金八先生以後に生じた「学校=悪という構図」「学校が良いサービスを提供して当たり前という考え方」…工藤勇一校長が指摘する<近年の教育現場が抱える問題点>とは

2024年2月19日(月)6時30分 婦人公論.jp


ドラマ『3年B組金八先生』は教育問題を広く世に伝えてくれたけれどもーー(写真提供:Photo AC)

生徒の立場からはその仕事内容が見えにくい校長先生という仕事。みなさんはどのような印象をお持ちでしょうか。「校長の意識さえ変われば、学校全体が必ず変わります」と話すのは、千代田区立麹町中学校で校長として400項目以上の教育改革を実行してきた、工藤勇一先生。現在は、私立の横浜創英中学・高等学校の校長として、画期的な教育改革を実行し続けています。工藤先生曰く「金八先生がテレビで放送されるたびに、現場の教師の間でやや奇妙な反響が感じられるようになった」そうで——。

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金八先生の功罪


少し広い視野で、教育をめぐる社会の状況について振り返ってみましょう。

日本の学校教育をめぐる問題について、クローズアップして社会に伝える先駆的な役割を果たしたのが、テレビドラマ『3年B組金八先生』(TBS系、1979〜2011年)だったと思います。

皆さんご存じのように、主人公である中学校教員の坂本金八先生が、3年B組の子どもたちの間に発生するさまざまな問題を体当たりで解決していくというストーリーでした。

この学園ドラマから、何でも解決してくれるスーパー教師像が生み出されていきました。熱血教師の姿に心を打たれて生徒たちが改心していくパターンの物語が、繰り返し描かれていたように思います。

ドラマがヒットしたことをきっかけに、非行、不登校、いじめ、暴力などさまざまな問題が学校の中で発生していることが知られていきました。そうした問題を、一所懸命解決しようという努力があることも、認知されていきました。

こうした意味でこのドラマが教育問題を広く世に伝えた役割は大きかったと思います。

保護者からの逆風


しかしその一方で金八先生の指導で子どもたちの中に変化が生まれていく、感動の物語がテレビで放送されるたびに、現場の教師の間でやや奇妙な反響が感じられるようになりました。

僕の肌感で言えば、新シリーズの放映が始まるたびに学校が荒れるという感覚です。

ドラマは多くの人たちの共感を呼び、教育への関心も高めてくれたはずなのに、現場で働く教師への生徒、保護者からの逆風はますます強くなっていったのです。

このドラマは「学校は抑圧的な場所」で「先生の多くは、子どもにとって敵」であるという構図をつくりあげてしまったのだと思います。

そして、「金八先生のような先生こそ、子どものことを考えている正義の味方だ」「金八先生のように昼夜問わず問題に立ち向かってくれる教育熱心な先生が、教師のあるべき姿だ」とする風潮ばかりが高まっていきました。

金八先生は熱血漢で正義漢の役柄です。現実の教育現場ではありえない、ドラマ的な人格です。彼自身が人権的な見地からして問題のある行為をたびたび行っても、「ドラマだから」「フィクションだから」と許容されて見逃されていきます。その一方で、他の教師たちはどうだったでしょう。

「生徒たちの問題に対して消極的で、自分の体裁や保身ばかり気にしている」「教師の多くは、ことなかれ主義」「教師たちが信奉する管理的な教育が悪い」、そんな描かれ方だったように感じてしまいます。

つくられた「学校=悪」という構図


もちろんその当時、学校の現場にはさまざまな矛盾もありました。僕自身、金八先生のように、学校教育の矛盾や理不尽な教師の姿に強い怒りを感じることも多々ありました。

ただ冷静に現実を振り返ると、問題は発生しているけれども、意図して問題を発生させようとか、悪意をもって誰かを追い詰めよう、としていた教師ばかりではありません。良かれと思ってやっているうちに結果として、問題を生み出してしまったケースもたくさんあります。

先生たちが、自己保身や責任回避に走り、それによって子どもたちを追い詰めていく、という構図は大きな勘違いです。

ところがいったん「学校が悪い」という図式ができてしまったら、元には戻れません。テレビドラマが繰り返しその図式を浸透させる役割を果たしたのだとすれば、悲劇的ともいえるでしょう。

日本の文化や日本のメディアは、わかりやすい対立の構造が好きです。


『3年B組金八先生』は、結果として「学校教育に問題がある」というイメージを広く根づかせました(写真提供:Photo AC)

明快な対立を作ったほうがドラマとしてもヒットするし、視聴者も喜ぶ傾向にあるからです。

もちろん、ドラマを通して学校の問題がクローズアップされたこと自体は、非常に意味があります。しかし、対立がクローズアップされ、問題の根本的な「原因」が見えにくくなってしまったのでは本末転倒です。

学校を批判すれば正義である、というお定まりの図式が金八先生のヒットによって定着したとすれば、それはもっと深刻な問題を生んだことになります。

『3年B組金八先生』は、結果として「学校教育に問題がある」というイメージを広く根づかせました。

そうした風潮によって、新たな問題が生まれていきます。

教育のサービス産業化


教員側からすれば、できるだけ問題を発生させないようにしたいという心理になりがちです。

そして問題が生まれないようにと、ますます管理を徹底していくようになります。少しでも学校が荒れたら、それを正すために学習規律や生活規律を厳格化し守らせ、管理していく。また、生徒や保護者の視点から言えば「教師や学校にサービスを求める」という図式を加速させてしまったのだと僕は感じています。

つまり、良いサービスを「してあげる」のが良い学校や先生であり、親からすれば「学校が我が子にサービスを提供するのは当たり前」という考え方になります。

それによって学校の現場は、さらに大きな問題を抱えることになりました。

大人が何でもやってあげて与える側にいて、子どもは与えられることに慣れてしまう。そんな構図が、日本中の学校に定着していきました。

簡単に言えば、教育のサービス産業化です。

与えられるのを待つ姿勢が当たり前になった人間は、うまくいかないことが起こるたびに、他人のせいにしてしまうようになります。

いじめが起こるのは学校が悪い。子どもが授業を理解できないのは、教え方が下手な先生の問題だ。成績が伸びないクラスは担任の責任。

生徒も保護者もそのような考え方になっていきがちです。

※本稿は、『校長の力-学校が変わらない理由、変わる秘訣』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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