あいさつ代わりに「子どもはまだか」と言われる…過疎村に定住した女性が見た地方移住に向く人とそうでない人

2024年4月21日(日)8時15分 プレジデント社

冬の山熊田の様子 - 画像提供=大滝ジュンコさん

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田舎暮らしを成功させるには、どうすればいいのか。『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』(山と渓谷社)を書いた大滝ジュンコさんは、9年前に新潟県にある人口37人の集落へ移り住んだ。大滝さんは「地方移住に成功する人と失敗する人には明確な違いがある」という。(後編/全2回)
画像提供=大滝ジュンコさん
冬の山熊田の様子 - 画像提供=大滝ジュンコさん

■あいさつ代わりに村人から「子どもはまだか?」


前編から続く)


——田舎暮らしに憧れて地方に移住したものの、なじめない人も多いなか、大滝さんが人口37人の山熊田に定着できた理由はなんでしょうか。


それは、たぶん私がいい加減だからですね。


あとは、いろいろな出来事の背景を調べたり、考えたりするのが、好きな性格だったというのも大きいかもしれません。


たとえば、移住の1年後、私はマタギの頭領と結婚したのですが、結婚当初から村を歩いているとあいさつ代わりに「子どもはまだか?」「孕んだか?」と声をかけられました。


最初はびっくりしましたが、背景を考えて、自分なりに納得しました。かつては山熊田のような山村に新たな人が暮らしはじめる場合、結婚以外に有り得なかったわけです。結婚以外の移住者がいないから、次は子ども、という発想になってしまう。それはある意味で仕方のないことかもしれないな、と。


■田舎に定住する上でもっとも大切なこと


しかも山熊田の住民はほとんどが高齢者で、みんな親戚なんですよ。いま社会で問題になるようなモラハラなどの価値観にも疎い。何よりも、村全体がアットホーム。


もっと言えば、村の37人が1つの家族のような関係性なんです。関係性が近いから、互いに気を遣わない。そうした事情が納得できれば、村への理解が深まります。


またマタギたちは、熊狩りで互いの命を預け合うような信頼で結ばれています。だから村全体の結束も強くなる。そんな背景を知れば、村人同士の関係にも敬意が持てる。


それに、田舎暮らし、地方移住と一括りに言っても集落ごとに特色が異なります。こう言っては身も蓋もないのですが、定住する上でもっとも大切なのが、村や住民との相性なのではないでしょうか。


悪気がないのは分かったとしても、あいさつ代わりに「子どもはまだか?」「孕んだか?」と言われるのが、耐えられない人は多いでしょうから。


■カゴもカバンも雨合羽もすべて自家製


——大滝さんは、山熊田のどんなところと相性が合ったのですか?


いくつかありますね。


まず1つは酒文化。マタギたちの熊狩り、田植え、稲刈り、盆踊りなど、何かあったら、村の人たちが集まって飲んでいる。みんな幼なじみで親戚でもあるから、遠慮なくワイワイやる。それが、楽しいんですよ。


もう1つ山熊田と相性がよかったと感じるのは、物づくりです。


山熊田では店がないから、何も買えない。だからみんな山にある物でつくってしまう。山菜を採りに行くときのカゴや袋も植物の蔦でつくるし、背負子やそれを担ぐ荷縄もその辺の材料で作ってしまう。


熊やテンなどの皮をなめした毛皮も自家製だし、最近まで雨合羽代わりにガマや樹皮でつくった簔も使っていました。いま私は日本三大古代布の1つで、山熊田の伝統工芸品「羽越しな布」の制作にたずさわっているのですが、旧式の機織り機も手づくりです。


画像提供=大滝ジュンコさん
山熊田の伝統工芸品「羽越しな布」 - 画像提供=大滝ジュンコさん

必要な物は自分でつくる。まっとうなスタンスだと感じたし、クリエイティビティな暮らしだなと思いました。私は現代アートをやっていたから山熊田の物づくりにとてもシンパシーを感じたんです。


昔は各家で濁酒(どぶろく)もつくっていたそうです。


■住民を見下す移住者


——やっぱり酒文化なんですね。村に飲めない人はいないんですか?


どうでしょう。病気で飲めないおじいちゃんはいるけど、歳がいっても量が減るだけで、みんな飲んでますね。(飲み過ぎで体を壊した人はいないのです、怖いことに)。


女衆も飲む人が多いですね。私が移住してから村の女衆だけの飲み会も定期的に開くようになりました。そう考えると、酒の場を楽しめない人には山熊田は厳しいかもしれません。


写真=iStock.com/liebre
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/liebre

山熊田がある村上市旧山北町には、小さな集落がいくつもあります。先ほど集落ごとに性格が違うと話しましたが、なかには移住者に対して過干渉かなと思う集落もある。


——「子どもはまだか?」も過干渉な気がするのですが。


確かに。問題なのは過干渉というよりも、愛のない干渉なのかもしれません。その集落から離れた山熊田に暮らす私の耳にも、移住者に対する悪口や愚痴が届くこともありますから。


私が移住者の1人として言えるのは、よそからきた人はみんな弱者ということ。他愛のない悪口や陰口、愚痴も本人にとっては、土地を離れる原因になるほどのダメージになってしまう。


一方で問題がある移住者もいるのも事実です。無意識なのかもしれませんが、あからさまに田舎を見下している人もいる。


画像提供=大滝ジュンコさん
集落を流れる山熊田川でとれたアユを焼く - 画像提供=大滝ジュンコさん

■都会でダメな人は田舎でもダメ


以前、近くの集落に都会から移住してきた若い女性が暮らしはじめました。彼女は「こんな田舎でわざわざ暮らしてやっているんだから、私を大切にあつかってほしい」という態度で、集落の人に甘えていた。


実際、やりたい放題で移住からしばらくすると集落の人たちが困惑し出しました。人の家に勝手に上がりこんで冷蔵庫から食材を拝借したり、集落共有のワラビを勝手に持っていったり、自分の家にもお風呂があるのに隣家のお風呂に毎日入りに行ったりしていた。


どうやら、お金を節約したかったらしいんですが、度を超していた。なにより村人や集落への敬意が完全に欠如していた。結局、しばらくすると彼女も集落から出ていってしまいました。


——田舎を見下しているというだけではなく、その人自身に大きな問題がある気がします。


彼女だけではなく、土地の人とうまくいかない移住者には共通点があるように感じるんですよ。都会での暮らし、つまり仕事や人間関係がうまくいかなかったから、田舎に移住しようと考える人が少なからずいます。


でも、都会でうまくいかなかったから田舎でうまくいくとは限らない。むしろ都会でダメだったら、田舎でもダメな可能性が高い。


画像提供=大滝ジュンコさん
熊の骨も身も煮込んだ熊汁。骨の部分はがぶりと「ほねかじり」して食べる - 画像提供=大滝ジュンコさん

■なぜクマの狩猟は女人禁制なのか


移住先で、田舎者だと集落の人を見下したり、他力本願で集落の人たちに甘えたりしていたら、いつまで経っても集落の一員になれません。


移住者は、土地や文化、人に敬意を持つ必要がある。受け入れる側は、移住者を好きになる努力をする。移住にはお互いの歩み寄りが不可欠です。最悪の場合、お互いにすり減って共倒れになってしまう。


その点で、山熊田でも困った出来事がありました。


ある東京の男子学生が、伝統的に続いてきた熊の巻狩りを体験したいと山熊田に通っていました。何日も村の人の家に宿泊して食事も世話してもらっていました。でも、借りていた部屋は散らかし放題で、食事をごちそうになっても片付けも手伝わない。


ある日、彼が女子学生を連れて山熊田にきたんです。きっと「オレと一緒なら巻狩りに参加できる」とでも言ったのでしょう。でも、すでに巻狩りの時期は終わっていた。


そもそも、春に行われる巻狩りは、山熊田にとって、神事で女人禁制なんです。時代錯誤だと思われるかも知れませんが、村で大切に守ってきた習俗です。


私はもちろん、山熊田に嫁いで70年になる私の義母も、もちろん巻狩りに参加した経験はありません。当初は私も女性差別なのか、とも感じたんですが、どうやら話はそう単純ではないようです。


■集落を大混乱に陥れた大学生の暴挙


山熊田では、熊肉は、山の神様が授けてくれる最高のごちそうだと受け止めています。同時に、熊は山の神に捧げる供物でもある。


当然、巻狩りは危険をともないます。マタギたちは雪渓を駆け下りたり、崖をよじ登ったりしながら熊を追う。女人禁制には、過酷で危険な現場から、家や子どもを守る女性を遠ざける意味合いがある。



大滝ジュンコ『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』(山と渓谷社)

また現場に女性がいるといいところを見せようとして冷静な判断ができなくなるという要因もあったのでしょう。だから山熊田では、昔から男性は熊狩り、女性は機織りという役割が与えられていた。


にもかかわらず、その男子学生は、ほかの集落の猟師や女子学生と他地域の山のハイキングコースを歩いてくるとウソをついて山熊田の山に入り、その猟師たちは熊を捕ってしまった。


山熊田のマタギや年寄り、女衆は激怒しました。話をややこしくしたのは、ほかの集落の猟師が連れていったこと。高齢化と人口減少で、ずいぶん前から山熊田のマタギだけでは巻狩りができずに、ほかの集落の猟師に助っ人を頼んでいたんです。


恩がある彼らには強く言えない。掟を破ったという事実だけが残り、いままで助け合っていたマタギたちの調和が崩れてしまった。


■「令和の時代に何を言っているんですか?」


村の根幹を揺るがす一大事だったにもかかわらず、男子学生は「令和の時代に何を言っているんですか?」という態度で深刻に受け止めていなかった。


山での暮らしを人と人が支え合う。山熊田の伝統を紐解いていくと、そうした切実さをともなっているのが分かります。何度も通っているのに、彼には、それを理解してもらえなかった。


——それこそ集落の文化や習慣に対する敬意を欠いた行為ですね。


山熊田のマタギは保守派を超えた超保守派なんです。だから令和のいまも、伝統が続いている。集落の内部で、時代が変わったから伝統を改めていこうと話し合いが行われた結果なら、住民は納得できなくても仕方ないと割り切れるでしょう。


でも、外からきた人が、唐突に村の掟を破ってしまった。あれから数年が経ちますが、いまだにわだかまりが残っています。


■外部と触れ合う難しさ


山熊田は、山奥にあるにもかかわらず、いえ、だからこそ外の人を広く受け入れる雰囲気がある。男子学生の体験希望にも協力するし、私も村という家族の一員として受け入れてもらえた。


山熊田には調査をしたり、取材をしたりする人がよく訪ねてきます。実際に暮らして実感したことがあるんです。それは、山熊田には、研究者やジャーナリストの関心を引く伝統や風習が確かに息づいている。一方で、ここが生活の場でもあるということ。


自分たちが誇る伝統を知って欲しいと調査や取材を受け入れた。その結果、暮らしを乱され、何度も困惑してきました。私にも、山熊田の人たちの思いが、ようやく分かるようになってきた気がするんです。


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大滝 ジュンコ(おおたき・じゅんこ)
現代美術家
1977年埼玉県坂戸市生まれ。東北芸術工科大学金属工芸コース卒、同大学院実験芸術コース修了。立体造形、インスタレーション、パフォーマンス、文章など、その場その時に適した表現手法を用い、全国各地、各国で活動を行う。村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年移住。現在は山熊田に伝わる国指定・伝統的工芸品「羽越しな布」を継承し、個人工房設立。羽越しな布の制作や育成、振興に取り組む。
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(現代美術家 大滝 ジュンコ インタビュー・構成=プレジデントオンライン編集部)

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