建設か否かで紛糾した「八ッ場ダム」、5320億円かける価値あったのかを検証

2023年5月26日(金)6時0分 JBpress


先送りされるダム事業の工期、膨れ上がる事業費

 利根川は流域面積が日本一だ。群馬、栃木、茨城、埼玉、千葉、東京の6都県から支流を集めて、東京湾と太平洋に流れ出ている。現在の河川管理者である国土交通省が目指す利根川の治水と利水の姿は、他の河川の例に漏れず、高度経済成長期に描かれたものだ。1947年のカスリーン台風による洪水被害、1964年の東京オリンピック直前の「東京砂漠」と呼ばれる渇水。これらが二度と起きないようにすることだった。

 それから半世紀超。水需要の減少や環境保護意識など社会が変わっても、柔軟な方向転換がなされず、取り残された事業の一つが八ッ場(やんば)ダム事業だった。

 カスリーン台風を受けて「利根川改修計画」の一つとして国が調査を始めたのは1952年。水没予定地の川原湯温泉(群馬県長野原町)では多くの住民が反対。町と国が「八ッ場ダム建設に係る基本協定書」を結んだときには1992年になっていた。

 情報公開も住民参加もなく、自治体の意向すら軽視された時代のこと。国は先んじて1986年に、特定多目的ダム法に基づく基本計画で、事業費は2110億円、工期は2000年と決めていた。だが、ダム事業は「小さく産んで、大きく育てる」と揶揄される公共事業の代表格だ。その通り、国は工期と事業費を5回も変更した。2001年(工期を2010年度に)⇒2004年(事業費を4600億円に)⇒2008年(工期2015年度に)⇒2013年(工期2019年度に)⇒2016年(事業費5320億円に)と延期と増額を繰り返した。

 その間、水没予定地では、賛成と反対、地権者と借家人、男性と女性、町民と下流住民など、立場の違いで分断が生じ、言論が抑圧された。そのため、反対住民のほとんどは、メディアに登場することを今でも好まない。地域を沈黙させ、水没させただけの公益性が八ッ場ダムにはあったのか。改めて検証したい。


水利用の大幅減少、「東京砂漠」とは何だったのか?

 まずは「利水」から調べることにした。八ッ場ダムを管理する利根川ダム統合管理事務所に「八ッ場ダムで確保した水が本当に活用されているのかを確認したい」と問い合わせると、「分からない」という。代わりに、国土交通省の関東地方整備局河川部水政課から「水利権の許認可は継続している」との回答を受け取った。

「水利権」とは河川法に基づく水を使ってもよい権利だ。水政課の回答は、国が許可した権利が持続されているという意味に過ぎない。活用実態は水利権を許可された自治体に聞くしかない。

 6都県のどこに聞くべきか。2009年9月の政権交代で前原誠司国土交通大臣(当時)が「八ッ場ダム中止」を宣言した際、最も声高に建設続行を求めたのは、ご当地群馬県の大澤正明知事(当時)と石原慎太郎都知事(当時)だった。この2つに尋ねることにした。

 群馬県水道課は、水道と工業用水の両方を担当する。「八ッ場ダムの水は活用されているでしょうか。群馬県は毎秒0.35立方メートル(m3)の工業用水と毎秒2m3の水道用水を求めていたのですが」と問い合わせると、「何を見ながら仰っているのでしょうか」と、それらの数字を初めて聞くような反応だった。

 私が見ていたのは、中止宣言の3カ月後、つまり2009年12月、国土交通省が非公開で始めた「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」が決めた「ダム検証」の一環で行われた「八ッ場ダム建設事業への利水参加継続の意思確認結果」だ。当時、栃木県を除く5都県と藤岡市や千葉県内の広域水道企業団などがダム(利水)事業への参加継続意思「有」と回答。国土交通省は、自治体の意思を確認した形式を踏んで事業継続へと進んだ。

「何を見ているのか」にそう答えると、時間を置いて、担当者から「水に色はないので、毎秒2m3を工業用水に割り振っている」との回答が来た。「割り振っている」の意味を問うと「(工業用水として使いたいという)新たな利水者が現れた訳ではない」という意味だという。つまり、工業用水は使われていない。また、水道水については「県内の各自治体、前橋市、高崎市、榛東村、吉岡町、前橋市、桐生市、伊勢崎市、渋川市、玉村町に聞いて欲しい」という。

 しかし、たらい回しされずとも手元に答えはあった。県は八ッ場ダムが完成した2020年に「群馬県水道ビジョン」を取りまとめていた。

 そこには、水道の給水量は「人口減少や節水機器の普及等に伴い」、「2016年度までの10年間で約9%減少」、「2016年度と比較して、2029年度の最大給水量は約11%減少する見込み」だと書かれている。完成前は、新たな利水事業の必要性を主張し、八ッ場ダム継続を求めた。その逆の状況になっていることを認めたくなかったのだとしか思えない。


「水に色はない」の次は「確認の仕方がわからない」

 節水機器の普及で給水量が減ったのは東京都も同じだった。八ッ場ダムへの都の公金支出を差し止める裁判で、原告らは一日最大給水量が1990年には613万m3だったのが、2005年には508万m3に減り、都の水需要予測は過大だと実績で訴えた。にもかかわらず2015年に最高裁で敗訴したが、2021年度には当時の原告の訴えをなぞるように、一日最大給水量は443万m3にまで減った。裁判所の判断は、硬直化した河川行政を正すことができなかったのだ。

 念のために2009年当時、石原都知事らによる「八ッ場ダム建設事業の早期完成を求める申し入れ」などを裏方として担った東京都都市整備局にも「八ッ場で確保した水が使われているかを確認したい」と尋ねたところ、「確認の仕方がわからない」(都市づくり政策部広域調整課)という想定外の回答がきた。

 知事たちが圧力団体のように集った当時の空気感を覚えている筆者は、「作ったら作りっぱなしか」と言いたくなったが、「ダムで確保した水が活用されているかどうかのフォローアップはしていないということですかね」と皮肉を込めて確認。すると今度は「確認の仕方のイメージがわかない」という返事が戻ってきた。

 当事者意識を持つ自治体職員はいないのか。東京都水道局の認識も尋ねた。「八ッ場ダムの水を活用する施設はあるか」と聞いた。すると「利根大堰という施設で取水して、朝霞浄水場などで活用している。もちろん水は、どこの水ということはないが」(同局総務部施設計画課)という。

「利根大堰」(埼玉県行田市)とは、利根川の水を人工的に作った武蔵水路で荒川に導水して、埼玉と東京に給水できるようにした施設だ。聞けば、冒頭で触れた1964年「東京砂漠」の翌1965年に完成し、そこからは何も変わっていないという。「どこの水ということではない」とは、利根川本流は複数の支流から流れてくるので、「これが八ッ場ダムの水」だという見分けはつかないという意味だ。群馬県の「水に色はない」と同じだ。

 先述したように、東京では1990年から2021年に一日最大給水量が3割減となった。この間、人口は微増中だったが、その東京でも2025年を境に2060年には16%減少する。都はそう「東京水道長期戦略構想2020」で発表した。八ッ場ダムで許可を得た余分な水利権は、余分なまま終わる。今後も無用な利水事業に公金が支出された証拠だけが、6都県で積み上がっていく。


「中止撤回」「継続」ありきの有識者会議

 治水対策としての八ッ場ダムはどうか。中止宣言から継続への変遷において、治水を司る国土交通省の河川官僚の面従腹背ぶりは凄まじかった。

 先述したように、中止宣言の3カ月後から「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」(以後、有識者)にダム検証の仕方を考えさせたが、メンバー9人のうち2人が河川官僚OBだった。その上で、現役河川官僚がどのダムを検証するかを決定、有識者が決めたやり方で、自治体を集めて各地方整備局で代替案を含め検証。有識者はダムの必要性の有無の検証が、指示したやり方で検証されたかを確認。最後に、有識者の確認結果を見て、政務3役(国土交通大臣、副大臣、政務官)がダム事業の中止か継続を判断した。

 つまり、ボトムアップで政治決断を仰ぐように見せかけて、そうではない。ダム事業の継続が代替案を凌ぐ最適解になる検証方法に従い、自治体の利水担当者が事業継続を認め、河川官僚が「ダムは必要だ」と示せば、政務3役にはそれを覆す手立てはないという道筋が造られた。

 実際、2011年12月、八ッ場ダムは、ダム検証の「考え方に沿って検討されておる」と建設省OBである中川博次座長が結論。それに沿って3役が八ッ場ダムの中止方針を撤回した。

 実はもうひとつ、八ッ場ダムの検証に先かげて河川官僚が進行させていたことがあった。水需要予測と同様、過大さが指摘されていた「基本高水(たかみず)」論争対策だ。

 河川法では、国土交通省が、洪水時にどれだけの水が特定の地点(基準点)に流れるかを示す「基本高水」を計算した上で、ダムでどれだけ貯留し、堤防で囲んで海まで氾濫させずに流下させるかを示す「計画高水」を決定する。そのような治水方針を「河川整備基本方針」という。

 利根川では、八ッ場ダムの必要性を裏付ける「基本高水」を計算した定数が公開されることなく、過大か否かの水かけ論がダム反対派と国土交通省の間で続いていた。大臣の中止宣言で、その論争が頂点に達した2011年1月、国土交通省は、突如、河川局長名で日本学術会議に「河川流出モデル・基本高水の検証に関する学術的な評価」を依頼した。


「治水」の欺瞞、河川官僚に利用された日本学術会議

 その依頼とは、利根川水系の基本高水について。1980年に基本高水を計算した時の資料が見当たらない、また、2005年度に利根川の河川整備基本方針を策定した時も雨量などの定数に関して「十分な検証が行われなかった」として、改めて国土交通省として基本高水の計算を行うが、学術的にそれが妥当かどうかを評価して欲しいというものだった。

 この依頼通りなら、国土交通省はそれまで、確かな計算根拠を失ったまま、八ッ場ダム建設を治水対策として推進していたことになる。

 日本学術会議は2011年9月末までの期限付きで「河川流出モデル・基本高水評価検討等分科会」を設置し、依頼を受けた。

 分科会は12回にわたって開催された。第1回は国土交通省が説明。評価が始まった第2回において、異様なことが起きた。分科会メンバーが日本学術会議会長宛てで「誓約書」を提出させられたのである。それは、国土交通省の資料の扱いについて、利根川の流出計算に用いる「流域分割図」及び「流出モデル図」を公開・漏洩しないことを「お誓い致した上で、国土交通省からの資料提供を受けます」という誓約書だった。

 学術的な評価をお願いする学者には基本高水の計算に必要な図は提供するが、それを対外的に漏らして、外部有識者や反対運動団体に客観的な検証をさせることは許さない——というわけだ。

 誓約書に書かれた表向きの理由は、「国土交通省が構想段階の洪水調節施設の建設予定地点が特定され、不当に国民の間に混乱を生じさせるおそれがある」というもの。しかし、ここで言う「洪水調節施設」とは八ッ場ダムのことで、その予定地は誰でも知っている。奇妙な屁理屈がそのまま通って、日本学術会議の分科会の評価は進んだ。

 第4回では基本高水の過大性を指摘してきた2人の学者が日本学術会議の外部から招かれた。そのひとり、関良基・拓殖大学教授は、最初に基本高水が定まった1980年と現在では、森林の保水力が変わってきていることなど再計算にあたって留意すべき点を指摘した。さらに大熊孝・新潟大学名誉教授はカスリーン台風で基準点を流れた水量は毎秒1万7000m3と推定されていたにもかかわらず、その後、毎秒2万2000m3と推定値が増大し、基本高水が過大になったが、それは実態に合わないとの論拠を示した。

 しかし、なぜか最終的に日本学術会議は2011年9月、国土交通省が新たに行った毎秒2万2200m3という計算は妥当な範囲であると評価。これによって基本高水は過大ではないというお墨付きを与えたことになり、間接的に、八ッ場ダムの必要性を認める役割を果たした。


放置された大きな支流、犠牲者が出た利根川東側の中流

 今となっては、虚しいプロセスだったと言わざるを得ない。

 4年後の2015年9月、台風18号が、同じ利根川の東の支流、鬼怒川を襲った。その氾濫で、関連死を含め15名の命が犠牲となり、8540の住宅が浸水被害を受けた。日本一を誇る広大な利根川流域の西端の小さな支流・吾妻川の八ッ場ダム建設の是非に時間と費用を費やす間に、大きな支流・鬼怒川の河川管理が放置されていた。

 浸水被害を受けた茨城県常総市の若宮戸地区の下流住民が、国を相手取った損害賠償請求裁判では、画期的な判決を勝ち取った。若宮戸はもともと、上流から運ばれた土砂が積み上がった河畔砂丘ができていた。太陽光発電事業者がそれを200メートルにわたって掘削し、川と居住地域を隔てるものが存在しなかったために、氾濫が起きた。原告は国が河畔砂丘を河川区域に指定することを怠ったと主張し、2022年7月、水戸地裁は国の責任を認めた。

 他方、もう一つの氾濫箇所である常総市上三坂地区に関しては、国の瑕疵を認めなかった。国の治水事業には予算などの制約があり、改修が遅れても、格別に不合理な点がなければ行政の責任は問わないという過去の判例通りの判決だった。判決を不服として、原告団と被告の双方が控訴中だ。

 なお、氾濫が起きた鬼怒川の上流には4つのダムが建設済みだった。国土交通省は、ダム建設ばかりを優先し、基本的な河川管理や堤防整備を怠ってきたことについて謝罪することはなかった。むしろ、氾濫直後から「鬼怒川上流4ダムにより洪水被害を軽減した」とまるで「良かった」と言わんばかりに宣伝した。

 責任を問われる前に、先手を打ったのだと考えざるを得ない。


水位低減効果、実はたった17cm、ダムとは何だったのか

 鬼怒川の氾濫から5年後、2019年10月の台風豪雨で、今度は利根川の西の端で、試験湛水を始めたばかりの、ほぼ空(カラ)だった八ッ場ダムが一気に一日で満水となった。SNSでは「八ッ場ダムのおかげで利根川が助かった」などの賞賛が飛び交った。

 しかし、水源開発問題全国連絡会の嶋津暉之共同代表は、避難勧告が出た利根川中流部(埼玉県加須市)でさえ、川の水位は堤防の高さの2メートル下にとどまった一方、八ッ場ダムによる水位低減効果は17センチ(cm)だったと推計。また、河道掘削が計画通り行われていれば70cmの低減効果があったとして「八ツ場ダムの小さな治水効果を期待するよりも、河床掘削で河床面の維持に努めることの方がはるかに重要である」旨の論考を同10月23日の「論座」で発表した。

 実際、水利権分の水、つまり結局誰も使わない水を貯め続ける八ッ場ダムは、もう二度と、2019年夏に空から満水になることで発揮した17cmの低減効果すら期待できない。

 その後も日本各地で異常豪雨や線状降水帯による河川の氾濫は続いた。2016年には小本川氾濫(岩手県岩泉町)、2017年には桂川氾濫(福岡県朝倉市)、2018年には小田川決壊(岡山県倉敷市)に加え、肱川では鹿野川ダム(愛媛県大州市)と野村ダム(同県西予市)の放流で起きた氾濫で死者も出した。2019年の千曲川決壊(長野県長野市)などその後も各地で川は氾濫した。

 八ッ場ダムが完成した2020年、国土交通省もついに、ダムと堤防だけに頼る旧来型の治水から、関良基教授が訴えた森林の保水力も含めた「流域治水」への転換を唱え始めた。ただし、一旦計画されたダム事業に国も自治体も固執し、決して中止にはせず、事業強行が各地で止まない。


いまもダム問題を考え続ける流域住民

 さて、ダム建設推進の当事者意識を失った国と自治体職員とは真逆で、「八ッ場あしたの会」(以後、あしたの会)は、ダム問題を監視し続けている。あしたの会は群馬県内にできた「八ッ場ダムを考える会」が、歌手の加藤登紀子さんの協力を得て、ダムの最大の受益地である東京でコンサートを開いたのをきっかけに、下流住民が加わって2007年に発足した。今年4月29日には「2023新緑の現地見学会」を開催。群馬県内外から16人が参加した。ダム湖畔を歩きながら、あしたの会初代事務局長の渡辺洋子さんが、水没地域住民の世帯数の動向、代替地である盛土の安全性について解説した。

 渡辺さんは、もともと水没予定地とは縁もゆかりもない。たまたま一群馬県民として考える会に参加して以来、八ッ場ダムが地元住民にもたらす問題を受益地に知ってもらう活動を続けてきた。国は事業費削減のために代替地の地すべり対策を削ったため、あしたの会では今なお協力する専門家と共に、国が行う地すべりなどのモニタリング活動の監視も続けている。ダムという“ムチ”に対する“アメ”としての地域振興施設も見て回った。

 また、あしたの会運営委員の和田晴美さんは、園芸品種として大人気のクレマチスの原種「カザグルマ」の群生地が、八ッ場ダムで水没してしまったことも明かした。

「カザグルマ」は環境省によって準絶滅危惧種に、群馬県のレッドデータブックでは絶滅危惧ⅠA類に指定されている。プラントハンターに盗掘されないよう、広く知らされてこなかったが、水没した民宿「雷五郎」の裏手には、この「カザグルマ」が群落していたのだ。「お女将さんは『秘密の花園』と呼んで守っていたんです。今だから話せます」と和田さんは語った。

 環境先進国においては、生物に対する人間の愚行を止めるために、環境影響評価という制度がある。しかし、日本における法成立はあまりにも遅すぎ、内容もお粗末すぎた。

 日本は、「カザグルマ」の群生地を守れなかった。首都圏の西の片隅で守るべきものを失ってしまった。そして、この愚行を、未だ私たちの大半が知ってさえいないのだ。

筆者:まさの あつこ

JBpress

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