介護職歴18年の女優・北原佐和子「41歳で資格を取得。介護事業所に応募するも30か所ほど断られて…」【2024年下半期ベスト】

2025年2月3日(月)12時0分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

2024年下半期(7月〜12月)に配信したものから、いま読み直したい「ベスト記事」をお届けします。(初公開日:2024年9月7日)
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厚生労働省が実施した「令和4年 介護サービス施設・事業所調査」によると、介護に従事する職員数は年々増加しており、令和4年度は215.4万人だったそうです。そのようななか「女優の仕事と介護の仕事は似ている」と話すのは、芸能活動のかたわら、介護福祉士や准看護師として現場で活躍する北原佐和子さん。今回は、北原さんの著書『ケアマネ女優の実践ノート』から、北原さんが介護の現場で経験したエピソードを一部ご紹介します。

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鮮明に思い出した過去の出来事 何かのメッセージかも……


子どものとき、夕方になると、仕事から帰ってくる父を迎えに決まって駅まで出かけていました。

父を待っている間、駅の改札口や券売機の前で、高齢者や体の不自由な方が困っている様子を見かけることがよくありました。

手伝ってあげたい。けれど、恥ずかしい……。

まだ幼かった私は、見知らぬ方に声をかける勇気がなく、ただ気になって遠巻きに眺めているだけでした。

そんな日は、すごく悔しくて、重い足取りで帰宅したものです。

ある大雨の日


20代の頃、ある大雨の日、車を運転していたら、体にマヒのある男性が大通りでタクシーを探しているのを見かけました。

傘を差していたけれど、全身びしょ濡(ぬ)れです。


『ケアマネ女優の実践ノート』(著:北原佐和子/主婦と生活社)

子どものときの記憶が蘇(よみがえ)りました。

今日こそは勇気を出そうと、「よろしかったら、どうぞお乗りください」と声をかけて、その方の自宅近くまで送ることにしました。

その方は、「手伝いはいりません」とおっしゃって、両手で体を支えながら車を乗り降りしていました。そして、週に2〜3日、電車を乗り継いで仕事に通っていることなどを教えてくださいました。

当時、その方のたくましさに強く心が揺さぶられました。

そんな昔の記憶がありありと思い出され、「何かのメッセージかも……」と思わずにはいられませんでした。

40代、介護の仕事スタート 41歳でホームヘルパー2級を取得


その後、40代にさしかかる頃、実際に動き出そうと決意しました。

まずはホームヘルパー2級の資格を取ることにしました。

女優の仕事が一段落し、まとまった時間が確保できたタイミングで、2週間ほど毎日講義を受けて、41歳のときに資格を取得しました。

その後、介護事業所が掲載されている本をいただき、「事業所はこんなにたくさんあるのね。だったら、私が働けるところがあるかも」と思い、掲載されている事業所に問い合わせをしてみました。

女優業に携わっていることをお話しして、「数か月ほど時間が空く期間に、じっくりと働きたいと思っています」と正直にお伝えしました。

しかしながら、30か所ほどに電話しても、「それではシフトが組めませんから……」と断られてばかりでした。

そうですよね。でも、最後に連絡した宅老所で、「ごちゃごちゃ言わず、一度来てみて!」と答えてもらえて、ようやく介護の仕事をスタートできました。

空いた時間に働いたり、ときには撮影を終えてから、宅老所の夜勤に入ったりしていましたね。

それはそれで楽しかったのですが、所属事務所の理解は得られませんでした。「介護の仕事のことは、公言してはいけない」と釘を刺されていました。どうして隠す必要があるのか、腑(ふ)に落ちませんでした。

50歳で介護福祉士、53歳でケアマネ 56歳で准看護師になった!


それから、50歳で介護福祉士、53歳でケアマネジャーの資格を取得しました。

所属していた事務所は退社し、個人事務所を設立しました。

そうして介護の仕事を続けていくうちに、在宅診療などで交わされる医師と看護師の専門的な会話がまったく理解できないことがもどかしくなり、「介護医療の分野にも関わっていきたい」と自然と思うようになっていました。

知り合いの医師から看護学校で学ぶことを勧められ、准看護師の資格を取るために養成学校に通い、56歳の春、卒業しました。

いやー、本当に勉強するのは大変でしたよ。苦労しましたが、「この痛みを乗り越えたら、成長した自分が待っている」とがんばりました。

※本稿は、『ケアマネ女優の実践ノート』(主婦と生活社)の一部を再編集したものです。

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