なぜ「昭和っぽい映像」にこだわるのか…「タローマン」「石田三成CM」の生みの親がアナログ特撮にこだわる理由

2024年4月16日(火)16時15分 プレジデント社

出所=『ネガティブクリエイティブ』(扶桑社)

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クリエイティブな人間になるにはどうすればいいか。NHK Eテレの特撮テレビドラマ『TAROMAN』を手掛けた映像作家の藤井亮さんは「目新しさのヒントはトレンドを漁っていても見つからない。あえてみんなとは違う山に登り、王道からの違和感やズレによって目立つことを目指してみるのも一つの手だ」という——。

※本稿は、藤井亮『ネガティブクリエイティブ つまらない人間こそおもしろいを生みだせる』(扶桑社)の一部を再編集したものです。


■常に流行コンテンツを追ったほうがいい?


クリエイターたるもの、常に最新のコンテンツをキャッチアップしていなければなりません。SNSで話題の新作は逃さずに追いかけてインプットしましょう。


……みたいな人からすると、僕はまったくもって失格の人間です。世の中から置いてけぼりにされるようなインプットしかしていません。欠かさず追いかけているのは、子どもと一緒に見ている『おかあさんといっしょ』くらいです。


もちろん、見る側としては新しい刺激を求めるのはとても楽しく、それでまったく問題ないのですが、つくる側になったとき、その姿勢は単純にクリエイターとして効率が悪くはないでしょうか。


常に流行のコンテンツを追っているばかりでは、「こういうのがウケている」「流行りに乗っかろう」として、無意識に二番煎じの後追いコンテンツをつくってしまう気がするのです。「冷静な分析によるマーケティングとはそういうものだ」と言われたらそうかもしれませんが、せっかくつくるのであればなにか目新しいものをつくりたいものです。


■あえて誰も登っていない山に一人で登る


その目新しさのヒントは、トレンドを漁っていても見つからないと思います。みんなが集まっているところは一見正解に見えますが、そこへ行かないと間違いなんじゃないかと不安に駆られる元でもあります。


それなら、みんなが大挙して夢中で登っている山の最後尾に今から並んで登るよりも、まだ他の人が登っていない山を登るほうが、新鮮でおもしろい景色が見えるかもしれません。


出所=『ネガティブクリエイティブ』(扶桑社)

まるでただの天邪鬼のように聞こえるかもしれませんが、この「まわりの人があまりインプットしていないものを摂取する」というのは、クリエイティブにおいては本当に効果的で、しかも簡単にできるやり方です。


もちろん、みんなが知っている王道を狙ったコンテンツで超ハイクオリティのものがつくれたら最高ですが、ほとんどのクリエイターにはそれを許されるチャンスもバジェットもなかなかもらえません。


だったら、あえてみんなとは違う山に登り、王道からの違和感やズレによって目立つことを目指してみるのも一つの手です。そのほうが見ている人の心にひっかかりやすくなるからです。


■違和感やズレが「新鮮味」になる


僕の場合は、みんなが最新技術でハイクオリティな映像をつくっている中、あえて昭和のローカルCMのテイストやアナログ特撮を再現した映像をつくったりしています。その違和感やズレを、観た人は逆に新鮮に感じてくれるのです(この手法も、今ややる人が増えてしまって新鮮味は失われつつありますが……)。


そんな違和感やズレというノイズを自分の作品に取り入れるためには、みんなの興味のあるものしか流れてこないSNSのタイムラインを見ているだけでは難しいと思っています。


たとえば、本屋に行ってあえてまったく知らないジャンルの棚をのぞいてみるようなことや、まわりの人が観ていなさそうなジャンルの映画を進んで観てみるようなことが効果的です。そうすることで、本棚には石の図鑑や黒魔術の解説本などわけのわからないものが増えていきます。ロシアや東南アジアの古い映画なんかを観て混乱することも多々あります。


でも、そんな流行を無視した乱雑なインプットが、自分でもどう役立っているのかわからないまま、どこかで活きてくるものなのです。


■「自分しかわからない」が観客の心をくすぐる


2022年に渋谷PARCOで、「大嘘博物館 カプセルトイ2億年の歴史」という、展示品のすべてが嘘でできた博物館を開催したことがあります。


「大嘘博物館」(渋谷PARCO、2022年)主催:ほぼ日/共催:キタンクラブ/企画・プロデュース:藤井亮[出所=『ネガティブクリエイティブ』(扶桑社)]

このときは、過去の乱雑なインプットが「博物館」というフォーマットに収束し、一つのよくわからない体験に結びつくという貴重な経験をすることができました。


80年代のカルチャーや、妙なヘタウマ感の味のあるロマネスク美術、陰謀論の映像、古代遺跡から化石まで、今までの自分が興味を持ったものを無理やりカプセルトイに結びつけていったのです。


そんなニッチに向けた狭い表現をしていると、世間で話題にならないのでは? と疑問を覚えると思います。実際、僕もつくっている最中はいつも心配で冷や汗をかいているくらいです。


しかし実は、表現のターゲットや射程が狭かったり短かったりすればするほど、見ている側の「この良さをわかっているのは、自分しかいないのでは……?」という気持ちをくすぐり、王道のコンテンツよりもむしろ大きな熱量でSNSなどで語ってくれるような気がしています。


■父の「謎のプレゼント」が現在の血肉に


ちなみに子どもの頃、父は欲しいものはあまり買ってくれませんでしたが、薬局に置いてあったカエルのケロちゃん人形を100体とか、大量の魚の醤油差しとか、よく変なものを買ったりもらったりしてくる人でした。子ども心にもどう遊んだら良いのかと唖然としたものですが、どうにかこうにかあるもので創意工夫して遊びを考える精神を培ってくれた気がします。


ドラゴンクエストが欲しい欲しいと言い続けた誕生日に買ってきてくれたのは、巨大な謎のアンテナのついた怪しいラジオでした。みんながスライムを倒してレベルを上げている間、仕方なしに謎ラジオをチューニングして北朝鮮かどこかの謎言語のラジオを聴いていた経験は、なにかズラした表現をする現在の僕の血肉になっているように思います。


流行りのものは“かぶらない”ために見ておくくらいでちょうどいいのかもしれません。


■100人のうちの1人に狙いを定める


映像、とくに広告をつくるうえでマーケティングは避けられません。年齢層や性別といった属性で分けて、どの層をターゲットにして広告を当てていくかは常に議論になります。


でも、正直なことをいうと「20代女性のライフステージを想定した女性像」みたいな、マーケティングの資料に出てくるような人間なんて存在しないのではないかと思います。


自分の同級生を思い出してみても、ライフステージも個性も好みもみんなバラバラ。自分を含めて全員が同じ「40代男性」のマーケティングに入れられるのは、腑に落ちない気持ちになりませんか?


そんなふんわりしたターゲット層を狙っても、刺さるものはなかなか生まれません。100人のうち60人にうっすら届く作品よりも、1人か2人にしっかりと強く刺さるようなもののほうがぜったいに良いと思います。


たとえ全人口の1%だとしても、日本でいえば100万人を超える数です。


その人たちが強い熱量で「おもしろい!」「これは自分のためにつくられたものだ!」と反応してくれれば、今まで興味を持ってくれなかった人にも届くかもしれません。


だから、散弾銃のように大勢に当たるように放つよりも、ライフルのスコープをのぞき、たった一人のターゲットを狙い撃ちするようにつくるべきなのです。


■“たった一人”のターゲットは「自分」でいい


では、どうやってその“たった一人”のターゲットを見つければいいのでしょうか。根本的なところでは、「自分」で良いと思っています。僕はすべての制作物を10代の頃の、パッとしない田舎の冴えない男子であった自分に向けてつくっているふしがあります。彼がどんなものに興奮して笑って、元気になってくれるかを。


とはいえ、それだけではイメージが膨らみきらないときもあります。たとえばクライアントから「ウチの商品は30代〜40代の男性が購買層です」と言われたとき、ぼんやりとその年代の男性をイメージしても、ピンときませんよね。そんなときは、「大学の同級生のアイツ」とか、誰か特定の人物を思い浮かべましょう。そして、その一人に向けて全力でつくるのです。


もし可能であれば、その特定の人物に実際にアイデアを話してみたり、絵コンテを見てもらったりしてもいいかもしれません。もらったフィードバックを元にブラッシュアップすれば、そのクリエイティブはさらにリアルで濃密なものになると思います。


とにかく、ぼんやりと想定されている存在しないターゲットよりも、顔の見える具体的な誰かにウケることを想像するのが大切です。


■戦闘シーンだけ熱心に見ていた4歳の息子


僕が『TAROMAN』をつくったときは、岡本太郎作品を若い人にも知ってほしいということもあり、当時4歳だった自分の息子が喜びそうな作品とはなんだろう? ということを考えました。


テレビで特撮番組がはじまると、息子は人間ドラマにはまったく興味を示さず、戦闘シーンだけを熱心に見ていました。それならばと、ドラマパートを極端に減らして、ほぼ特撮シーンだけで構成することにしたのです。


結果、息子も楽しんでくれて安心したし、子どもたちをはじめ少なくない人に届いた実感もありました。


とはいえ、具体的なターゲットが浮かばないときもあります。その場合は、一緒に仕事をしているスタッフにウケるためにはどうしたらいいか考えることもあります。


サノヤス・ヒシノ明昌(現・新来島サノヤス造船)のテレビCM「造船番長」の現場では、アニメーション制作を手伝ってくれた大学時代の同級生・田中紫紋に対して、次はどんなカットを送ったら彼はウケるだろうか、と考えながら絵コンテを描いてはメールで送りつけ、反応を見ながら制作しました。


結果的に、地方のローカルCMがカンヌ国際広告祭PR部門で銀賞を受賞することができたので、こんな方法も時には有効かもしれません。


■低予算だからこそ1970年代感を出せた


僕がおもしろ系の映像にこだわるのは、もちろんそういうものが好きだからというのが最大の理由ですが、東京よりも低予算になることが多い関西の広告業界で長年経験を積んできたから、ということも大きいです。


というのも、経験上、映像で感動させたり泣かせたりするには、感情移入させるために映像のリッチさ、感動を生み出すためのシチュエーションや照明や撮影機材、そして尺の積み重ねが必要であり、どうしても予算の低さはマイナスに転ぶことのほうが多いからです。カッコよさやおしゃれさに関しても同様です。


一方で、おもしろ系は数十秒〜数分で十分効果的な映像がつくれるし、予算が低くてもその安っぽさを逆手にとって笑いにできる側面があります。予算がないときほど、おもしろ系のほうがコスパ良くクオリティを高められるのです。CMなどを流す媒体費においても、少ない出稿量で記憶に残すことができます。



藤井亮『ネガティブクリエイティブ つまらない人間こそおもしろいを生みだせる』(扶桑社)

たとえば、『TAROMAN』は外でロケをするほど予算がなかったので、特撮ではない人物パートもすべて昔の写真やミニチュアを背景に合成して撮影したのですが、それがかえって味となり、印象的な70年代感を出すことができました。


これで中途半端に予算があったら、中途半端な規模のセットを組んでしまったり、限られた現存する昭和風のロケーションで無理やりロケをしようとしたりして、同じところばかりが舞台になった狭い世界観の映像になってしまっていただろうと思います。


現存しない古い写真やミニチュアを背景にすることで、虚構の世界観をより強く押し出すことができたのです。


■条件が悪いときのほうがアイデアが生まれやすい


思い返せば、滋賀県の「石田三成CM」のときは、撮影場所が映像用ではなくて、武将の鎧などを着て記念撮影するフォトスタジオでした。映像を撮影するにはあまりに狭かったので、開き直って合成用のブルーバックの布を支えている柱をそのまま映したら、逆にそれが昭和のローカルCM感を醸し出し、おもしろさに繋がったということがありました。


滋賀県CM「石田三成CM」(2017年)滋賀県[出所=『ネガティブクリエイティブ』(扶桑社)]

なまじ予算があると、リッチな絵で点数を上げられるので、絵をリッチにすることが目的になってしまいがちです。すると撮れた時点で安心してしまい、なんとか点数を上げようとする工夫をしなくなる、ということが起きます。さらには予算が増えて、多くの人数が関わるほどに、気軽にあれこれ試行錯誤する余地がどんどん減っていきます。現場の思いつきでちょっとアングルを変えようとするにも大騒ぎになってしまうのです。


むしろ制作の条件が悪いときのほうが、その状況を打開しようとおもしろいアイデアが生まれやすくなります。逆境を活かしやすいという意味でも、おもしろ系の企画には強度があるのだと思います。


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藤井 亮(ふじい・りょう)
映像作家、クリエイティブディレクター
1979年、愛知県出身。武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン科卒。電通、フリーランスを経て、GOSAY studios設立。主な作品に、『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』、「石田三成CM」、「サウンドロゴしりとり」、「造船番長」、「大嘘博物館」など。考え抜かれたくだらないアイデアで遊び心あふれたコンテンツを生みだし話題を集める。ACC賞グランプリ、TCC賞、ADC賞、カンヌライオンズ銀賞、ギャラクシー賞、放送文化基金賞など、国内外の受賞多数。著書に『ネガティブクリエイティブ つまらない人間こそおもしろいを生みだせる』(扶桑社)がある。
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(映像作家、クリエイティブディレクター 藤井 亮)

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