「ウィーン出張中の自由時間にコンサート」は是か非か…過激化する「公務員たたき」で私が心配すること

2024年6月27日(木)17時15分 プレジデント社

富山県庁舎(写真=663highland/CC-BY-2.5/Wikimedia Commons)

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富山県の職員が、出張先のオーストリア・ウィーンで、公務後にコンサートを鑑賞したことが話題になっている。歴史評論家の香原斗志さんは「公費での出張だからこそ、勤務後はむしろ他国を視察すべきだ。冷静さを失って公務員たたきをすることは、損でしかない」という——。
富山県庁舎(写真=663highland/CC-BY-2.5/Wikimedia Commons

■このニュースを触れて「日本はもう終わり」だと思ったワケ


大げさに聞こえるかもしれませんが、このニュースに触れての率直な感想は、日本はもう終わりではないか、というものでした。ニュース自体は小さな話です。しかし、そこには失われた30年を経て、経済も人の心も淀んだままのいまの日本の病理が、象徴的に表れているように思われました。


そのニュースは、富山県政記者クラブに6月14日、「現状を憂う公務員」を名乗る匿名の投書が寄せられたことに端を発していました。


投書の内容は、富山県土木部の山下章子次長が、出張先のオーストリアのウィーンで、コンサートを鑑賞したことをSNSに投稿している、というものでした。「最近、公務員の不祥事が続いているが、こうした事案も県民の公務員に対する信頼の失墜につながっていると言わざるを得ない」と、批判が加えられていたそうです。


SNSには、実名の「山下章子」というアカウント名で6月12日に投稿され、「仕事の後に行ってみた」と断ったうえで、ウィーン・フィルのメンバーによるカルテット(四重奏)を聴いた、と記されていたとのこと。


富山新聞によると、山下次長の上司にあたる金谷英明土木部長は、山下次長をふくむ県の土木部職員3名が「国際防災学会インタープリベント」に出席するため、8日から16日の日程でウィーンを訪れていたのは事実だと認めています。


そのうえで「プライベートの時間に行ったのだと思うが、誤解を招かないようにするべきだ」と、苦言を呈したそうです。


■上司の発言こそが誤解を生む


最初に思ったのは、「こうした事案」のいったいどこが「公務員に対する信頼の失墜につながっている」のか、ということです。


「仕事の後に行ってみた」のであれば、それは日ごろ日本で、休日に映画を見たり、スポーツを観戦したり、観劇したり、あるいはスポーツに興じたり、カラオケに行ったり、温泉で疲れをいやしたり、という行為となんら変わりがないはずです。


税金から給与が支払われている公務員は、そうした行為も自粛すべきだでもいうのでしょうか。そんなことをいい出したら、公務員になる人などいなくなるでしょうし、公務員になったが最後、人間らしい生活ができないことになります。


それに、「仕事の後」のことに干渉するのは、いまの「働き方改革」の流れにも抵触するのではないでしょうか。ましてや、山下次長は公務員なのだから、ダラダラと仕事をせずに余暇を充実させるお手本を示す立場にいるはずです。


山下次長は「仕事の後に行ってみた」と断っている以上、「誤解」される余地などありません。金谷部長の「誤解を招かないように」云々という苦言こそが、世間に誤解を与えています。


■むしろコンサートに行かないことが批判されるべき


もう一歩踏み込んで、せっかく音楽の都ウィーンに出張しながら、コンサートにも行かない公務員こそが非難されるべきではないか、ということを思います。


異常な円安のせいで、海外に出向く日本人は減っています。留学する人の数も激減しています。そんな中、出張で海外に出向いた公務員が、海外の空気を吸い、外国人と交流し、現地の文化に触れて帰国することには、大きな意味があるはずです。


現代社会は、情報通信技術が進展し、交通手段が発達したこともあり、否が応でもグローバル化が進んでいます。反グローバリズムの立場をとるにしても、世界に目を向けないことには、対抗することもできません。ところが、島国の日本はただでさえ海外との接触がおろそかになりがちなのに、円安が原因で、国際的な感覚からますます離れてしまいそうなのが現状です。


そんなときこそ、海外に出張する公務員の存在は貴重です。そして、出張した以上は、その国の人々や文化にできるかぎり接して、いまの日本のあり方やものの考え方を相対化できる力を、少しでも身に付けてほしいと願います。


したがって、山下次長は仕事の後、すぐにホテルに戻って部屋でくつろいでいたなら、批判されても仕方ないでしょうが、コンサートに行って本場の音楽に触れたなら、批判どころか賞賛されるべきなのです。


写真=iStock.com/Yori Meirizan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yori Meirizan

■県民にとっても有益な行為


そもそも欧米の国際会議の出席者のあいだでは、コンサートやオペラなど欧米の芸術や文化の話をまったく解せない人は、まともに応対してはもらえません。ましてや音楽の都ウィーンです。国際会議の場でも「音楽は聴いたか」「ぜひ聴くべきだ」という話をされるでしょう。それを無視するようなら、相手にしてもらえません。


それに、日本人は文化を解さない、ウィーンに来ても音楽ひとつ聴かない、などと思われてしまったら、日本人のイメージが低下し、国益を損なうことになります。公務員には、そうして国益を損なったりしないようにする意識こそ、求められてしかるべきでしょう。


さらにいえば、公務員が本場のコンサートを聴いて情操を育て、文化的な教養を高めることが、日本国民にとって、この場合は富山県民にとって、少しでも不利益をもたらすことになるのでしょうか。


私が「行政に携わる人ほど、豊かな情操や高い教養を備えていてほしいではないか」と問いかけたら、多くの人が賛同してくれるのではないでしょうか。公務員は、堅物であってほしくありません。柔軟に考え、いろいろな状況に臨機応変に対応できる人であってほしいではありませんか。


公務員がウィーンに出張した際、仕事が終わったらホテルに帰るべきか、それともコンサートに行くべきか。教養がなく融通が利かない堅物に行政を取り仕切ってほしくないと思うなら、答えは後者の一択でしかないはずです。


■今回の件でいちばん心配していること


6月16日には、この話題に注目が集まって、「X」では「音楽鑑賞」がトレンド入りしました。反響が大きかったとはいえ、必ずしも「音楽鑑賞」を批判する投稿ばかりだったわけではありません。


とはいえ、「能登半島地震で困っている人たちがいるのに、時期的にもずいぶん無神経」とか、「旅費は税金から出てるだろうから微妙」といった、批判的な書き込みも少なくはありませんでした。


しかし、たとえば、地震で困っている人がいるからと、多くの人が自粛生活を送ったら、経済が停滞して復興に悪影響がおよんでしまいます。


また、往復の交通費やホテル代は税金なのだから、仕事が終わってからはなにもせずに過ごすべきだ、という考え方は、その根拠がわかりません。むしろ、旅費が税金から出ているのだから、音楽くらい聴いて元をとってもらったほうがいいではないでしょうか。


しかし、いちばん心配なのは、このようにやっかみにしか聞こえない公務員たたきが横行すると、公務員になろうという人がいなくなるのではないか、ということです。


■嬉々として報道したメディアの問題


最近、カスハラ、すなわちカスタマー・ハラスメントが社会問題化しています。これは顧客が企業や店舗などの従業員に対して理不尽なクレームをつけることを指し、にわかに問題化したのは、カスハラが横行した結果、従業員が大きな心的ストレスを抱え、働けなくなるなどの事例も多いからです。


富山県政記者クラブに寄せられた投書は、私にいわせれば、カスハラにかぎりなく近いものです。理不尽なクレームによって、公務員の就労意欲を削ぎ、ひいては公務員志望者すら減らすことにつながりかねません。


しかし、投稿者ばかりを責めるべきではありません。こんな理不尽な投書は、県政記者クラブの記者たちがスルーすればよかっただけの話です。なぜ、こんな投書にまともに向き合い、いちいち記事にしたのでしょうか。


メディアが率先して、世界の常識から外れた批判を加えて、公務員の仕事を無味乾燥なものに追い込み、将来に禍根を残そうとしているニッポン。こんなに病理が蔓延しているようでは、やはり「終わりではないか」と思ってしまうのです。


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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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