神戸高校生刺殺事件、道端で少女と談笑しただけで恨まれ刺された少年の無念

2023年6月22日(木)6時0分 JBpress

 被告に対し懲役20年を求刑する——6月12日、神戸地裁で開かれたある裁判員裁判で、検察側はこのように刑を求めた。

 短髪にスーツ姿の被告は、表情を変えず、黙ってそれを聞いていた。

 13年前に殺人事件を起こし、それから11年間も逃亡を続けていたこの被告は、事件当時は未成年だった。一昨年の8月4日にやっと逮捕されたが、そこから弁護側は精神鑑定を2度も求めたものの2度とも却下され、ようやく初公判が6月7日から3日間行われた。そして12日には求刑が行われたのだった。


少女と談笑しているところをいきなりナイフで

 犯人が11年も逃亡していたという注目の事件だけに、神戸地裁前には傍聴券を求めて大勢の希望者が列をなした。法廷は100人ほども入れる大法廷だったが、抽選で傍聴券を手にした人々ですし詰め状態だった。

 ただ、裁判は異様なムードの中、行われた。というのも、裁判中においても被告の氏名さえ明らかにされなかったのである。事件当時に被告が18歳であったため、この裁判も少年法に基づいて行われたためだ。

 まずはこの事件を振り返って見よう。

 2010年10月4日の夜10時45分ごろ、神戸市北区の新興住宅地の道路脇のベンチで女子学生と談笑していた高校2年生の堤将太さんは不意に男性にナイフで襲われ、即死状態になった。自宅から5分ほど離れた場所での、突然の凶行だった。

 一緒にいた女子学生は刺した男性に見覚えはないと証言、将太さんの交友関係からも事件に繋がる関係性は浮上してこなかった。いわゆる「行きずり殺人」である可能性が高く、犯人が誰なのか分からないまま、11年もの月日が過ぎてしまったのである。


11年間も逃げた「少年」が捕まったワケ

 逮捕のきっかけは被告自ら招いたものだった。

 愛知県豊山町で暮らしていた被告は「オレは殺人をしたことがある」と周囲に吹聴していたのだ。その情報が兵庫県警に寄せられ、警察による周辺捜査やDNA鑑定の結果、男が事件に関与した可能性が高まったとして、21年8月4日、逮捕に至った。被告はYouTubeに薄気味の悪い映像を上げ、ネットには自作の小説もアップしたりもしていた。いずれも暗い題材であり、逮捕直後には、この映像や小説がネット民に発見され、本名とともに大々的にさらされた。だが、前述のように報道でも裁判でも、被告の本名は公にされていない。

 犯人は事件当時、神戸市北区の殺害現場近くで暮らしていたが、当時は17歳の少年だった。そのため少年法の適用対象となり、とうに成人した現在も名前は伏せられたままだ。

「10年以上も逃げていて被告は現在30歳を超えていますが、名前も伏せられるなど今でも少年法に守られているというのは何とも釈然としません」

 そう語るのは殺された将太さんの父親・敏さんだ。

 彼はなぜ息子が殺されたのかを独自に調べ続けてきた。被告は将太さんと面識はなく接点もなかった。将太さんが女子学生と楽しそうに話をしていたことだけで、恨んで刺したと逮捕後に捜査員に動機を話したとされているが、こんなことで凶行が行われたことに驚く。

 被告は父親の転勤で青森市内の県立高校に通っていたが、交際していた女子高生に対し刃物で脅した事件を起こして退学処分になっていた。今までこのことは報道されていなかったが今回の裁判で被告側から明らかにされたものだ。衝動的に自分を抑えることが出来ない精神構造を裁判で訴えるつもりだったと思われる。

 被告は退学後に父親の実家がある神戸市北区で祖母と暮らし、そこは事件現場から5分も離れていない。被告は高校の卒業資格を得るために神戸市内の予備校に通っていたが、そのときにこの事件を起こしていた。

 兵庫県警は将太さんや一緒にいた女子校生の交友関係を調べ、周辺に住む不審者を捜査していたが、被告のことは把握できていなかった。警察は事件後に犯人の似顔絵も作成したが、それは被告に酷似していたものだったから捜査が甘かったと指摘されてもしょうがないことだろう。


事件後すぐに引っ越した被告

 事件後一週間も経たずに被告は千葉県内の両親宅に引っ越し、事件との関係性を消し去ろうとしたと見られている。その後全国を転勤する父親の仕事に伴い、被告も引っ越しを繰り返した。

「多分将太が刺されたときに犯人も刃物で傷ついた可能性があるからDNA鑑定が取れたと思います。どのぐらいの傷なのかは調書では明らかにされていませんが、それを含めて被告の両親が息子の行動に疑惑を持たなかったとは到底思えないんです」

 敏さんは疑問を口にする。さらに逮捕後に敏さんを驚かせることが起きた。前述したように被告がSNSを使って自らが撮った写真などをネットに晒していることが発覚したのだ。もちろん犯行を仄めかすような内容ではないが、ホラー映画のような薄気味悪い映像は誰もが見ることができる。


法廷で被告は顔をさらし、その父親は衝立で囲われていた

 今回の裁判では被告の父親が情状証人として出廷したが、証言をする父親には衝立が置かれて表情を見ることもできないようになっていた。少年法で裁かれる被告は顔を晒しているのに父親には隠す仕様になっていたのは違和感を覚えるしかなかった。

「息子が犯人だとは逮捕されるまで気が付かなかった」

 と父親は法廷で証言したが、実家がある神戸市北区で起きた事件と被告のことを結びつけるほうが自然のような気がする。しかも事件後直ぐに被告は神戸市内の予備校を途中で辞めて千葉県内の両親宅に来たのだから息子を疑うほうが自然の成り行きだと思うのは当然のことだろう。

 ちなみに両親から被害者の父・敏さんに対して逮捕後に一度の謝罪も連絡すら全くない。

「保護者が謝罪をする法律もありませんが、一般常識としての礼儀というのはあると思います。被告が少年法で守られているということは保護者に賠償を請求される可能性があるワケですから礼を尽くすというのは大事なことだと思いますが」(大手紙司法担当記者)

 被告の弁護団は精神鑑定を要求し、1月下旬には鑑定が終了した。昨年暮れには検察から公判を6月上旬に開きたいとの連絡が敏さんにあった。

「裁判員裁判のそれがわずか3日間であると何の相談もないまま決められたんです。まあ、被害者の親族に相談する必然性はありませんが、一般的な裁判員裁判は1週間ですから明らかに短い。こんなので事件がなぜ起きたのかが明らかになるとは到底思えず、1月16日には神戸地検に私の弁護士を伴って詳細を聞きにいきました」

 6月上旬に3日間の裁判員裁判が開かれ、その後12日に論告求刑、23日に判決というスケジュール予定が明らかにされた。

「3日間だけで事件の要因が明らかになるとは到底思えません。それと10年余りの逃亡生活についても明らかにして欲しいのですが、今回の裁判とは関係ないとも指摘されまして釈然としない気持ちが残っています。もし逃げたら量刑を重くするという法律を制定する必要があると私は思っていますし、世論がそれに同調してくれる社会を目指したいとも考えているんです」

 息子を殺されたのに敏さんは感情的にならずに客観的に自分の立場を見つめている。

「犯人は逮捕されても反省の言葉すら口にしていませんし、保護者からも何も連絡はありません。そんなことで憤るような時間はもう過ぎてしまったんです。後は法律に従ってきっちりと罪を償ってもらうようにしてもらいます」

 今回の法廷で被告が言い放った言葉で驚いたことがある。なぜ自首をしないで逃げ周っていたのかと尋ねられた被告は、

「人を殺してはダメだと分かったのは27歳のときでした」

 と答えている。これは法廷戦略として弁護士と打ち合わせたのかもしれないし、精神的に自分が特異なのだという印象付けるためなのかもしれないが、これには筆者もさすがにびっくりしたものだ。


「詐病である可能性が高い」

 今回の裁判では弁護側が被告に対して精神鑑定をした精神鑑定医に対し証人尋問を行った。

「被告には精神障害が以前から無いのは明らかであり、詐病である可能性が高いと思っています」

 法廷で精神科医はパワーポイントを使って事細かに被告の精神構造を説明したのである。

「裁判前に弁護側は2度の精神鑑定を要求して鑑定が行われたんですが、2度とも却下される結果になっています。それなのに法廷にその精神科医を呼んで証人尋問をさせたのは結果的に自分で自分のクビを絞める結果となってしまったと思います。理路整然と法廷で説明する精神科医に裁判員たちは納得できたのではないでしょうか。私や傍聴人たちも頷くことが多かったから弁護側の作戦ミスだと思います。それよりも弁護側は法廷戦略として家庭環境とか友人関係などについて情状酌量を得る方法を取るべきだという違和感をずっと思っていました」(前出・司法記者)

 求刑は懲役20年となったが、検察はその理由について「あまりにも身勝手な殺人事件であり、それから逃亡を続けていたのも罪を重くした理由になる」などと述べている。

 最後に将太さんの父親が法廷で「大事な家族を突然失ってしまった辛さと言うのは分からないだろう。犯人は生まれながらの殺人鬼だとしか思えない」と述べた。通り魔的殺人事件で被害に遭った家族がいかに辛い立場になるのか。被害者なのに精神的にも追い詰められてしまうこんな事件はこりごりである。23日の判決は果たしてどのようになるか——。

筆者:神宮寺 慎之介

JBpress

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