「本屋という商売はまだ終わっていない」静岡の独立系書店が自信を持って断言するワケ

2024年3月27日(水)14時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hakase_

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静岡県掛川市に2020年、独立系書店「高久書店」が開業した。店主の高木久直さんが開業を決意したのは、本屋のない地域の子どもたちに「本に出会う場所」をつくるためだったという。全国各地の書店を訪ねたノンフィクションライター三宅玲子さんの著書『本屋のない人生なんて』(光文社)より、一部を紹介する——。(第3回/全3回)
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■人生に悩んだ少年を救った『火の鳥』


静岡県松崎町で敗戦直後に創業した「まりや書店」には、年代を問わず本を求める人たちが集まってきていた。そこではお行儀の悪さを注意されることはあっても、立ち読みをしていたり床に座り込んで読んだりしていて追い出されることはなく、本を仲立ちに大人と子どもが年代を超えておしゃべりをする自由な雰囲気が満ちていた。地域の子どもたちはここで学習漫画や学年誌に出会い、知の冒険の扉を開いた。


生きる方角が定まらず悩む、それが10代だとすれば、その苦しい時期を私たちは誰もが通過しなくてはならない。高木は高2のとき、人生に悩み、自殺さえ頭によぎったことがあった。


悩みの渦中にあったある日、まりや書店で高木は手塚治虫の『火の鳥』を手に取った。時空を超えて存在する超生命体・火の鳥と人間の関わりを描きながら、生と死、輪廻(りんね)転生といった哲学的なテーマを掘り下げた物語だ。スケールの大きなこの長編を読みながら、生きるとはどういうことなのか、高木は生命の根源を考えた。そして全14巻を読み通す頃には、長く苦しい思考のトンネルから抜け出ることができていた。


■29歳でフランチャイズ書店の店長に抜擢


1994(平成6)年に大学を卒業すると高木は静岡県の公立中学校で社会科の非常勤講師として教壇に立った。本採用を目指したが、当時、教員の正規採用試験は5人の採用枠に200人が受験する難関で、足踏みが続いた。非常勤講師として年数が重なる高木を置いてきぼりに、同級生は次々に結婚や転勤など人生のコマを進めていく。


そんなとき、たまたま受けた書店の採用面接に合格した。その書店は静岡市に本店を構えてチェーン展開をしている書店のフランチャイズ運営会社だった。最初の1年半で2つの店に勤め、29歳で掛川の隣の市の店に異動する際に店長に抜擢された。150坪の店を任されたものの、赴任して3カ月経つと人員が削減され、社員は高木ひとりになった。


■店舗運営が評価され、順調に昇進していくが…


早朝にアルバイト社員のシフトを組むと人件費がかさむため、残業代のつかない高木が朝7時半に早出して商品の開梱作業をした。午後10時に閉店してから決算書の書き方や損益貸借表の見方など、経理と財務を中心とした経営実務の実用書を読み込んだ。必要に迫られて経営を独学したこの時期に高木がつくった店舗管理表は、フランチャイズ店だけでなく本部が運営する全店で採用された。


入社4年目には店舗運営の実績が評価され、静岡市にある本部直営の本店リニューアルメンバーとして逆出向した。大抜擢のこの人事で文芸書の責任者として勤務し、1年を終えると掛川市に開店した新店舗の店長をかけもちすることになった。さらに本部の直営店を含む地域のエリアマネージャーを兼任し、所属する会社と本部の両方から給料が支払われた。


しかし高木は本部の経営者の経営方針を支持できなかった。経営者は2000年代になると県外への出店とフランチャイズ展開を強化して拡大路線へと突き進み、異議を唱えた高木の立場は微妙なものになっていく。


■本屋のない地域に、本との出会いの場所を


「愚直」という言葉がぴったりの高木のことだ。直言を厭わなかっただろうし、そこには経営者にとって耳の痛い指摘も含まれていただろう。最後の4年間は本部の社長と会うことがかなわなかったと話したとき、高木は少し苦しげな表情を浮かべた。会社員としての最後は必ずしも納得いくものではなかったようだ。


フラストレーションを発散するかのように、高木は休日になると子ども向けの読み聞かせボランティアの会に加わった。そして、読み聞かせに出向いた町での教え子とのほろ苦い再会が、「走る本屋さん」の活動へ高木を駆り立てることになる。


活動の原点は何かと問われれば、まりや書店で出会った本に、人生の苦しいある時期を支えられた体験だと高木は答える。本屋に支えられ、救われたという思いが高木にはある。まりや書店がなかったら今自分は生きていなかったかもしれないと思うと、本屋のない地域で暮らしている子どもたちに対してすまない、どの子どもたちにも、自由に本に出会うことのできる場所があってほしい、という思いが強くなる。


■中古ワゴン車で「走る本屋さん」をスタート


47歳の高木は会社を辞めて移動本屋を始めることを決心した。しかし、提出した退職願は保留扱いとなり、代わりに、休日に個人で移動本屋の活動をすることは許可された。そこで高木は貯金から50万円を取り崩し、約400冊の児童書や絵本を仕入れた。高木個人との取引に、児童書卸専門の子どもの文化普及協会と、中堅取次会社の八木書店が快く応じた。


子どもの文化普及協会は出版業界の独自の商慣習から離れて、本を売りたいという人に手軽に児童書や絵本を卸すことを目的につくられた株式会社だ。作家の落合恵子が、自身の経営する児童書専門店クレヨンハウスの関連会社として設立した。取引開始に際して保証金は不要、買切が基本条件となるが、雑貨店、生花店、クリニックなど、書店とは異なる業態でも本を取り扱うことができる。


八木書店は昭和初期に神田で古書店として出発した取次会社だ。大手取次会社は新設の独立書店に対する取引開始条件が厳しいと言われるが、比して八木書店は小さな独立書店との取引に好意的なことで知られる。


中古のエブリイワゴンを30万円で購入し、紺色の車体に白いペンキで「走る本屋さん」と大きく染め抜いた。週末になると本を積んだエブリイワゴンを運転して無書店地域を回った。実際に地域へ出かけると、子どもたちが群がるように本に手を伸ばした。そのうちに若い親たちが高木の来訪を喜んで迎えるようになった。


■本屋を植えるひとつめの仕事が高久書店


訪ねた無書店地域の中には、120世帯のうち半数が空き家で1年に赤ちゃんが1人も生まれなかったという地区もあった。地域の老人たちは本屋が近所にあれば本当は本が買いたいのだと口々に話した。


高木は考えた。放置された空き物件を自治体がサポートして無償で貸し出せば、本屋をつくることはできるだろう。本屋に限らず、何かを自分で始めたい若い人たちが移住するきっかけにもなるだろう。無書店地域に本屋をつくるのは不可能ではない、やりようはあると思った高木は、行政と連携して無書店地域に空き物件を活用した本屋をつくるアイデアをあたため始めた。このアイデアを「本屋を植える仕事」と高木は名づけた。


そして「走る本屋さん」の活動を始めて3年が経つ頃、2019(令和元)年秋、退職届が正式に受理され、高木は退職する。翌2020(令和2)年2月に開業した高久書店は、本屋を植えるひとつめの仕事だったのだ。


写真=iStock.com/bee32
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■「本屋は終わった」と思っている人たちを見返したい


ただでさえ書店を成り立たせるのは難しいとされる時代に、無書店地域に本屋を植える——。ロマンはあるが、見通しの立たない話でもある。掛川に植えた高久書店にしても誰もが手放しで賛成できる条件ではない。


私の腑に落ちない思いを見透かしたかのように、高木が話し始めた。


「出版社の人も取次の人も、この業界は終わっているんじゃないかと思っている人が多い。私はね、本屋という商売はもう終わった、と思っている人たちを見返したいんですよ」


高木は静かだが、きっぱりとこう言った。


「本屋は終わってはいないと私は思っています。終わっていないというのは、しっかりと本を売って生活ができるということですよ。書店の後輩たちや本屋をやりたいという後進に対して、本屋が個人の事業として成り立つことを身を以て証明したいと僕は思った」
「そのための戦術は?」
「それは、いかにランニングコストをかけないかということですよ」


高木は上半身をわずかに乗り出した。


「うちを見てもらえればわかるけど、従業員はいません。移動本屋に出るときは、普段は家にいる妻が店番をします。うちの家賃、いくらだと思いますか」


■いまの時代、SNSがミニコミ誌に代わる


家賃は駐車場代込みで私が想像した額の実に半分だった。シャッターを下ろした店舗が増えているとはいえ、新幹線の止まる駅から徒歩圏内にあり、地域一の進学校からほど近い路面店としては破格だった。1927(昭和2)年に建てられたこの物件を所有者はもう賃貸にするつもりはなかったが、この地域に書店を開きたいという高木の主旨に共振したのだという。


重要な戦術のひとつとして高木が力説したのはSNSの活用だった。それには書店員時代の成功体験が関わっている。20代で店長を任された際、B4の紙を二つ折りにした4ページ立てのミニコミ誌「書店通信」を毎月発行していた。イベントやフェアの告知と、高木が自ら書いた新刊本や話題書に関する書評を掲載し、書店情報の伝達に努めた。フェイスブックやツイッターが普及してからは、SNSがミニコミ誌に代わった。


SNSを重要視する理由は簡単だ。


「結局、商売というものは単純に言えば、客単価×人数なんです。書店業は、仮に客単価が2000円だとすると、それが一気に4000円になるような商売ではありません。客単価を伸ばせないとなると、いかに来店客数を増やすかが大事です。いくら、いい棚をつくった、新刊をたくさん揃えたと言っても、お客さんを呼べないと意味がないじゃないですか。だから、一人でも多くの人にうちの店に興味を持ってもらうために、お知らせはとても大事です」


■店内に施された「サンダル経済」の仕掛け


そして「客単価×人数」という方程式に基づいて店内はさりげなく仕掛けが施されていた。


2階の屋根裏部屋で絵本の原画展や写真展などの展覧会を企画するが、入場料はとらない。展覧会を見るために10人が来店すれば、そのうち2人は本を購入してくれる。このように、いかに店に足を運んでもらえるかに力点を置く商売のあり方を、高木は「サンダル経済」と呼んだ。近所の人がサンダルをつっ掛けて立ち寄れるような気軽な場所にすることが、商売の肝だというのだ。


写真=iStock.com/justhavealook
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やや凝った仕掛けとして挙げるとすれば「高久書店ほんわか俳句大賞」(2023年から「掛川ほんわか俳句大賞」に名称変更)だろう。


地元のアマチュア写真家が撮影した掛川の風景写真を季節ごとに3枚、合計12枚を掲載した小冊子を200円(現在は300円)で販売する。高校生以下は無料だ。小冊子の末尾には俳句の投稿用紙が付いている。応募者は小冊子を購入し、作品を書き入れた用紙を高久書店はじめ市内3カ所に設置された投句箱に投稿する。


慣れ親しんだ風景の写真をもとに浮かんだ思いを俳句で表現する体験を通して、ささやかな日常の幸福を振り返る機会を分かち合おうという企画だ。掛川市教育委員会と地元紙が後援につき、市内の中学校でも投句に取り組もうという話にもなった。


■「俳句大賞」が小さな本屋を知るきっかけに


高木が説明をしている間にもシニアが投句に訪れ、ひとしきり高木としゃべって帰っていった。


「ほんわか俳句大賞の業務にはマージンは発生しません(2022年当時)。小冊子を買われるお客様にはレジのところの貯金箱に代金を直接入れていただき、貯金箱ごと、共同で俳句大賞を運営している読書クラブに渡します。読書クラブというのは掛川で長く続いている、本好きな人たちが集う読書愛好会です。うちからは『高久賞』として1万円の図書カードを出します。その意味では持ち出しをしているといえばそうなんですが」


高木の狙い通り、投句のために初めて高久書店を訪れる人が増えたという。なにより、掛川市民にこの小さな本屋の存在が知られるきっかけになった。


「つまり、本屋は誰でも来て、誰でも楽しめる場所だと知ってもらいたい。そのためには、誰もがいていい、買ってくれなくてもいいから来てよと大きな声で言い続けること、それに尽きるんです」


■1902年創刊の歴史ある雑誌も置いている


店内には戦後間もない頃の掛川市街地の写真が飾られている。伊豆半島出身の高木の、掛川の歴史に敬意を払う姿勢が地元の人たちに支持されないはずはない。


静岡関連本のコーナーに、掛川市が編集した小学校の社会科の副教材が並んでいる。小学3年生の目線に合わせて郷土の歴史や地理をわかりやすくまとめた冊子は、子どもだけでなく大人にとっても掛川という土地を知るにはうってつけのテキストだと、高木が掛川市役所に直接交渉をして仕入れた。


すぐ隣に『報徳』というタイトルの雑誌が平積みされている。二宮尊徳の教えを現代に伝えることを目的に、掛川市に本拠地のある大日本報徳社が制作している月刊誌だ。報徳とは、二宮がその生涯を通じて考え、編み出した社会道徳のことだ。


「これ、掛川の書店の中で置いているのはうちだけじゃないかと思いますよ。日本で刊行されている雑誌の中で最も古い部類に入る雑誌ですよ」


1902(明治35)年の創刊で、雑誌コードはもちろんない。日本のリトルプレスの先駆けですねと、地元ならではの出版物を高木は誇った。


■本屋は小さな数字の積み重ねである


高木には大切にしている二宮の教えがある。それは「道徳のない経済は犯罪である、経済のない道徳(理想)は寝言である」という言葉だ。


この教えを実践するかのように、高木は店の前や周辺の掃除を欠かさず、日曜日の休業日には裏の空き地の草刈りをする。掛川の人たちが敬愛する二宮の道徳観に倣いながら掛川の地域社会で自分の人生観や倫理観に基づいて選んだ本を取り揃え、本を商う、それこそがこの町に本屋が存在する意味なのだと高木は信じていた。



三宅玲子『本屋のない人生なんて』(光文社)

商売というものについて考えさせられた場面があった。「ほんわか俳句大賞」について説明を受けていたときのことだ。原稿を書く際の資料として小冊子を持って帰りたいと思い、私は何気なく「これ、一部いただけますか」と言った。すると高木は笑顔でこう返した。


「差し上げるのはかまいません。でもね、これ、本当は1部200円で販売しているものなんですよ」


私は軽々しく資料として持ち帰ろうとしたことが恥ずかしかった。本を売る実業とはこのような数字の積み重ねなのだと高木は私に教えていた。こうした数字のひとつひとつを疎かにしないことの先に本屋を植える仕事はある。


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三宅 玲子(みやけ・れいこ)
ノンフィクションライター
熊本県生まれ。「ひとと世の中」をテーマに取材。2024年3月、北海道から九州まで11の独立書店の物語『本屋のない人生なんて』(光文社)を出版。他に『真夜中の陽だまり ルポ・夜間保育園』(文芸春秋)。
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(ノンフィクションライター 三宅 玲子)

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