ロイヤル・ダッチ・シェルを擁したオランダは、なぜ脱炭素化を加速できたのか

2023年10月25日(水)4時0分 JBpress

「今困っているわけではないのだから、わざわざ新しい仕組みを導入しなくてもいいのではないか」こうした声により変化が進まない例は、世の中のあちこちで見られるのではないだろうか。当連載は、オランダなどで浸透する社会構造を変化させる最先端の手法を解説した『トランジション 社会の「あたりまえ」を変える方法』(松浦正浩著/集英社インターナショナル)から一部を抜粋・再編集。合意形成し、軋轢を生まずに古い仕組みを新しく変えるための実践法をお届けする。
 第3回は、新たなルールや習慣を押しつけるのでなく、人々の共感を得ながら「新しいあたりまえ」をつくる「トランジション・マネジメント」の具体的な進め方について解説する。

<連載ラインアップ>
■第1回 なぜ裸で外を歩いてはいけないのか?社会が大きく変わるトランジションとは
■第2回 歴史的偉業、ホンダのCVCCエンジン誕生のきっかけとなった「無茶振り」とは?

■第3回 ロイヤル・ダッチ・シェルを擁したオランダは、なぜ脱炭素化を加速できたのか(本稿)
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トランジションを加速させる

 トランジションとはなかなか進まないものです。しかし、だからといってあきらめて待っているだけでは、社会の崩壊を招きかねません。我々はトランジションが必要だということを、産業革命以降に急速に発展した科学技術を使って事前に理解できます。なので、そのときが来るのを待つのではなく、私たちの意思でトランジションを起こすべきです。

 トランジション・マネジメントは、将来のためにトランジションをいまのうちから「加速」させて、できるだけ穏便かつスムーズにトランジションを実現するための方法論です。この考え方はオランダ政府が2000年ごろから取り入れはじめ、次の章で紹介するように、同国南部のロッテルダム市を中心に、利用されてきました。

 オランダは以前から「合意形成国家」として有名でした。国土の大半が低湿地であったため、農地を堤防で囲んで干拓することで、農業国として発展を遂げてきました。また現在の国土面積の20%は干拓によって新たに造成された土地だとも言われています。堤防や排水施設の維持管理が人々の生活にとってきわめて重要で、そのためには地域の人々みんなの協力で施設を管理しなければなりませんでした。

 結果として、人々が話し合って合意に基づいて地域を管理するという伝統が生まれました。戦後は、ネオ・コーポラティズムと呼ばれる体制を構築し、経済団体、労働団体、政府が話し合いで協調的に政策を進める「社会経済協議会」が設立されました。最近ではワークシェアリングの成功も、この労使協調による合意形成の賜物のようです。

 しかしこの「よき伝統」が同時に足枷となることに気づいたのもオランダでした。気候変動による海面上昇は、干拓によって拡大してきたオランダの国土に大きな影響をもたらします。しかし、オランダでもっとも有名な企業といえば、国名を企業名に含むロイヤル・ダッチ・シェルです。石油産業の利害を重視するならば、脱炭素へのトランジションは前へ進みません。だからこそ、いかにもオランダらしい合意形成モデルからあえて脱却して、トランジションを加速させるためのトランジション・マネジメントが模索されるようになったのでしょう。

 トランジションを加速するということは、人々が、従来の古いやり方をやめて、新しいやり方へと転換するのを後押しする、ということです。「トランジションが必要だ!」と叫ぶだけでは、トランジションは進みません。上から目線で高説をたれようものなら、逆に反発を受けて、むしろ社会の転換を遅らせてしまうでしょう。


「上から目線の押しつけ」ではなく、「実践を伴った勧誘」を

 トランジション・マネジメントのカギは、「上から目線の押しつけ」ではなく「実践を伴った勧誘」です。「将来のためにこう変わらないとダメです」と訴えかけるのではなく、「将来はこうなるんですよ、一緒にどうですか」と行動で示すのです。

 たとえば最近、とくに欧州で「ヴィーガン」と呼ばれる、動物性の食材をいっさい食べない人々が増えつつあります。これは食の好みや体質、動物の殺生に対する懸念だけではなく、動物性の食材の生産過程で大量の温室効果ガスを排出することへの懸念が理由の一つとなっています。このようなヴィーガンのムーヴメントにおいて、時々「肉食反対!」を掲げ、攻撃的な行動をとる人もいるようです。

 世間の耳目を集めるためのデモンストレーションとしてはありえるのかもしれませんが、街でハンバーガーを食べていて、いきなりどこの誰か知らない人に怒鳴りつけられたとして、どれだけの人が共感するでしょうか? もちろん、街で子どもを虐待している人がいたときに、誰かが怒鳴りつけて止めさせる、というのであれば、みんな共感するでしょう。しかし現在の世の中では、ハンバーガーを食べることは大半の人にとってまだまだ「あたりまえ」のことです。「あたりまえ」のことに対して怒鳴るというのは、理不尽に思われても仕方ないことでしょう。

 実際、2022年のクリスマスには渋谷のケンタッキーフライドチキンの店頭で肉食反対のデモがありましたが、ネットで眺める限り、賛同する意見はほぼ見られず、むしろ嫌悪感を示す意見が大半のように見受けられました。もちろん主張すること自体は決して悪くないと思いますが、肉食の抑止が目的で、攻撃的なデモが手段なのだとしたら、この手段は目的をまったく果たせてないということになります。

 ではこの場合、トランジション・マネジメントでは、どのように行動すべきでしょうか? 

「肉を食うな」と直接的に攻撃するのではなく、ヴィーガンの食生活を社会にいろいろな形で示すことになるでしょう。そうすることで、「野菜も果物も肉に負けず劣らず美味しいこと」「胃腸などに負担が少なくて体にもいいこと」「地球環境に負担が少ないこと」などを伝え、人々の感性や価値観を動かすところからはじまります。相手に無茶なお願いをするのではなく、自分が動いて、見せつけて、こちらの側へと相手の心を引き寄せるのです。

 なにもしていない人物から上から目線で命令されても、誰も話を聞く気になんてなれません。だから、まずは実践ありきで、そこから仲間を増やしていくのです。もちろん、トランジションを完成させるためには、前章で述べたような対立は避けることはできません。どこかで、肉食派vs.ヴィーガンのような形で、なんらかの直接対決みたいなことは起こるかもしれません。とはいえ、早い段階からそんなことをしても、大多数から嫌われて排斥されて終わりです。


身近なこともトランジション・マネジメントの対象

 みなさんのまわりで、どのようなトランジションの課題があるでしょうか? 自分には関係ないや、と思うかもしれませんが、規模を小さく捉えれば、いろいろな課題があるはずです。

 たとえば、「会社でDX(デジタル・トランスフォーメーション)を進めたい」といったこともトランジション・マネジメントの対象です。これまでは規模の大きな話をしてきましたが、会社だって一種の「社会」です。もしあなたがDXを進めるべきだ、と思って、ビジネスチャットだとか、テレワークだとかを推進しようとしていたとしましょう。このとき、あなたが社員として「DXを進めるべきだ!」といきなり主張しても、周りの人たちにその気がなければ、「なにエラそうに言ってんだ」と一喝されて、終わってしまうかもしれません。だからこそ、戦略的にトランジション・マネジメントを進める必要があります。

「上から目線の押しつけ」ではなく、「実践を伴った勧誘」を。いきなりエラそうに宣言するのではなく、まずは自分や賛同者が、新しいツールを導入してみて、それが便利なことを他の社員に見せつけましょう。そして、それを見た他の社員に「俺も使ってみるか」と思わせて、いつの間にかこちらの側に引き込んでしまうのが、戦略的なトランジションです。

 トランジション・マネジメント向きの問題とはでは、どのようなテーマがトランジション・マネジメントに適しているのでしょうか? それは、〝長い時間をかけて変えていかなければならない〟問題です。10年、20年と少し先の未来を考えたときに、「このままじゃヤバいよね」とあなたが感じることが、適したテーマだと言えます。いま目前にある、できるだけ早く解決しなければならない問題は、関係者を集めてその利害関心に合わせて、交渉による合意形成で解決できますし、その方が効率的です(拙著『おとしどころの見つけ方』にその方法は書いてあります)。

 しかし、合意形成を繰り返しているとじつは長期的に悪化してしまう問題が、MLPでいうところの構造の変化を必要とする問題であって、そういう問題にこそ、トランジション・マネジメントが必要なのです。ですから10年、20年といった先の未来を想定して、なにが悪くなっているかを考えると、トランジション・マネジメント向きの問題が見えてきます。

 また、目前の問題ではない、という意味で「構造」的な問題がトランジション・マネジメントに向いています。ルール、日常の「あたりまえ」、社会の仕組み、そういった大きなものが変わることがトランジションですから、これから取り組む問題が、そういう性質を持っているかどうかを考えてみてから、トランジション・マネジメントという進め方が合っているかどうか、判断するとよいでしょう。

 なにが問題かを考えるとき、カギになるのが「サステナビリティ」という単語です。サステナブルということは、システムがとくに問題なく循環・駆動しているということです。システムになにか問題があると、サステナブルではなくなります。みなさんのまわりでも「サステナブル」ではないこと、つまり「アン・サステナブル」な課題は、なにかないでしょうか?

 サステナビリティというと、すぐに「SDGs」や「環境」を思い出す人が多いのですが、実際はどんなことでも、サステナビリティは重要です。日本の人口もまさにサステナブルではないので、減少の一途をたどっているわけです。会社だって、たとえば収入よりも支出がずっと多い状態が継続していたら、それはサステナブルではないと言えるでしょう。

 こうした問題ほど目を背けたいことが多く、とりあえず現時点ではどうにかなるだろうと思って、日々やり過ごすことも多いものです。そういう意味では、米国の元副大統領、アル・ゴア氏が気候変動に関する出版に「不都合な真実(An Inconvenient Truth)」と名づけたのも、当意即妙であったと言えるでしょう。みなさんの身の回りの不都合な真実って、なにがありますか? 自分の街や組織の問題で、とりあえずはどうにかなるかもしれないけれども、10年後には確実にヤバくなっていそうな問題を探してみましょう。デジタル化、異常気象対策、人口減少対策など、いくつかすぐに思いつくものもあるのではないでしょうか。

 では具体的に、みなさんがトランジションを加速させたいとして、どのような手順で考えればよいでしょうか?トランジション・マネジメントの具体的な進め方については『トランジション 社会の「あたりまえ」を変える方法』で紹介しています。ぜひ読んでみてください。

<連載ラインアップ>
■第1回 なぜ裸で外を歩いてはいけないのか?社会が大きく変わるトランジションとは
■第2回 歴史的偉業、ホンダのCVCCエンジン誕生のきっかけとなった「無茶振り」とは?

■第3回 ロイヤル・ダッチ・シェルを擁したオランダは、なぜ脱炭素化を加速できたのか(本稿)
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筆者:松浦 正浩

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