日本が貧乏になった「真の原因」はここにある…「急ぐなら19万円払え」でクレーマーを撃退する英国行政の凄さ
2025年4月28日(月)8時15分 プレジデント社
英国の銀行から郵便で送られてきたモーリシャスとUAEの通貨 - 筆者提供
■「レターパックで現金送れ」が詐欺ではない英国
日本では「『レターパックで現金送れ』はすべて詐欺」だが、筆者が住む英国ではごく普通のことだ。最近、ドバイとモーリシャスに行くのに、現地通貨(モーリシャス・ルピーとUAEディルハム)を入手する必要があったので、銀行にオンラインで注文したところ、翌日には郵便で自宅に届いた。もし何か事故があっても、保険でカバーできるので、何の問題もないと考えているのだ。
郵便に関していえば、日本のようにわざわざ郵便局に出向いて切手を買う必要もない。郵便局(Royal Mail)のサイトに必要事項を入力し、クレジットカードで代金を払い、自宅のプリンターでA4の紙にバーコード付きの送付状を印刷し、封筒や小包に貼ればポストに投函できる。
筆者提供
英国の銀行から郵便で送られてきたモーリシャスとUAEの通貨 - 筆者提供
■日本凋落の原因は「デジタル化の遅れ」
日本のGDPは、かつて米国に次いで世界第2位だった。しかし、2010年に中国に抜かれ、2023年にはドイツにも抜かれ、世界第4位に転落した。一人あたりのGDPとなると3万3899ドルで世界34位に過ぎず、プエルトリコ(29位)や韓国(31位)よりも下という情けない状況である(英国は4万9648ドルで22位)。
日本凋落の理由は、公共投資や企業の設備投資がバブル崩壊後に低迷したことや、円安によるドル建てGDPの減少が指摘されている。しかし、筆者が強く感じるのが、デジタル化の遅れや過重なペーパーワークによる労働生産性の低さだ。
日本の行政のデジタル化は欧米に比べて少なくとも30年は遅れていることは、以前〈年金の受給手続きが5分で完了…日本人作家が感心した「窓口すらない英国」と「すべてがアナログな日本」の差〉という記事で指摘した通りだ。
これは何も役所に限らない。筆者がかつて働いていた銀行では、何か不祥事や問題が起きるたびに、担当部署が「こういう対策をやりました」と上に報告したいがために、新たな制度や報告書をつくり、そのために現場は多大な時間をとられ、仕事がまともにできなかった。
写真=iStock.com/Hakase_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hakase_
■460万人を大混乱に陥れた「ビザの電子化」プロジェクト
英国は行政を効率化しようと、デジタル化できるものはすべてデジタル化しようと突き進んでいる。最近の大きな動きは、eVisa(電子ビザ)である。
これは英国に6カ月以上滞在できるビザを保有する約460万人の外国人が持つBRP(Biometric Residence Permit)という顔写真・指紋・署名など生体認識情報を記録したICチップ入りのカードや、パスポートに押されたスタンプなどを一切廃止し、すべて電子化しようという野心的な計画だ。しかも、今後、各人の住所やパスポート番号が変わったときは、当人が自分のeVisaアカウントにアクセスし、自ら変更するようにさせるもので、本当に実現できれば、大幅な効率化と経費削減ができる。
このeVisa移行にあたって、筆者のようにBRPを持っていない永住者は、まずBRP発行と永住権の確認を申請し、それを取得した上でUKVI(ビザ・移民局)に自分のアカウントを作成せよという。そのためには、永住権を取得した際の通知書、永住権のスタンプ、過去のすべてのパスポート、継続的に英国に住んでいることを証明する書類などを一式揃(そろ)え、オンラインで申請する必要があった。
■34年分のガス料金の請求書を物置から捜し…
筆者は1991年に永住権を取得し、その後2003年まで、国際金融マンとして世界中を飛び回っていたこともあり、これまで使用したパスポートは全部で7冊あり、査証欄はすべて増補されている。この7冊すべてのページをスキャンして送れというのだ。
また物置に保管してあった公共料金の請求書の中から、1991年から2024年まで34年分のガス料金の請求書を捜し出してスキャン。その他、地元自治体の住民税の請求書、現住所を示す書類なども必要で、結局213ページにも及ぶ書類をスキャンする羽目になり、丸々2日間を要した。
そもそもそんな書類をずっととっておくこと自体珍しいと思う(筆者はとってあったが)。筆者と同年配で、同じくらい長く英国にいる日本人の友人は、「新型コロナ禍で自宅にいた間に断捨離をして、昔の公共料金の請求書などはすべて捨てた」という。「じゃあ、どうするんですか?」と訊くと、「こんなタイトなスケジュールでeVisaへの移行なんてできると思わない。たぶん例によって、途中でやり方を変えると思うので、当面何もしない」という。
■行政サービスは「守銭奴感満載」
さて、関係書類をスキャンし、UKVCAS(UK Visa and Citizenship Application Services=ビザ・移民局から事務手続きを請け負っている民間企業が運営する組織)のサイトに住所・氏名・英国在住期間等の情報や、過去に犯罪やテロ行為に関与したことがない等の確認を入力し、スキャンした書類を分割アップロードした。
次は生体認証(指紋、顔写真、署名等)の登録のため、UKVCASの最寄りのセンターのアポイントメントをとらなくてはならない。
サイトでアポイントメントの申し込み要領を読むと、「松竹梅」のメニューよろしく、「3週間後の日時なら無料」「直近の日時は132ポンド(約2万4950円)」「繁忙日時は60ポンド」「職員がその場で書類のスキャンをするサービスは56ポンド」「5営業日以内に申請の結果が出る優先サービスは500ポンド」「24時間で結果が出る超優先サービスは1000ポンド(約18万7420円)」「予約日時確認のメールサービスは2ポンド」といったさまざまな選択肢が列挙され、守銭奴感満載である。
写真=iStock.com/Andrii Baidak
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Andrii Baidak
金次第で優先順位を与える行政サービスの手法は、英国に限らず、色々な国の入国ビザの申請などでも経験する。財政難に苦しみ、歳入を捻出するのに必死な日本でも、いずれこの方式が取り入れられても不思議はない。むしろそれぐらいやる覚悟がないと、日本は何も変わらないと思う。
■あの「213ページ分のスキャン」は何だったのか…
筆者は時間の融通がきく自由業なので、金は払わず、約3週間後の8月1日にアポイントメントをとり、金融街シティにあるUKVCASのセンターに出向いて生体認証の登録を済ませた。
あとはBRPの発行と永住権の確認を待つだけだと思ったが、待てど暮らせど音沙汰がない。
申請に何か問題でもあるのだろうかと心配したが、ビザ・移民局のサイトに「申請後6カ月間は、処理状況について質問してくるな」と書かれているので、問い合わせもできない。
一方、一部の申請者には、生体認証登録後、だいたい2カ月程度でBRPが届いていた。政府は申請が殺到して手に負えなくなったようだが、何らかの料金を払った人たちをほっぽらかしにすると、怒りが倍加するので、優先的に与えているようだった。スキャン代56ポンドを払った筆者の家内にも2カ月ほどでBRPが送られてきた。
10月末になると、ビザ・移民局がBRPの発行をもう止め、UKVCASの業務を請け負っていた民間会社が別の会社に交代したというニュースが入ってきた。一方、政府のeVisaの移行スケジュールはあまりにも無理があるので、2〜3年かけてやるべきだと、弁護士たちが声を上げ始めた。また申請方法も、断捨離をした友人が睨んだ通り、膨大な書類のスキャンは不要になり、当初の永住権付与通知書だけでよくなった。
そのうち、ビザ・移民局のeVisaのページに「この政策は前スナク政権がやったものです」という大きな言い訳の表示が出て、これは相当なトラブルになってるなと感じた。
■「カリブ海諸国出身移民扱い」でようやく承認
筆者は、今年2月1日に生体認証登録から6カ月がたったので、ビザ・移民局に電話で問い合わせたり、苦情セクションに苦情のメールを送ったりした。
ようやく申請の承認が下りたのは、今年の3月5日だった。ビザ・移民局からレターが届き、「あなたの申請は、ウィンドラッシュ・ポリシー(Windrush policy)によって承認となりました」と書かれていた。
ウィンドラッシュというのは、1948年にジャマイカやトリニダード・トバゴなど、旧英国植民地のカリブ海諸国出身の移民802人を英国に運んできた客船ウィンドラッシュ・エンパイア号のことだ。この船以外の移民も含め、1973年以前に英国にやって来たカリブ海諸国出身者たちを「ウィンドラッシュ世代」と呼ぶ。
彼らは1948年の英国国籍法で植民地の臣民として市民権が与えられていたにもかかわらず、当時、制度がきちんとしていなかったため、証明書類を所持していなかった。そのため少なくとも83の事案で不当に国外追放されたりした他、拘束されたり、家や仕事を失ったり、パスポートを没収されたり、英国への再入国を拒否されたりという酷い扱いを受け、2018年にこれが「ウィンドラッシュ・スキャンダル」として国際的にも問題になり、当時の内相が辞任に追い込まれた。
事件の反省からウィンドラッシュ・ポリシーという、1988年12月末以前に英国に来た人々には、居住歴等を証明する正式な書類がなくても市民権や居住権を認め、被害に対する補償も行うという救済策が制定された。
筆者提供
英国外務省のウィンドラッシュ救済チームから送られてきた手紙 - 筆者提供
■無茶苦茶ながらも変化する英国、慎重過ぎて変われない日本
筆者は、都銀の駐在員として1988年2月にロンドンに赴任したので、時期がウィンドラッシュ・ポリシーでカバーできる範囲に該当していた。ビザ・移民局はあまりにも忙しいので、筆者が苦労してスキャンした213ページの書類はほとんど見ずに、「あっ、この申請者はウィンドラッシュ・ポリシーで処理できる」と判断したように思われる。ご丁寧にも英国外務省のウィンドラッシュ救済チームから「このたびはウィンドラッシュ・ポリシーにもとづき永住権確認申請を頂き、それが認められたことを喜ばしく思います」で始まる手紙が送られてきて、ウィンドラッシュ事件で被害に遭っている場合の補償申請方法まで案内された。
かくして8カ月間にわたる筆者のeVisa騒動はようやく終わった。今回は酷い目に遭ったが、ちゃんとシステムが稼働し始めれば、相当な行政の効率化につながることは間違いない。日本のように「立案者に恥をかかせたくない」とかいって方向転換に躊躇し、かえって傷を深くしたりすることもなく、失敗したと思ったら、恥も外聞もなくすぐに方向転換するのは英国の行政の伝統である。呆れる一方で、常に変わり続け、行政のコストを少しでも減らそうとする意志とエネルギーには感心する。残念ながら日本はこれとほど遠い状態で、ますます国の借金が増え、GDP順位が低下すると懸念するのは筆者だけだろうか?
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黒木 亮(くろき・りょう)
経済小説家
1957年、北海道生まれ。ロンドン在住。早稲田大学法学部卒業後、カイロ・アメリカン大学大学院(中東研究科)修士号取得。銀行や証券会社、総合商社に23年あまり勤務後、2000年に『トップ・レフト』で作家デビュー。最新刊は『マネーモンスター』。
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(経済小説家 黒木 亮)