないだろうと、その頃から確信していました。


「300人もの社員を引き連れたベンチャーなんてありえない」「また地獄を見たいのか」と散々言われましたが、電柱問題の時と同じく、辛いだけではなくて、やっぱりそこに夢があるから続けてこられたのかなと思います。アメリカでは、サブスクでの動画配信サービス利用者は平均3契約ですが、日本はまだ2契約にも満たない。よく、「NetflixやAmazonプライムビデオは脅威では?」と聞かれますが、まだまだサブスク全体が広がると思っているので、U-NEXTは他の配信サービスと共存していけるはずです。


■リーマンショック前に戻っても同じ選択をしたかもしれない


リーマンショックがなければ、今すでに一兆円企業になっていたでしょう。また、ITバブルで飛躍した他の企業たちを見ても、グローバルで成功する企業がもっと増えていたかもしれません。日本のITベンチャー企業にとって世界と大きな差がついてしまった一つの大きなきっかけだったことは確かだと思います。


私自身、10年ロスしたことも含めて、世界に名だたる企業を作るという理想までは行き着いていません。でも、だからといって今すごく不満に思っているかというと、そうでもなくて。たとえて言うなら、富士山の頂上を目指していたつもりが赤岳に登っていて、「ここから富士山を見るのも案外、悪くないもんだね」と思っているような、そんな感覚でしょうか(笑)。


自分の座右の銘は、「人間万事塞翁が馬」。失敗の最中にあっても、「後々、この経験が実りをもたらしてくれるかもしれない」と考えている自分がいます、それこそ、リーマンショックの時の失敗も、「結局、あれで良かったのかもな」とも、よく振り返るんです。世界的金融危機があのタイミングで起こらなければ、多少無理してでも積極的なM&Aをしたことは後にプラスだったかもしれない。結果的に失敗したけれど、判断のすべてが間違っていたかというと、それも違うよな、と。


経営には、常に運もつきまといます。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」で、当時は突っ込んで火傷してしまった、ということなのかもしれません。だから、もし今の自分がリーマンショック前に戻ったとしても、やはり同じ選択をするような気もするんです。


撮影=今村拓馬
昨年60歳を迎えた。「なんだかまだピンと来ない」という。「赤いちゃんちゃんこは着ませんでした(笑)」 - 撮影=今村拓馬

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宇野 康秀(うの・やすひで)
U-NEXT HOLDINGS 代表取締役社長 CEO
1963年生まれ。大阪府出身。1988年明治学院大学卒業後、リクルートコスモス(現コスモスイニシア)入社。1989年インテリジェンス(現パーソルキャリア)を設立。1998年大阪有線放送社を創業者である父から受け継ぎ、代表取締役に就任。2009年動画配信のU-NEXTを設立。2017年U-NEXTとUSENを経営統合しUSEN-NEXT HOLDINGS(※)を発足、代表取締役社長CEOに就任。(※2024年4月、USEN-NEXT HOLDINGSからU-NEXT HOLDINGSへ商号変更)
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(U-NEXT HOLDINGS 代表取締役社長 CEO 宇野 康秀 聞き手・構成=ライター・小泉なつみ)

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