これを口ずさめば過去のイヤな記憶が和らぐ…経営の神様・松下幸之助が残した"14文字の言葉"【2023下半期BEST5】

2024年3月21日(木)11時15分 プレジデント社

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2023年下半期(7月〜12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。仕事術部門の第1位は——。(初公開日:2023年11月7日)
過去の嫌な記憶から解放されるにはどうすればいいか。浜松医科大学名誉教授の高田明和さんは「過去には楽しい思い出もあるが、嫌な記憶も無数にある。悲惨な過去に対する苦痛をやわらげるには、松下幸之助さんが残した『過去がつらいと今がラクである』という言葉のように過去の延長線上に今の私があると考えるといい」という——。

※本稿は、高田明和『孤独にならない老い方』(成美堂出版)の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/gremlin
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■楽しい思い出にふけるより、嫌な記憶を遠ざける


思い出というものは、人を楽しませるものではあるが、時には人を寂しがらせないでもない。
精神の糸に、過ぎ去った寂寞(せきばく)の時をつないでおいたとて、何になろう。


小説家 魯迅(ろじん)


私たちは、しばしば過去を思い出して懐かしみます。とくに、親や周囲から大切にされ、純粋だった子供時代の思い出には、胸がふるえるほどの懐かしさを感じるのではないでしょうか。


詩人の三好達治(みよしたつじ)さんに「わが名をよびて」という作品があります。


わが名をよびてたまわれ
いとけなき日のよび名もて わが名をよびてたまわれ
あわれいまひとたび いとけなき日のよび名をよびてたまわれ
風のふく日のとおくより わが名をよびてたまわれ
庭のかたえに 茶の花のさきのこる日の
ちらちらと雪のふる日のとおくより わが名をよびてたまわれ
よびてたまわれ
わが名をよびてたまわれ

「いとけない」とは、あどけないということです。つまり、幼い日に母親が呼んでいたわが名で自分を呼んでほしいというのです。「もう一度、あの日に帰してください」と願っているのです。


母の思い出は、私にとっても最も大事です。


私は長男で、常に母によく思われようとしていました。「明(あき)ちゃん(私)の話し方は、お母さんそっくりだ」と笑われたほどです。


母は、今でいうHSP(エイチエスピー)(超敏感気質)で、きちょうめんでした。小学校に入る前、筆箱をのぞくと、きれいに削った鉛筆が並んでいました。薄暗い電灯の下のその光景が、まざまざと思い出されます。


ところが、祖母はそんな母を嫌っていて、「欠点ばかりだ」などと言うので、私は徐々に、母に批判的になりました。今でも「母にすまなかった」という思いを消すことができません。


■過去には嫌な記憶が無数にある


また、自分の子供が小さかった頃の思い出にも、強い懐かしさを覚えます。


私は29歳で妻と米国に渡り、ニューヨーク州の田舎町バッファローに9年間いました。その間に、子供は4人になりました。


米国では、秋にフェアーというお祭りをやります。自宅から車で3時間もかかる州都アルバニーで開かれるタウンフェアーを、妻と子供、渡米して家事を助けてもらっていた両親と見に行った思い出は、忘れることができません。


写真=iStock.com/Clayton Piatt
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Clayton Piatt

私の長男は明浩(あきひろ)という名で、米国では「アキ」と呼ばれ、私と一緒にいる時には、「アキ・ジュニア」と呼ばれていました。10歳まで米国で育ったので、帰国すると文化の違いのために、いじめにあったりして苦労したようです。


ある時、私が彼を「あきひろ」と呼ぶと、「アキと呼んで」と言うのです。聞いていた妻はこう言いました。


「明浩は米国の楽しかった生活を思い出しては自分を励ましていたのね。『アキと呼んで』と言うのも、当時をよみがえらせたいからかもしれませんね」


私もその通りだと感じました。


一方で、私は、多くの思い出は心を苦しめるものだと考えています。


過去には嫌な記憶が無数にあります。思い出して不愉快になったり、「なぜ自分はあんなことをしたのか」と自己批判したりすることも多いのです。


志賀直哉「今の記憶がなければもう一度生まれてもよい」


思い出すことの9割は嫌なことだというのが実際ではないでしょうか。楽しい記憶は、現世の競争、憎悪、嫉妬などから離れたものに限定されるのです。


小説家の志賀直哉(しがなおや)も、「もう一度、生まれたいか」と聞かれ、「今の記憶がなければ生まれてもよい。だが、今の記憶があるなら嫌だ」と言ったそうです。苦々しい過去がたくさんあったのでしょう。


「人間にとって最も大切なものは思い出ではないか」と言う方も多くいます。


しかし、私はそう思いません。楽しい思い出にふけるのもたまにはいいでしょうが、むしろ、嫌な記憶を思い出さないようにするほうが、過去とのいいつき合い方になると考えています。


あれこれ思い出しすぎないのが、過去とのいいつき合い方。


喜ばしい思い出は記憶の1割以下なのです。


■「なぜ、あんなことをしたのか」は限りなく増幅する


明日を耐え抜くために必要なものだけ残して、あらゆる過去を締め出せ。


医学者 ウィリアム・オスラー


他人からひどいことをされれば、嫌な思い出になります。しかし、嫌な思い出ができる原因は、他人にだけあるのではありません。


「若気(わかげ)の至りで人の心を傷つけてしまった」「あんなに変なことを言ったり、したりした自分が恥ずかしい」といった自己原因も多いのです。だから、よけいに苦しいのです。


人間は、最初は楽しいことを思い出しても、すぐに「そういえば、あいつは俺を裏切った」などという不快な記憶が呼び覚まされることがしばしばです。


そこに、「自分はなぜ、あんなことをしたのか」という自己批判がからみます。こうして、嫌な感情が限りなく増幅していくのです。


■偉人や成功者にも過去を苦しむ人が多いと知る


このような心理に対して、「過去を変えることはできない。だから気にしないほうがいい」とアドバイスする人がいます。しかし、過去は変えられないことなど、誰でも知っています。それでも気になるのが人間なのです。


むしろ、偉人や成功者にも過去を苦しむ人が多いと知ることのほうが、よほど心をラクにしてくれるのではないでしょうか。


成功者は立派な人生観を持ち、それが正しかったから成功したと考えています。つまり、彼らは成功した時点の人生観から、若く未熟だった頃の自分を思い出すのです。


それは、さぞかし苦しいことでしょう。努力して立派になればなるほど、昔の自分が許せなくなるというのは、なんとした矛盾かと思います。


写真=iStock.com/PonyWang
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ウィリアム・オスラーは、伝説的な医学者です。「オスラー先生が病室に入ってくると、患者はみな治った気になり、元気になってしまった」と弟子が書き残しています。


彼はカナダ生まれで、英国、ドイツ、オーストリアに留学します。そして、カナダのマギル大学教授、米国ペンシルバニア大学教授、米国ジョンズ・ホプキンス大学教授、英国オックスフォード大学教授を歴任しました。


医の倫理を説き、医学教育の基礎を築いた功績も輝かしいものがあります。


■年配者には「今」がひときわ大事


そんなオスラーが残した名言の一つが、冒頭の言葉です。


タイタニック号沈没事件のあと、船は沈没防止のために、全体の各部分を厚い鉄の壁によって完全に隔絶(かくぜつ)する構造に変わりました。


写真=iStock.com/Aneese
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Aneese

英国から米国に講演に来たオスラーは、それを知って深く感動したのです。


彼は「あなた方は、3カ国の大学で教授になった自分を、すごい人物だと思うかもしれない。しかし、それは間違いです」と前置きして、船の各部分が鉄の壁でさえぎられる話をしました。


そして、「自分はそんなに偉大ではない。ただ、過去のことは鉄の壁で覆い、二度と思い出さないようにできただけだ」と述べています。


私は、「人生でも医学界でも最高の成功をしたオスラーにすら、忘れたいことが多くあったのだ。思い出しては苦しんでいることが多かったのだ」と思うと、なんだか気が休まります。


多くの先人が「過去を忘れなさい」と言っていますが、私も本当にそうだと思います。


振り返らずに今を生きよ。


年配者には「今」がひときわ大事。
昔にとらわれる時間はありません。


■楽しかった昔に寄りかからず、悲惨だった昔も否定しない


若いうちの誤りは、きわめて結構だ。
ただ、それを年を取るまで引きずってはならない。


小説家 ゲーテ


江戸時代の禅僧、盤珪永琢(ばんけいようたく)禅師は、若い時に激しい修行で結核になり、死ぬ寸前になった時に吐いた血痰(けったん)が壁を垂(た)れていくのを見て、悟ったといわれます。


その盤珪禅師は、「記憶こそ苦のもとなり」と言われました。


禅には、このような「過去を思うな」といった教えが数多くあります。


江戸時代の禅僧、至道無難(しどうぶなん)禅師も、「もの思わざるは仏の稽古(けいこ)なり」と言っておられます。嫌な過去を思い出さないようにすることも、悟りを得る道の一つだというのです。


達磨(だるま)大師から数えて六祖にあたる、中国唐代の慧能(えのう)禅師もそうです。


慧能はまったくの無学でしたが、道でお経を聞いて五祖、弘忍(ぐにん)禅師の弟子になり、法を継がれました。弘忍は、慧能がほかの弟子たちにねたまれることを心配し、彼をひそかに寺から逃(のが)します。


それを察知した弟子たちは慧能を追いかけて捕らえ、「弘忍から得た悟りの内容を告げよ」と迫りました。


すると慧能は、こう答えたのです。


「不思善(ふしぜん)、不思悪(ふしあく)」


つまり、「よいことも思わず、悪いことも思わないことだ」と言ったのです。


■間違うことによって、脳は正しい社会活動を営める


先ほど言ったように、私たちは楽しかった昔を思い出しても、他人のひどい言動や、自分自身の恥ずかしい行為などを次々と思い出し、最終的には不愉快になることが多くあります。


私たちはよいことばかりを思い出すことはできず、屈辱や失敗などの嫌なことを連鎖的に思い出すようになっているのです。


まさしく「記憶こそ苦のもと」であり、「もの思わざる」ことが一番なのです。また、楽しい過去も結局は嫌な思い出につながるので、「不思善」が大切になってきます。


近年、脳の研究が進んで、思春期の10〜12歳頃には、感情や本能をつかさどる辺縁系(へんえんけい)や帯状回(たいじょうかい)が発達することがわかってきました。性ホルモンが旺盛(おうせい)になる18〜20歳になると、性的な関心や行動が増えます。


一方、感情や性的衝動をコントロールするのは大脳新皮質(しんひしつ)です。しかし、思春期には大脳新皮質の発達が不十分で、感情が爆発したり、性衝動につき動かされたりすることが多く見られます。


脳の仕組みが完成するためには、この思春期にどんな教育を受けるか、誰と知り合い、どんな経験をするかが非常に重要です。


若い時に間違いを犯すことはもちろん避けられません。しかし、間違うことによって、脳は正しい社会活動を営めるように育っていくのです。


■過去の失敗があるから、今の私がある


私はほかの人たちと変わっているところが多く、まわりの人にずいぶん嫌な思いをさせただろうと、よく思います。


誰も気がつかないような間違いもたくさん犯しました。それどころか、実際に間違ったことをしていなくても、「もし間違いを犯していたら、どんなことになっていただろう」などと心配したものです。


写真=iStock.com/GCShutter
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/GCShutter

そのように、私は過去の出来事について、いつも恥じ入り、自分はダメだと自己批判してきました。


しかし、今は違います。過去の出来事は、脳が完成し、よりよい生き方ができるために避けられなかったことだと思うようになりました。


過去の失敗があるから、今の私があります。過去の失敗がなかったら、今の私はないのです。


親の目を盗んでお金を使ったこと、自己主張が強すぎて嫌われたであろうことも、今の私と切り離せません。


そのような経験をした自分が、今の自分になったのです。あの欠点、あの失敗のあった自分の延長が今の自分であり、恥ずかしい過去も自分の一部であって切り離せないのです。


一方、そう思うようになっても、過去を思い出しては自分を責める性癖を根だやしにすることは、やはりできません。そのため、「もの思わざるは仏の稽古なり」と、いつも口癖のように唱えています。


過去は日刊雑誌。読んだらすぐに処分しておこう。


自分の頭を「記憶のゴミ屋敷」にしてはなりません。


■過去を消そうとしている人、抑え込もうとする人


男の過去が勲章とは限りません、あまり聞き出さないほうがいいですよ。


放送作家 永六輔(えいろくすけ)


人間は、意識的に過去を殺して生きていることもあります。


誰もが思い出を懐かしく抱き続けているとは限らず、ある部分を消してしまっている人も多いのです。


なぜなら、人はいつまでも昔のままではないからです。知人や親しかった人、部下や弟子、そして家族まで、昔とは違う人になっていきます。


その変わりようがあまりにもひどい時、私たちは、むしろ思い出などないほうがいいと考え、二度と思い出さないようにするのです。


自己原因による嫌な思い出も、消去の対象になります。


「なぜあんなことをしたのか」と恥じ、悔いる過去はまだいいのです。もっと激しい罪悪感を伴う過去が、多くの人にあります。


そういう過去を消そうとしている人、ちょっとでも頭をかすめると無理にでも抑え込もうとする人、決して他人に話さない人は少なくないのです。


■松下幸之助「過去がつらかったから今がラク」


ある女性Aさんは、結婚して3人の娘をもうけました。ところが、実家の借金を背負ってしまい、婚家との関係も悪くなります。


結局、相談に乗ってもらっていた男性と深い仲になり、子供たちを捨てて家を出てしまいました。


20年後、娘の一人が母親であるAさんを探し出します。Aさんは田舎町のバーを経営しており、母娘は劇的な再会を果たすのです。


娘は、「なぜ自分たちを捨てたのだ」と責めました。しかし、Aさんは「話せない」の一点ばりです。二人は深夜まで議論し、ついには二度と会わないという結論になったのでした。母娘は決別したのです。



高田明和『孤独にならない老い方』(成美堂出版)

一見、極端な例に見えるかもしれません。しかし、よく考えれば、似たような話は、誰の身近にもあると思います。


「今つらいのは過去がラクだったからである。過去がつらいと今がラクである」と、パナソニック創業者の松下幸之助(こうのすけ)さんは言っています。松下さんのように考えれば、悲惨な過去に対する苦痛が多少やわらぐのではないでしょうか。


また、私は、過去をノスタルジックに思い出せる人は幸せだと思っています。美しい記憶は、幸せを実体験しないと持てないからです。ノスタルジアは、かつて自分が幸せだった証拠であると思えば、人生が豊かになります。


記憶が時に映し出す美しかった光景。それが見られるだけで幸福だ。


年配者に必要なのは安らかな幸福感。過去と苦闘する必要はもうないのです。


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高田 明和(たかだ・あきかず)
浜松医科大学名誉教授 医学博士
1935年、静岡県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業、同大学院修了。米国ロズウェルパーク記念研究所、ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学教授を経て、同大学名誉教授。専門は生理学、血液学、脳科学。また、禅の分野にも造詣が深い。主な著書に『HSPと家族関係 「一人にして!」と叫ぶ心、「一人にしないで!」と叫ぶ心』(廣済堂出版)、『魂をゆさぶる禅の名言』(双葉社)、『自己肯定感をとりもどす!』『敏感すぎて苦しい・HSPがたちまち解決』(ともに三笠書房≪知的生きかた文庫≫)など多数ある。
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(浜松医科大学名誉教授 医学博士 高田 明和)

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