和の技術を活かして躍進を続ける100年企業 伝統と躍進の軌跡に迫る

2023年12月21日(木)8時40分 PR TIMES STORY

アンドウ株式会社(以下、アンドウ)は、1923年(大正12年)に、京鹿の子絞の帯揚や、手絡(てがら:結髪女性の布製の髪飾り)の製造として京都で創業し、2023年7月に100周年を迎えました。現在は和装小物、履物、バッグ、浴衣や甚平など和装関連全般の製造、卸売のほか、自社製品のECサイトの運用や、体験型コンセプトショップ<ANDO>の運営を行っています。

戦後、高度経済成長期を経て、西洋のライフスタイルが定着していき、日常生活の中で着物を着る機会が少なくなるにつれ、着物業界は斜陽産業と言われる厳しい状況が続いています。この厳しい状況下で自身の絞りや染めの技術、培ってきた製造のノウハウを様々に活かすことで躍進を続け、100周年を迎えた、和装小物総合メーカーのアンドウの取り組みと想いをご紹介します。

1923年創業アンドウの伝統工芸〝京鹿の子絞〟歴史と成長戦略。 

アンドウは、現会長の祖父にあたる安藤常七(つねしち)が丁稚にはいっていた大店(おおだな)、松尾商店から、1923年に独立して、京鹿の子絞の帯揚や手絡(てがら)の製造で創業したのが始まりです。この年は、関東大震災の起こった年でもあり、その影響は京都経済にもおよび、不渡りを起こす事業者も多い中、アンドウの前身、安藤圓商店は一度も不渡りをだすことなく堅実に商売をしてきました。その後、戦争時期を経て、高度経済成長期、バブル期へと移る中、順調に業績を伸ばし、事業を拡大してきました。現在では成人式の振袖はレンタルが主流になっていますが、この頃、私たちの暮らす町には呉服屋さんがあり、成人式には振袖を誂え、結婚する際には付け下げや訪問着などの着物を持参するという習慣があり、暮らしのなかに着物がありました。

1980年に3代目として社長に就任した安藤一郎の時代には、拡大する需要に応えるため、生産体制を確立するべく、中国への進出を果たし、複数の自社工場を設立しました。このように言うと順風満帆の攻めの海外進出のように聞こえますが、実はこの中国進出は、会社を存続させ、成長させていくための守りの一手でした。続く4代目と5代目の時代もこの流れを継承し、現在の6代目社長の坪倉弘に至るまで、アンドウは国内に3拠点、中国に3拠点、ラオスに1拠点の生産工場を置き、市場ニーズに柔軟に対応した製品開発を進めることができる生産体制を築いています。

もともと和装小物の多くは、分業制で製造されてきました。たとえば、私たちが製造している絞り製品の加工工程は、「絞り」「漂白」「染色」「乾燥」「ほどき」「湯のし」「仕上げ」といった複数の工程があります。特に「絞り」の工程は、主に農業に従事する方々が、農閑期に家内制手工業、いわゆる内職として、それぞれ別の場所で担っていました。

人の手で、ひとつひとつの工程を進めるというあたたかみがあるものの、その仕上がりの精度がまちまちになってしまうというクオリティ保証の課題がありました。また戦後、高度経済成長期を迎えた日本では、農業を離れる人も増えていき、これらの工程の担い手が減り、近い将来これらの委託先がなくなってしまうという危機的な状況が目の前に迫っていました。

委託先を失うことは、自社製品を失うことを意味しており、自社製品がなくなれば、自社の事業は仕入れたものを卸す問屋機能のみになってしまうことを意味しています。

どうしたらこの二つの問題を解決し、安定して自社製品の供給ができるのかを考え、安定した品質と生産体制を構築するために、当時主力であった絞りの染色を自社内で行うことを決意し、設備等を揃え、1969年に社内染色をスタートさせました。その頃の委託先の染色は、色合わせや堅牢度に対する認識が低く、色落ちや顧客からの色合わせにも応えられないなどの問題がありました。自分たちで染めていくことで、少しずつですが、色合わせや堅牢度の精度を上げることができ、品質が安定するようになりました。同時進行的に、さまざまな商品への展開も手掛けるようになり、業績も上がっていくなかで、それぞれの商品の製造を委託先に頼っていることで、染色と同じような潜在的な問題が起こっていました。そこで、国内工場の開設を足掛かりに、中国に自社工場を作ることを決めました。業績好調につき、意気揚々と海外進出!というわけではなく、自社製品のクオリティの保証と、それに基づく自社事業を守っていくために、当時の私たちがたどり着いた最適解が、中国に自社工場を設立することだったのです。

逆走は、信念とお客様への約束。

近年、多くの企業がスモールオフィス化、業務のアウトソース化を進めています。これと相反して、アンドウは様々な工程の内製化を進めています。これは品質を保つために必要な工程を揃えていった結果なのです。

かつてアンドウは、帯揚や手絡(てがら)については自社で製造を行い、それ以外の帯締や草履といった商品は、仕入れたものを卸すという、いわゆる卸業として取り扱っていました。1980年代からの中国進出を経て、現在は、草履や下駄などの履物、バッグ、浴衣や甚平、アパレルウェアまで手掛けるようになり、和装小物だけではない総合メーカーとして自社工場で生産しています。この生産体制は、古くから分業が当たり前のこの業界で、唯一と言っても過言ではありません。年に数回出店する浴衣のポップアップショップでも、浴衣に必要なすべてのアイテムを自社製品で揃えることができるようになりました。

多くの企業が様々な業務や生産をアウトソースするなか、一見、その潮流を逆走するようにも見える内製化は、アンドウの品質へのこだわりがあります。確かな品質の製品をお客様へ届けることこそが、アンドウへの信頼の源であり、責務であると考え、品質保証を自社でできるかどうかという点を大切にしているという理由からです。顕在化しないところまで目を届かせることで、お客様に安心して使っていただくことができます。ひとつひとつの製品を通じて、それぞれの人の日常に、あたたかみのある豊かさが訪れることを願っています。外注することによってクオリティのばらつきが生じてしまう状況に対し、お客様に対して品質保証をするためには、生産する製品の品質管理をする必要があると考えました。社内に品質管理室を設け、出来上がった製品のチェックだけではなく、企画段階から、素材や形状、製造工程等をチェックし、自社工場で生産することにより、品質を高い位置で均一化することを実現しました。

いいものづくりは、社員づくりから。

一般的に繊維製品製造で、中国や東南アジアなど海外の工場で生産するものは、日本で生産するものに比べて、不良品の割合が大きいという現状があり、それを見越して、発注数を増やすなどの対策がされています。しかし、アンドウの海外工場で生産した製品は、日本で検品しても、不良品などがほとんどありません。これは、とても誇らしいことだと思っています。とはいえ、工場開業当初は、そのような状況ではありませんでした。

開業当初はそれぞれの工場に現地駐在員を1名ずつ置いていましたが、文化や慣習の違いから、なかなか一筋縄ではいきませんでした。日本からも毎月1〜2回現地に赴き、ものづくりの前に、私たちの日本式の整理整頓とクリーンリネスの習慣化から取り組みました。さらに、現地スタッフを日本に招き、研修を行いました。

研修期間の滞在中は、日本語学校に通い、生産の実作業を学ぶほか、街中を案内して、自分たちが作った製品がどのように売られているのかを見てもらい、食べ物や食事のマナーといった日本文化にも触れてもらいました。そうすることで、仕事の仕方だけでなく、仕事に対する姿勢や文化を学んでもらい、それを現地に持ち帰ってもらいました。当時日本に研修に来ていたメンバーは、今では現地で幹部となって活躍しています。当初、何か指摘をされても自分の責任ではないという感覚が強かった研修生も、時間をかけて様々な体験をしていくうちに、指摘や指導を素直に受け入れられるようになりました。指摘を受け入れ、どう改善するかを考えるように導くことを心がけました。

今では不良品が出ることはほとんどないのですが、開業当初は、海外生産したものを日本で検品し、不良品が出た際には、それらをフィードバックし、日本スタッフが現地に行く際に必ずそれら問題商品含め持参して説明することで、どこでどのように発生したのか、その原因の調査し、各部門に共有し、どう対策を講じるかについて、自分たちで考えるようにしました。また不良品が出たのは、誰のせいかではなく、不良品を出さないようにするにはどうしたらいいかを、部門の責任者と現場のスタッフで、自分たちで考えるように指導をしました。

この方法には、手間も時間もお金もかかりますが、そうすることが社員の成長につながり、企業の価値向上に繋がると確信しています。良品を納品できるようになるには、5年程かかりましたが、海外工場の従業員に、単なる請負仕事の外注品の生産という感覚ではなく、自分たちの工場、自分たちの製品という意識を育てられたと思います。

いいものを作るためには、いい社員をつくることが不可欠だと考えています。

お客様に直接ふれて、芽生えた誇り。

かつてどの町にも呉服屋さんがあり、和装のレンタルがまだ浸透していない時代、アンドウの製品は、複数の問屋さんを経て店頭に並び、お客様に届けられていました。時が経って、ライフスタイルが変容し、和装へのニーズが減少傾向にあるなか、問屋さんの在り方も変わりつつあり、和装小物の流通にも変化が訪れています。

以前のアンドウは、取り扱う商品のほぼすべてを問屋さんに卸していましたが、2020年の世界的なパンデミックの影響もあり、現在は小売りやECなどの販路も増えてきています。

以前は問屋さんに卸すことが主流で、実際に製品を手にするお客様に直接的な接点がなく、その声を聞くことはほとんどありませんでした。自分たちが作っているものが本当に求められているものなのか、素敵と思ってもらえているのかがわからずに、生産し、納品していました。時代が変わり、少しずつ、自分たちの製品を手に取る人の声が聞こえるようになってきました。それにともない、社内の意識に変化が生じてきたことを感じています。

自社製品が増え、自分たちで開発、生産した製品を持って海外の展示会に出展すると、その審美性や機能性に感嘆の声が寄せられました。国内でのポップアップ出店においても、同様の出来事が続きました。問屋さんへの卸業では聞くことのできなかった生の声、高評価の声が、私たちに誇らしさをもたらしてくれました。誰もが知るナショナルブランドからコラボレーションの声がかかることも増え、自分たちが作ったものが認められている、自分たちは求められているものを作っている、という実感を持つことができ、身体の内側から沸き立つ嬉しさを実感しています。

体験型コンセプトショップANDOのオープニングとその狙い。アンドウにしか出来ないものづくりで日常を豊かに彩る未来をつくる。

2023年秋、私たちは、創業100周年を機に、「人と和をつなぐ」ことを使命とし、生活者の日常をより豊かに彩る一員となるべく、これまで以上に開かれたアンドウの取り組みとして京都本社1階に“<ANDO>体験型コンセプトショップ”をオープンしました。熟練の技から生まれる製品をはじめ、絞りや染めの技術、歴史に触れることのできる空間として、業界関係者だけでなく、一般の方々をお迎えするショップです。

足を踏み入れたお客様が、あっと驚き、ワクワクする空間をめざし、目に迫る圧倒的なアート風の陳列を目指しました。入り口から入ってすぐ正面の壁面には、反物ならではの形状を活かした壁掛け陳列を行い、ANDOの技と思いをインスタレーションとしてもお楽しみいただける陳列を採用しました。

ショップ内の展示台には、絞りの製品を整然かつダイナミックに陳列することで、絞りならではの特徴が伝わるよう工夫しました。品番ごとに並べた方が管理はしやすいのですが、カラーチャートで分けて陳列しています。絞りの造形のおもしろさや実用性に驚いたり、わくわくして思わず手に取ってしまう、また来たくなる、会話が生まれる、選ぶ楽しさを体験する、そんなシーンをイメージしています。

また、ショップ内に絞りの作業工程が見えるよう、サンプルや写真も展示しています。どのような工程を経て、どんな人が関わって作られているのか、製品が生まれるストーリーをご覧いただけるようにしました。さらに、絞りと染めのワークショップも実施しています。わくわくする展示や、製造スタッフが講師として立つワークショップなどを通じて、絞りや染めの技術を、訪れる人の視覚と触覚にお届けします。この体験型コンセプトショップ<ANDO>での、外部の作家やデザイナーと製造スタッフたちの出会いや会話が、社内からは生まれにくい新たなアイデアやインスピレーションが生まれるきっかけになることを願っています。

伝統的な技術を残していきたいという想いもありますが、それ以上に、それらを活用して、本当に欲しいと思ってもらえるものを作っていきたいと思っています。アンドウは、絞りや染めの技術や伝統を守りながら、アンドウにしかできないものづくりを通じて、訪れる方々とともに、製品を通じて、日常を豊かに彩る未来をつくって参りたいと思います。


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