なぜラスクをギフト菓子に変えられたのか…ガトーフェスタハラダが「王様のおやつ」で年商200億円を築くまで

2024年5月6日(月)10時15分 プレジデント社

「ガトーフェスタハラダ」を運営する原田義人社長(3月14日、群馬県高崎市) - 撮影=プレジデントオンライン編集部

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「ガトーフェスタハラダ」を運営する菓子製造の原田(群馬県高崎市)は、1袋あたり約100円のラスクを中心に年商200億円を売り上げている。パン屋の副産物として売られていたラスクを、どうやって贈答用の菓子に変えたのか。原田義人社長に、ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが聞いた——。
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「ガトーフェスタハラダ」を運営する原田義人社長(3月14日、群馬県高崎市) - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■田園地帯にどーんと出てくるギリシャ風神殿


群馬県高崎駅から大宮方面へ向かう沿線には、のどかな田園風景が広がる。ところが、高崎駅を出たとたんに進行方向の右側に白亜のギリシャ風神殿が現れる。あっ、なんだこれはと思ったのもつかの間、高崎から3つ目の駅、新町を過ぎると、今度は左側に、もうひとつ、神殿のようなビルがどーんと出てくる。こちらもまた白亜で、前面にはイオニア式円柱が佇立している。


JR高崎線に乗ると自動的にギリシャ時代にタイムスリップするのではない。神殿はいずれも菓子メーカー、ガトーフェスタハラダの高崎工場と本社工場だ。同社は主力商品のラスク(商品名グーテ・デ・ロワ=王様のおやつ)を始めとする菓子類の製造販売で年商200億円を築き上げた。従業員数927人、全国に31店舗を擁する老舗企業である。


同社の創業は1901(明治34)。当時は松雪堂という和菓子店だったが、戦後すぐの1946年には製パンと洋菓子を売る店になった。町のパン屋さんとして近隣に親しまれてきたのだが、1990年代から売り上げが伸びなくなった。理由はスーパーマーケットやコンビニでパンを買う客が増えてきたことだ。


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本社隣にあるガトーフェスタハラダの本館「シャトー・デュ・ボヌール」 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■建築畑出身からパン屋社長の道へ


現在でも、一般の人がパンを買う場合、スーパーが4割、個人のベーカリーが3割、ベーカリーチェーンが1割5分で、コンビニその他が残りといったところだ。(ファンくる「パンに関する意識調査」2022年


大規模スーパーの進出、コンビニの数が増えたことで、町の商店街にある個店は減少している。


だが、ガトーフェスタハラダ(当時は原田ベーカリー)は大手資本に対して立ち上がった。建築畑出身の婿養子で社長の原田義人が最愛の妻、専務の節子とともに新商品開発を始めたのである。


原田は語る。


「私はゼネコンで働いていたのですが、妻と結婚したら後継ぎがいないという。じゃあやりますという形でパン屋さんになりました。私はもともとパンもお菓子を作ったことがなかったから、パンの講習会に行ったり、パンの専門学校にも3カ月通ったりしました。何とか商品を作れるよう努力しながら経営していたのです。1998年、義父に代わって社長になりました。当時の従業員は14、5人でしたね。


社長になった当初は赤字でしたが、仕事はありました。パンだけでなく、ケーキも製造していましたから結婚式場への卸といった需要があったのです。ところが、近くにスーパーの大型店が進出してきたのと、コンビニエンスストアの店舗数が増えたのがいちばんの打撃でした」


■ネット通販のため、日持ちするラスクに着目


原田と妻は商圏を広げることにした。近隣の客だけでなく遠くに住む客をつかむために、当時はまだ珍しかったネット通販をやることにしたのである。そして、日持ちがして、かつ夏の暑さにも耐えられる商品はないか模索した。思いついたのがラスクである。ラスクはパンの販売店にはつきものだ。製造した経験もある。彼らはさっそく開発に着手した。


原田はこんな説明をする。


「パン屋ではフランスパンが余ると処分せずにラスクにしていました。フランスパンをスライスし、溶かしバターを塗り、砂糖をつけて、もう1回焼く。それがラスクの製法です。


現在でも基本的な製法は同じです。ただ、従来からパン屋で作っていたラスクにはアイシングといって表面に白く固まった砂糖が載っていました。高級菓子というよりも、レジの横に置く副産物だったのです。袋に10個くらい入ったものが100円ちょっとだったと思います。


ただ、新商品として開発するとなるとそれまでのようなラスクではいけない。とにかく良い材料を使うことにしました。バターは日本で最高級のバターを使い、砂糖も厳選致しました。


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結婚前は建築関係の仕事をしていた原田社長。パンもお菓子も焼いたことがなかったが、いちから製法を学んだという - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■70代の義両親にも売り場に立ってもらい…


新しいラスクの名称はコンサルタントの意見を入れて「グーテ・デ・ロワ」とした。発売は2000年。しかし、すぐにヒット商品になったわけではない。


「お客さまに商品を知ってもらうのが課題でした。お中元、お歳暮の時期には近隣にチラシをまいて、その範囲をだんだん広げていきました。加えて、うちの父と母(義父と義母)は当時、70歳を超えていましたけれど、都内の百貨店で開かれる催事販売に1週間、出張してもらいました。


私は製造現場に張り付いて、妻は通販にかかりきりでしたから、老いた父と母に泊まりがけの出張販売を頼んだわけです。


ネット販売を始めた2000年はインターネットの黎明期で、うちはパソコン1台で始めました。私も妻もネットやパソコンに詳しいわけではなかったから、専門の方にご指導をいただきました。ネットだけでなく注文はファックスでもいただいていました。


ラスクを売り始めた当初は設備が追いつかなかったこともあり、学校給食のパンを作っている群馬パンセンターに委託しました。冬休み、春休み、夏休みの期間は学校給食が休みなので設備が空いている。それでラスクの委託製造を頼んだのです。あの頃は家族全員が製造、ネット販売、出張販売と頑張りました」


■簡単につくれるが、量産が極めて難しい


「そんな状態が2年くらい続いたら、やっと売れるようになってきて、店でも群馬パンセンターで作りきれなくなったので、決断して土地を買いました。そこに設備を入れ、工場を建てて自社製造を始めたのです。工場用地を買ったのは売り上げが3億円しかなかった頃で用地代が5億円。大きな決断でした。工場を建てたのは2002年のことです」


ガトーフェスタハラダのラスクが売れるようになると、高崎近辺の洋菓子店もいっせいにラスクを作り始めた。ラスク自体の製造は難しくない。フランスパンをカットし、バターオイルをかけ、砂糖を載せて焼成する。フランスパンを焼くときにもバターが入っているので、バターの使用量は多い。


だが、量産するには解決すべき問題がある。それはラスクを焼成する際に使うトンネル窯に投資できるかどうかだ。


一般のパン販売店が使用しているのは固定窯だ。値段はトンネル窯よりも安い。だが、固定窯はラスク生地を入れ、焼きあがるごとに取り出さなくてはならない。トンネル窯であれば、ラスク生地を入れたら自動的に焼きあがって出てくる。


■「ラスクに穴が空いている」という苦情にも対応


ただ、一軒のパン販売店が単価の安いラスクを作るためにトンネル窯を導入するのは簡単なことではない。さらに、問題はある。ラスク製造は大量のバターを使う。生乳を遠心分離器にかけると脂(バター)と乳清が出る。乳清を廃棄する際、脂分が残っていると下水が詰まってしまう。


ラスク製造では乳清を処理したうえで廃棄する設備(グリストラップなど)がいる。ラスクは製造は簡単だが、量産するとなると設備に大きな費用がかかる。それもあって、参入してきたパン販売店は次々と撤退していった。


原田は「量産に成功した後も商品の改良を続けています」と語る。


「当初、お客さまからのクレームはラスクに穴が空いているというものでした。ご存知のようにフランスパンってもともと気泡があるんです。それをラスクにすると大きな気泡の穴のところは食べられない。損をしている気になるんですね。そこで気泡がなくなるようにフランスパンの内層を食パンみたいなきめの細かいものにしました。


また、フランスパンって表面にクープというナイフで切ったような筋を入れるのですが、そうすると、クープを入れた部分が持ち上がって飛び出てしまいます。断面が円形ではなく、割れやすい形になる。そこでクープを入れず、断面の大きさが均一になるような円柱のようなパンを焼くことにしました。ラスクの材料になるフランスパンは本店と高崎の店で売っているのですが、食感が柔らかいと評判になり、1日に200本くらいは売れます」


「原田」提供
パンの副産物であるラスクは割れやすく、量産には向かない商品だった。しかし設備投資と品質改良を重ね、現在は1日で150万枚のラスクが生産されている - 「原田」提供

■「当社はクレームを否定しません」


グーテ・デ・ロワは2枚入りで1袋だ。26袋入りで2500円。1袋が100円以下といったところだ。この2枚入りに関しても客からのクレームがあったので、原田はすぐに改良した。


「クレームは1袋に入ったラスクの大きさでした。以前は下に小さなラスク、上に大きなラスクが載っていた場合があり、『原田さんは腹黒い。下のラスクは小さくしている』と言われたんです。腹黒いと言われたことが非常に悔しくて、ラスクをピックアップする機械のプログラム設定を変え、2枚ともサイズをほぼ均一にするようにしました。


ラスクをピックアップするための機械は当初、国内メーカーを考えていました。ところが国内のメーカーは細かい仕様を告げたら気乗り薄だったので、ドイツのシューベルト製の機械を導入したのです。シューベルト社は食品、医薬品に特化した工業用ロボットの会社です。シューベルトの機械は流れてくるラスクをカラースキャナで読み取ります。


大きさ、焼き色、穴の有無などすべてを判別して、不良品は取り除け、2枚を組にしてピックアップします。この機械を導入していたから、お客さまからのクレームに対応することができ、腹黒いと言われずに済みました。当社はクレームを否定しません。お客さまの気持ちを汲み取って商品につなげています」


「原田」提供
ラスクの選別にはドイツ・シューベルト社製のロボットを使っている。精度の高いスキャンで「サイズが揃っていない」というクレームに対応した - 「原田」提供

■他社からも評価が高い「ハラダの接客」


同社の経営の特徴は客の立場に立つこと、客の意見を汲み取ることだ。そうして、客の声にこたえて商品を開発し、日々、改良、進化させている。


例えば、ラスクにチョコレートをコーティングさせた商品は売れる。特にホワイトチョコレートの商品は売れるのだが、販売するのは10月から5月までだ。夏はチョコレートが溶けるから売らない。


夏でも溶けないようなチョコレートを使うところもある。だが、そうしたチョコレートは蝋のような食感になるからおいしくはない。そこで、同社はチョコレートをコーティングした商品は冬だけのものと決めている。客のために味と品質を守るという正直な姿勢が信用に結びついている。


わたしはかつて、とんかつ専門の「まい泉」のナンバーワン販売員に「デパ地下で見本となる販売の人はいますか?」と訊ねたことがある。すると、彼女は間髪を入れずに「ガトーフェスタハラダさん」と答えた。理由を聞くと、「デパ地下では販売員はよく代わります。でも、ハラダさんの販売の方たちはみなさん、誰がやっても同じように挨拶をして商品を売ります。販売員のサービスが一定です。あれはなかなか真似できません」


その話を社長の原田に確認したら、「それはありがとうございます。販売員と教育担当者が喜びます」と言った。


撮影=プレジデントオンライン編集部
インタビュー当日はホワイトデーだったこともあり、朝から大勢の客でにぎわっていた - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■韓国人観光客に売れていたので現地出店したが…


同社の販売サービスの向上は日頃の教育からなる。外部講師に依頼して、お辞儀や発声の仕方、笑顔のつくり方から客に商品を出す指先の伸ばし方までひとつひとつ指導する。販売員だけでなく、教育担当の育成も行う。


ハラダと他の店の違いは、年に2回、全国の販売員を必ず本社に集め、教育をすることにある。さらに、店長、副店長には販売員に対する教育の仕方についての研修もやる。現場の販売員だけでなく、現場の管理者についてもきちんと教育をしている。


聞いていくと、ハラダには弱点がないように思えるけれど、海外進出では苦い経験があり、今のところは海外への再挑戦は考えていない。


原田はこう言った。


「7、8年前のことですが、ロッテ百貨店と新世界百貨店からラブコールをいただいて冬場だけ2年間に2度販売しました。韓国からのインバウンドのお客さまに売れていたので、本国に呼ばれ、期間限定の催事売場を出してみたのです。


しかし、売り上げは今ひとつでした。なんといっても食文化の違いがいちばん大きかった。韓国の方はスタイルをとても大事にされます。当社のラスクはバターと砂糖を使っていますから、2枚で110キロカロリー。ごはん1膳が120キロカロリーなので、ちょっと少ないくらい。そういったこともあって海外進出の難しさを実感し、今のところ海外に出ていく計画はありません」


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看板商品の「グーテ・デ・ロワ」はインバウンド客にも人気で、各地の販売店では外国人の行列も目立つ - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■どのパン屋にもあるラスクが、ハラダだけ成功した理由


ガトーフェスタハラダが全国的な企業になった要因のひとつに群馬から出てきたことがある。


原田もまたそれにはうなずく。


「群馬県は恵まれた土地です。江戸時代から養蚕が盛んでした。藤岡市には昔から三越の支店がありましたし、藤岡市の神社には三越が寄贈した大きな神輿があります。そして、明治時代も群馬県県令、楫取素彦(かとりもとひこ)が養蚕をすすめ、農家の現金収入を増やしていった。それが富岡製糸場やカネボウの新町紡績所に結びつく。


また群馬県はタバコの葉っぱの産地でした。今はありませんが、日本たばこ産業の大きな工場があったり、タバコを巻く機械の工場もあったりしました。県内は裕福だったから、東京まで行かなくても県内で産業が興(おこ)っていたのです。飲食の文化ではうどんですね。うちでも群馬産小麦で『グーテ・デ・ロワ 群馬エディション』を出しています。普通のラスクよりもグルテン分が少ないので軽いです。サクサクと軽い感じ。


群馬エディションのラスクは群馬県内限定でしか売っていません。群馬はもともと消費地として大きかったので、東京にわざわざ商売しに行く企業は多くなかったのではないでしょうか」


■先行投資で工場建設を決めた「従業員の言い争い」


前述したが、ラスクはベーカリーにはもとからあった商品だ。ガトーフェスタハラダは売り上げが少ない時に乾坤一擲の勝負で工場を作った。考えてみれば、日本中のパン屋さんだって、売り上げ200億円企業になるチャンスがあった。しかし、やらなかった。


原田はそれに対して、ぽつりとこう洩らした。


「当社が大きな投資をしたのは従業員の言い争いが嫌だったからです。あの頃、商品が豊富に作れなくて夕方になると店舗のスタッフと通販のスタッフが品物の取り合いで口論を始めたのです。それがほんとにつらかった。


特にお中元、お歳暮の時期はつらかった。当時はファックスでも通販の受注をしていたのですが、忙しくなってくると、ファックスの線を抜いちゃおうとする店舗スタッフもいたのです」


■「本当に情けなかった」


「12月になるとお歳暮の注文が来るのですが、月の生産量はわかっているから、12月5日前後になると、もう注文をお断りしないといけなくなる。注文は受けるよりもお断りするほうがはるかに大変なのです。それはお客さまも怒りますよね。店の雰囲気は悪くなるし、お客さまからは怒られるし……。


『解決には量産するしかない』。設備投資にお金がかかりますし、借金しなくてはいけない。もしかしたら返済ができないかもしれない。しかし、そういうネガティブなことは考えないでとにかく量産するしかないと工場を建てたのです」


原田は「本当に情けなかった」と呟いた。


ガトーフェスタハラダが拡張したのは会社の成長やキャピタルゲインを求めてではない。社内の不和をなくし、雰囲気をよくすることが大きな決断を行うきっかけのひとつだった。群馬県のどこにでもあるパン屋さんが飛躍するきっかけは経営戦略に則ったものではなく、真情あふれる経営者のやさしさだったのである。


撮影=プレジデントオンライン編集部
まだ売り上げが小さい時期に工場建設に踏み切ったことで今があると振り返る原田社長。「会社の成長よりも社内の雰囲気をよくしたかった」 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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