再放送NHK朝ドラ『まんぷく』の〈踊るモデル役〉で話題!壇蜜さんが語る「私の暗黒時代」。嘆きつつ、喘ぎつつ、私は生きていた

2024年2月6日(火)18時0分 婦人公論.jp


タレントの壇蜜さん(撮影:本社写真部)

日清食品の創業者・安藤百福をモデルにした物語で、安藤サクラさんが主演を務めた、2018年度後期のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)『まんぷく』が、NHK BSとBSプレミアム4Kで再放送中です。タレントの壇蜜さんが美人画モデル・木ノ内秀子役で登場し、話題となっている。自身のキャラクターができるまでについて振り返った記事を再配信します。
 
*********
特異なキャラクター「壇蜜」が完成するまでの紆余曲折を、新著『三十路女は分が悪い』で赤裸々に語っている壇蜜さん。就活失敗、職を転々とした過去。自身でも「暗黒時代」という時期を経たからこそ得たものはーー(構成=丸山あかね 撮影=本社写真部)

* * * * * * *

「私ごときが?」と少々戸惑って


読売新聞さんのウェブサイト「OTEKOMACHI」でお悩み相談アドバイザーに選んでいただいたのは2017年、今から3年前のことでした。相談者はアラサーの女性だと聞いて、光栄なことだと思いつつ、「私ごときが?」と少々戸惑ってしまったのを覚えています。

私は男性をターゲットにして売り出したタレントであり、自分が世間でどういう見られ方をしているのかについては知っているつもりです。壇蜜という女が「苦しい時代を生きる殿方にハァハァしていただくことが使命です」などと言いながらメディアに登場すれば、男性は喜んでくれたかもしれませんが、女性は眉間にシワを寄せる。自分という存在は女性の敵なのだという思いは、今も私の根底にある価値観から消えません。

ですから、「壇蜜さんは女性からの支持が高いです」と言われても、「デビュー当時と比べたらですよね?」と構えてしまう。少なくとも3年前は今よりずっとさまざまなトラウマを色濃く引きずっていたので、正直、読者の皆様から「アンタのアドバイスなんか誰が聞くか」と反発を買ってしまうのではないかと不安でした。

ただ、四人の回答者の中の一人だと伺って腑に落ちたのです。四人グループのアイドルなどには一人トリッキーな子が入っていたりしますよね。奇を衒(てら)った回答をする役割ならアリかもしれないぞ、と。その上で、無理して見栄を張ったり、上から目線でアドバイスすることはしまいと固く心に誓い、アドバイザーをお引き受けすることにした次第です。

暗黒時代がまざまざと蘇り…


実際にアラサー女性の悩みと対峙してみて思ったのは、人にアドバイスをするのは想像していた以上に難しいということでした。その反面、他人のことだから言えるというか、自分自身が同じことで悩んでいたとしたらここまで客観的に分析することはできないだろうなと感じることがあるのも事実。だからといって、トリッキー担当と思しき私の価値観だけで回答してしまってよいものかどうかと案じていたところ、食卓に並ぶ「海鮮の瓶詰め」が更に私に勇気を授けてくれたのです。


壇蜜さんの新著『三十路女は分が悪い』(中央公論新社)

ラジオで存在を知り、三陸からお取り寄せしてみた「海鮮の瓶詰め」なるものがありまして。上からイクラ、タコ、サーモン、めかぶだったような。これら4種を解凍して食すのですが、その時、私が着目したのはめかぶでした。私は思わず「めかぶ、お前もか」とつぶやいていたのです。四人の回答者の中で私はめかぶ的存在。一人だけタンパク質じゃないぞ、みたいな。でも、めかぶもいい味出しているじゃないかと。君がいないと味気ないぞと思うわけで、以降、私もそうありたいと考えながらお悩み相談に向き合ってきました。

いつも私自身の過去の記憶や経験を総動員して回答することになるのですが、20代半ばから30代にかけての暗黒時代がまざまざと蘇り、一人勝手に苦しくなることもあります。何をやっても上手くいかなくて、だから将来が不安でたまらなかったあの頃。迷いながら、悩みながら、何とか力を振り絞って行動を起こすも待ち受けているのは八方塞がりの更なる闇。「ああ、この道も行き止まりだったか」「ああ、またもや迷路にハマってしまった」と嘆きつつ、喘ぎつつ、私は生きていたのです。
 
ところで、「壇蜜の経験した暗黒時代ってどんなだったの?」という声が聞こえてきそうです。そこでこの場を借りまして、私自身の過去を遡り、仕事や恋愛における価値観の変容(つまり成長ですね)及び、我が暗黒時代の全貌を時系列にお伝えしてきたいと思います。

時代は就職氷河期の真っただ中


私は秋田県で生まれ、1歳の時にツアーコンダクターをしていた父の仕事の関係で東京へ移住し、社会人になるまで両親と一緒に世田谷区で過ごしました。

当時は専業主婦が主流でしたが、母は保育士としてバリバリ働くキャリアウーマン。私は一人っ子なので幼い頃は祖父母と共に両親の迎えを待っていました。いつしか自分も母のように仕事を持って生きていきたいと考えるようになります。精神的にも経済的にも自立していた母はイキイキと暮らしていました。父とは平等な関係性を築き、欲しいと思ったものや、やりたいと思うことがあれば自分の意思で決めていたように見えました。仕事を持っていれば女性は自由に生きていけるかもということを、私は早くから知るようになります。

昭和女子大付属小学校に入学し、エスカレーター式に中学、高校へ。そして大学は英文科に進学しました。母が「これからは英語ができなくちゃダメよ」と勧めてくれたからです。

ところが……。1年の時には学校のカリキュラムでボストンに短期留学したり、帰国後も家庭教師をつけてもらったりしながら自分なりに頑張っていたのですが、専門的なことを学べば学ぶほどわからなくなってきて、成績は悪化の一途を辿ります。そこで日本語ならと進路を少々変更し、日本語の教員免許を取得したものの時代は就職氷河期の真っただ中。就職活動がぜんぜん上手くいかなくて大きな挫折感を味わいました。

今にして思えば、正社員として就職できなくてもインターンやアルバイトとして企業で働くなど、幾らでもやり様はあったはず。実際、バイトで入った会社で景気向上に伴い正社員になったという同世代の人は意外に多いものです。

でも当時の私は途方に暮れるばかりでした。自分がどういう人間であるかとか、自分がどういうことに熱中できるのかといったことを社会の中心で働く人達に伝える術がないと愕然としていて……。でも本当は、自分が何をしたいのか、自分には何ができるのかがわかっていなかった。もっと言えば考えることさえしていなかったのだと思います。

「ホステスという仕事は私に向いているかも」


もとより自分を責めてしまいがちな私の中には、こんなにも人生が上手く行かないのは時代のせいばかりではない、自分が努力をしてこなかったからだという罪悪感がありました。そして、その罪悪感こそが「どんなに苦労をしてでも手に職をつけよう!」という前向き(?)な発想を生みだしてくれていたのです。

私が選んだのは調理師免許を取得するという道でした。母の友人が和菓子の事業を立ち上げるので一緒にやろうと誘ってくれたことに希望を見出し、服部栄養専門学校のテクニカルコースへ。ところが2年で調理師免許を取得し、いよいよ和食の事業をスタートさせるぞという時に母の友人が病気で亡くなってしまいます。ショックでした。内向的だった私の数少ない理解者の一人であり、ビジネスパートナーとして信頼していた人の死を受け入れることができなくて苦しかったです。

とはいえその後も働かなくてはいけません。もちろん自分のためなのですが、この頃は親をガッカリさせたくないという気持ちが強かったような気がします。世間体、気にしていました。いろいろ考えた末に調理師免許を活かすべく、和菓子工場で働くことにしました。

最初は来る日も来る日も餡を練っていたのですが、やがて季節のお菓子の下ごしらえをさせてもらえるようになり、重労働でも充実していた時期はありました。でもその気持ちが長く続くことはなく、私は先輩達がコンテストに出品する和菓子のことに夢中になっているのを尻目に「早く家に帰って『水戸黄門』を観たい!」とか思っていたりして。要はやる気スイッチが入っていない状態だったのです。

その一方で、専門学校時代、研修旅行に行くための資金作りとしてやってみたホステスのバイトは思いのほか楽しかった。あれは23歳の夏のこと。銀座のクラブ街へ行けばどうにかなると思って昼下がりの銀座をウロウロしていたら、本当にスカウトマンから声をかけられてノコノコと喫茶店についていき(真似はしないでください。キケンです)、気づけば銀座のクラブでヘルプのバイトをしていたという……。

手っ取り早く稼げそうだというだけの理由で始めたホステスのバイトでしたが、気づくのです。「ホステスという仕事は私に向いているかも」と。店のママからも「アンタはホステスとしての才能がある」と言われていたのです。が、またもや親の顔や世間体がちらついて、プロのホステスとしてやっていく決意を固めることができませんでした。


「自分は内気だとばかり思っていたのですが、それは私の中のA面なのだと気づいたのもこの頃。ヒョイと裏返したB面には、「どうにかなるさ」「やっちゃえ、やっちゃえ」と自棄(やけ)にふてぶてしい別人格が潜んでいることがわかってきて…」

私はきっと「職業的ド変態」


どうやって生きて行ったらいいのだろう? と暗礁に乗り上げて悶々と過ごす私の脳裏にチラチラと浮かんでいたのは、17歳の頃に漫画で知ったエンバーマー(遺体衛生保全士)という仕事でした。ご遺体を生前の元気だった頃の姿に近づけるエンバーマーのことを思い出したのは、母の友人の死を通じて死生観について思いを巡らせていたからでしょう。それともう一つ、これは今だから言えることなのですが、私はきっと「職業的ド変態」なのです(笑)。

人がイヤがることをあえて仕事にしたいというような願望があって、苦しいことがあっても、誰かに後ろ指を指されたとしても、まぁお金が入って来るのだから良しとするかと、割り切っていられる。もしかしたら、こうした私の中の職業的変態性みたいなものが生きていく上での最大の強みだったのではないか? と自己分析しているのですが、それに気づくのに10年以上かかりました。

当時は自分にできそうな仕事、長く続けていけそうな仕事、夢中になれそうな仕事を探すのに必死だったのです。漫画を読んで「私もやってみたい!」という願望を抱き、死体が怖くないであろうと勝手に予想していた自分にとって、エンバーマーは天職に違いないと20代半ばになっていた私は思いました。

そこで自宅近くの公益社に連絡をして「保全士になるためにはどうしたらよいのでしょうか?」と問い合わせたところ、係の人が「神奈川県平塚市に日本ヒューマンセレモニーという専門学校があって、そこで資格を取得することができる」と教えてくれたのです。さっそく願書を取り寄せ、親に頼んで学費を出してもらうことに。ここから2年間、私は保全士になるための勉学に励みます。

それにしてもホステスにエンバーマーと、立派な仕事とはいえどうしてこうも親が期待しないところにばかり気持ちがいくのだろうか? というのが当時の悩みと言えば悩みでした。その実、エンバーマーの漫画を読んで感動を覚えた17歳の時点で、自分が親の期待には添えない人間であることはわかっていた気がします。

自分は内気だとばかり思っていたのですが、それは私の中のA面なのだと気づいたのもこの頃。ヒョイと裏返したB面には、「どうにかなるさ」「やっちゃえ、やっちゃえ」と自棄(やけ)にふてぶてしい別人格が潜んでいることがわかってきて、人間というのは実に奥深い生き物だと感嘆したりしていました。

自分を取り戻すのは意外と簡単だった


20代半ば過ぎから私の人生はさらに複雑化していきます。大きな要因となったのは恋愛。当時、交際していた男性は束縛が酷くて、私の帰りを我が家の前で待っているわ、人の携帯は勝手に見るわ、GPSをつけるわで、面倒臭いのに引っかかっちゃったなぁと思っていました。

しかも、「僕がいないと何もできないくせに」などと言って女を見下して優越感に浸るタイプ。私もさんざん卑下されましたが、図星だったので言い返すことができなかった。経済的に彼に縋(すが)っていたのも事実でした。男の顔色を伺うのはイヤだ、もう辟易だと思っても別れる決意さえできない。なぜかといえば、なんだかんだ言いながらも自力で稼ぐよりラクだったからです。

こんな女にいい男がつくわけがありません。素敵な男性に出会いたいのに出会えないと悩んでいるアラサー女性が多いようですが、本気で素敵な男性に出会いたいのであれば、まずは自分が素敵になることだと声を大にしてお伝えしたいです。

結局のところ、私の目を覚ましてくれたのは交際して2年ほど経過した頃に言われた「もし僕が浮気をしても、それは僕のせいではなく、君の価値が下がったせいだからね」という彼の言葉でした。もう限界だと思いました。それで金輪際会うまいと決め、彼から貰った高価なアクセサリーや化粧品などをすべて彼の家に置き去りにして自宅へ帰ることにしたのです。

お化粧品がないと困ると未練がましく思いたくなかったけれど、お金がなかったので、たまたま家に来ていた祖母に2千円借りてドラッグストアへ向かいました。プチプラコスメを買いそろえて、百円ショップで買ったポーチに入れてみました。すると「これで大丈夫。明日からも困ることはない」と思えて、執着心がスーッと消え去っていくのを感じました。「なんだ、自分を取り戻すのはこんなに簡単なことだったのか」と拍子抜けしたのを覚えています。

彼と別れたのを時と同じくして、私は彼に対する面当て半分、自分に自信を備えたいという願望半分で、ゲーム内のオーディションを受けるというトリッキーな行動に出ました。そして、28歳でオーディションに合格し、出演したことをきっかけに芸能界に進むことになるのです。

****

このような苦い経験の数々が私の武器となる日がくるなんて夢にも思っていませんでした。人生相談の回答者として、今を生きるアラサー女性のみなさんの悩みをビシッと解決することはできないまでも、「なるほどこういう考え方もあるのか」という心の迷路から抜け出すためのヒントを提供したり、はたまた「壇蜜のような女でも何とかなったなら大丈夫そうだ」という希望を見出していただくことならできるかもしれません。世の中にこれほどまでにうれしいことがあるでしょうか。

※本稿は、壇蜜『三十路女は分が悪い』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

婦人公論.jp

「NHK」をもっと詳しく

「NHK」のニュース

「NHK」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ