妻を亡くし、認知症に悩む93歳の父親が、孫の「結婚顔合わせ」の前にひそかに準備していたこと

2024年4月20日(土)8時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuliia Bondar

写真を拡大

高齢者が高齢者の親を介護する「老老介護」では、当事者はどんな葛藤を抱えているのか。65歳の作家・森久美子さんが93歳の父親とのかかわりを綴った著書『オーマイ・ダッド! 父がだんだん壊れていく』(中央公論新社)より、一部を紹介する——。

※年齢は2021年当時のものです。


■認知症でも失っていないもの


父が認知症の診断を受けてから、6カ月が過ぎる。数年前から急に怒りっぽくなったり、何か得体のしれないものに苛立ったりしていた父。日々能力が衰える自分に恐怖を持っていたのだと思う。


最もほっとした表情を見せるのは、「歳を取ったら誰だってそうなるよ」と慰められたときだ。私が父に頼まれた買い物を忘れたり、一度言ったことをまた言ったりすると、嬉々として言う。


「俺より先にボケるなよ!」


老々介護の域に入っている私としては、あまり笑えない。さりげなく言い返す。


「みんな歳を取るんだよ」


すると父は照れくさそうな顔をした。


父の孫の一人が、夏に結婚式を挙げるのが決まっている。両家の顔合わせ式が行われることになり、父が父親代わりに列席することになった。


私は父のクローゼットから30年以上前の現役時代のスーツを出し、ワイシャツをハンガーにかけた。ネクタイはお気に入りのものを、父が自分で選んだ。靴はスルっと履けて楽だけれど、カジュアルではないものを、靴箱から選んで出しておいた。


顔合わせ式の朝、迎えに行くとシューズボックスの扉が半開きになっていた。中を覗いたら靴クリーム等が入った箱の蓋が開いていて、使った形跡がある。


「パパ、自分で靴を磨いたの?」
「あぁ、俺がした」


玄関に並べてある父の靴が艶やかに光っている。私は、不意に涙が込み上げてきた。認知症だって、孫の晴れの日を祝う喜びが、父の中に溢れている。


写真=iStock.com/Yuliia Bondar
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yuliia Bondar

今度の日曜日は父の日。今年こそ照れずに父に言おうと思う。


「パパ、ありがとう。私はあなたの子どもで良かった」


■運転免許証を手放せなかった父


思い起こせば、父の運転をやめさせなければと強く思ったのは、2019年春のことだった。その当時父は90歳。夕食後に一緒にテレビを見ていると、衝撃的なニュースが飛び込んできた。東京の池袋で高齢者が運転する車が暴走し、母子が亡くなる事故が起きたという。


「パパ、こんなことになったら取り返しがつかないよ。もう運転をやめて」


父は素直に相槌を打った。


「そうだな。人を轢いたら大変だよな」


私は、父が80歳を超えた頃から、まだ運転していることに危機感を持っていた。今なら父は、免許証返納を決意するかもしれないと期待して、普段より強い口調で言った。


「人の人生を奪うことになったらお詫びのしようがないでしょ。免許証返納してよ」
「俺は人を轢くような下手な運転はしない。これまで事故を起こしたことはない」


私はかっとして声を荒らげた。


「何言っているの! 自分の問題として考えられないのは、年寄りの証拠。パパは思考が変になっているんだよ!」


■「それ、昨日も見たよ」という言葉は飲み込む


このような不毛な言い合いを何度したか、とても数えきれない。しかし、予想外の自損事故により父の乗る車がなくなったため、とりあえず、父が人身事故を起こすのではないかという不安からは解放された。


父は事故後に体調不良が続き、高血圧の治療をしている。脳神経内科も受診して、記憶を司るところに機能していない部分があることがわかった。「長谷川式認知症スケール」の検査結果を総合し、認知症と診断された。


父の認知症は、新しいできごとは忘れてしまうが、昔のことは不思議な程よく覚えているのが特徴的だ。


「おまえに見せたことのないアルバムを見つけた」


そう前置きして、私の前で毎日開くのは、父が勤めていた会社の1980年(昭和55年)の記念アルバムだ。写真の中の父は、仕事に脂の乗った生き生きとした顔で映っている。


「この人は、お酒が強かった」「この人とは、よくゴルフをした」等、当時の同僚たちの特徴を、父は細かく、懐かしそうに説明してくれる。


父が認知症だとわかったことにより、私の関わり方が自然に変わってきていた。よく言えば優しくなったから、「それ、昨日も見たよ」という言葉は飲み込む。初めて見て興味を持ったふうを装って父に言う。


「パパ、懐かしいね。私もそのおじさんのこと、覚えているよ。海水浴に行くバスの中で、膝にのせてくれたの。がっしりとした体の人だったね」


写真=iStock.com/StockPlanets
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/StockPlanets

■気持ちに共感して寄り添えば、笑顔を引き出せる


昭和の時代は、会社主催で運動会や海水浴等のレクレーション大会が毎年開催されていた。子どもの頃に何度かお会いしたことのある方々が、集合写真に並んでいる。父の思い出を共有できるのは、1人娘である私しかいない。


明るく思い出話を始めると思いきや、父は亡くなった人に、赤いボールペンで小さく×印を付け始めた。


「この人もいなくなった……この人もいなくなった……」


前列にいる人たちは、父と同期か先輩の方ばかりだ。全員に赤の×が付いてしまった。私は慰めにまわる。


「それは、寂しいね」


父はしょげて、肩を落としてつぶやく。


「うん、寂しい。知っている人が、誰もいなくなった」


親、兄弟、妻、友人。大切な人が誰もいなくなるのは、寂しさを通り越して、恐怖すら感じるのではないだろうか。


私も父のように長生きしたら、同じように、この世に1人取り残される寂しさを味わうのだろう。将来の自分を励ます気持ちも込めて、私は必死で言葉を探した。


「大丈夫、パパには私がいるし、孫もひ孫もいるじゃない」


すると父は、ニコッとかわいい微笑みを浮かべて言った。


「そうだな。俺は幸せだ」


認知症であることを前提に、父の気持ちに共感して寄り添えば、笑顔を引き出せることが、ようやく私にもわかってきた。


■週に一度、デイサービスに通うのが楽しみ


事故前は、父は車でスーパーに行って、できあいの総菜や弁当を買うことで、食生活を自力で賄うことができていた。父の1人暮らしを支えるのは、1人娘である私の役目だと思い、洗濯や掃除は私が通いでしていた。


認知症になってからは、食事作りや通院、入浴の世話だけでなく、見守りと話し相手が私の重要な役割だ。時間的な負担が大きく、私の仕事に支障をきたすことも多くなってきた。


父の状態は、要支援から要介護に進み、福祉の相談をする相手は、地域包括支援センターから介護事業所のケアマネージャーに変わった。介護支援のプロの提案で、父に合うデイサービスが見つかり、週に一度通うのが楽しみな様子だ。


本当は、父が利用する前に施設見学に行きたかったのだが、コロナ禍の状況の中では、利用者以外は立ち入れないことになっていた。父が帰宅したら、その日の様子を聞くのが、最近の私の楽しみだ。


「今日は何をしたの?」


ところが、父の返事は素っ気ない。


「何もしなかった」
「え? お風呂に入ったり、体操したりしたでしょ?」
「あぁ、そういえば、風呂には入った。体を洗ってくれるから、気持ち良かった。サービスいいよな」


施設で入浴支援を受けているとは捉えず、単に親切にされていると父は思っているらしい。


「スポーツクラブは、自分で運転しなければ行けなかったけど、デイサービスは迎えに来てくれるから助かる。車ないからな……」


■「ばあさんばかりだから、バーレムだ」


私は父の口から、「車」という言葉が出ると、ドキッとする。車がないことを憂えているのは、「車があったら乗る」つもりなのか。想像するだけで恐ろしい。早く話題を変えなければと考えながら手を動かし、デイサービスから持ち帰った着替えをバッグから取り出した。


すると、小さな紙パックの野菜ジュースが1個入っていた。私は驚いて父に聞いた。


「パパ、これ、いただいたの?」
「そうだ、誰か知らない女の人がくれた」


翌週は、キャンディーが1粒。違う日には、手作りの布製の靴入れをもらってきた。なかなかおしゃれなデザインで、私は早速父の室内履きをその袋に入れ替えた。デイサービス利用者の中に、父に好意を持っている人がいるのだろうか。


「パパ、毎回、プレゼントをもらうなんて、人気があるんじゃない? 同じ女性なの?」
「誰だったか忘れたけど、たぶん同じ人ではないな」
「顔を覚えてこないと、次に行ったときにお礼を言えないでしょ。覚えてきてよ」


父は困った顔をしている。


「そう言われても、来ているのは女性ばっかりだ。みんな化粧をして、同じような髪形でマスクをしていて、誰が誰だかわからない」
「すごい! 女性ばっかりなんて、ハーレムみたいじゃない?」


興奮気味に言った私に、父はクールに答えた。



森久美子『オーマイ・ダッド! 父がだんだん壊れていく』(中央公論新社)

「いや、ハーレムではないな。ばあさんばかりだから、バーレムだ」


私は爆笑した。


「バーレム、いいね! 大喜利なら、座布団1枚! っていう感じ」


私が褒めているのに、父は少し不服だったらしい。


「座布団2枚でないのか? 少ないな」


認知症がゆっくりと進行している父だけれども、ユーモアは残っている。父の人格の中の良い面を失わないように守るのも、家族の役割なのかもしれない。


----------
森 久美子(もり・くみこ)
作家、拓殖大学北海道短期大学客員教授
1956年北海道札幌市生まれ。北海道大学公共政策大学院修了。1995年、開拓時代の農村を舞台にした小説で朝日新聞北海道主催の「らいらっく文学賞」に入賞。以来、多数の連載を持つほか、「食」と「農業」をテーマにした講演やラジオ番組のパーソナリティーを務める。ホクレン夢大賞・農業応援部門優秀賞、農業農村工学会賞・著作賞受賞。農林水産省・食料・農業・農村政策審議会委員などを歴任。2022年より、拓殖大学北海道短期大学客員教授。『ハッカの薫る丘で』『古民家再生物語』『優しいおうち』(中央公論新社)など著書多数。
----------


(作家、拓殖大学北海道短期大学客員教授 森 久美子)

プレジデント社

「認知症」をもっと詳しく

「認知症」のニュース

「認知症」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ