追悼・山本陽子さん。81歳で逝去、直前までTV出演も。70歳で熱海に移住「深夜の模様替えなどを経て、捨てるものが明確に」

2024年2月22日(木)11時10分 婦人公論.jp


「移住のきっかけは、ものが増えてしまったこと」と語る山本陽子さん(撮影:宮崎貢司)

女優の山本陽子さんが亡くなったことが、2024年2月22日わかった。81歳だった。直前の2月2日には俳優の高橋英樹さんと共に『徹子の部屋』に出演。高橋さんの主演映画のヒロインに抜擢されたのが山本さんの本格デビューとなったことなど、思い出を語っていた。心よりご冥福をお祈りするとともに、山本さんが70歳で熱海に移住した際の奮闘を語った記事を再配信します。
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収納は得意だけれど、「捨てる」のは苦手という女優の山本陽子さん。一人暮らしで70歳を迎えたときに、ものの整理を兼ねて、東京から熱海へ移住したそうです。引っ越しを通じて得たものは?(構成=丸山あかね 撮影=宮崎貢司)

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都心から熱海へ移り住んで


30年間暮らした東京の家を離れて熱海へ移り住み、かれこれ7年になります。海があって山があって温泉があって。部屋の窓から、春は満開の桜、秋には色鮮やかな紅葉を眺めながら、ここに越してきてよかったなとつくづく思うのです。

そもそものきっかけは、ものが増えてしまったことでした。着物は仕事道具なのでいいとしても、衣類やバッグ、靴、食器や家電、それから膨大な量の写真や、自分が出演したドラマや映画を録画したVHSのビデオテープ……。

私は部屋がスッキリしていないと落ち着かない質なので、1部屋を納戸にして普段は使わないものを押し込めていたのですが、収まりきらなくなっていたのです。ならば処分すればよいものを、「もったいない」とか「愛着があるから」などと理由をつけて抱え込んでいたので、ものがあふれ出してしまい……。

いつか整理しなければならない日がくるとわかっていました。一人暮らしの私はそのタイミングを自分で決めなくてはいけないのだということも。

元気なうちに何とかしなければ、という気持ちが一気に高まったのは70歳の頃だったでしょうか。かくなるうえは家をコンパクトにしようと思い立ったのです。そうすれば、否も応もなくものを処分せざるをえないだろうと。

50代の頃に別荘として購入した熱海のマンションを終の棲家にしよう、ということは以前から決めていました。東京で暮らしていたマンションは50坪、熱海は43坪ですので、延床面積が極端に狭くなるというわけではなかったのです。

ただ、別荘として選んだ熱海の家はゆとりがテーマの和の空間。廊下が広いぶん、部屋の面積は狭く、来客用のお布団を入れるための押し入れはあっても、ウォークインクローゼットはありません。

いよいよ「断捨離」だと意気込み、さっそく引っ越し屋さんを手配して段ボールを届けてもらいました。しかも2ヵ月くらいかけて、自分一人で荷造りをしたのです。業者にお任せできるサービスがあるのは知っていましたが、あえて頼みませんでした。これはいる、これはいらないと選り分けることができるのは自分だけですから。

次々と湧いてくる収納や整理のアイデア


こうして私はミニマムな暮らしに切り替えることができた……はずでしたが、実のところ、ほとんどのものを熱海に運んでしまったのです(笑)。引っ越しの準備をしているうちに、あちらで収納してみなければどれくらいものを処分したらいいかわからない、と思いはじめて。

もとより収納や整理のアイデアを考えるのが好きなので、狭いスペースに収めることができるか挑戦してみよう、という気持ちもありました。

実際にあれこれと工夫をしながら新居を片づけていきました。友達に「天才だ」と言わしめたのが、和ダンスを並べた部屋。メジャー片手に考え抜いて、正方形の部屋の中央に、コの字型に3棹の和ダンスを納めました。同時に2つ以上のタンスの引き出しを開けることはできませんが、1棹ずつならすべての引き出しが開くという絶妙な配置です。計算通りにいったときの痛快な気分といったらありません。

逆に、どうもしっくりこないなと思うと気になって。布団の中で「そうだ!」とひらめくと、深夜にゴソゴソと起き出して模様替えをすることもあります。

周囲の人に「この家具を一人で動かしたの?」なんて驚かれてしまうのですが、実はコツがあるのです。家具の片側をぐっと持ち上げて絨毯の敷物を挟み込み、もう片側も同じようにしたら、あとは絨毯を引っ張るだけ。畳なのでスーッと滑るんですよ。

一番の問題は、ウォークインクローゼットに入れていた洋服や、収納部屋に押し込んでいたアルバムなどをどうするかでした。客間を潰すしか術がないと考えていた矢先に、たまたま我が家の隣が空いたので購入し、そちらはゲストハウス、こちらは自宅と分けることにしました。そして住まいのほうの茶室を、普段使わないものを収める納戸ではなく、いつも使うものを収めるための大きなクローゼットとすることにしたのです。

スペースは確保できたものの、整理整頓しながら収納するというのが至難の業でした。棚があれば整理がつくと考えましたが、作りつけだと融通が利きません。そこでホームセンターへ行って、発泡スチロールでできたブロックと、寸法どおりにカットしてもらった板を買ってきて、自分で作ることにしたのです。

一番下の段に重量のあるアルバムを並べて安定させ、次の段に本、その次の段には軽めのものを置き、一番上に帽子を重ねて収納しています。さらに洋服はキャスターつきのラックに吊るし、部屋に入るときはラックを動かしてスペースを作ることができるようにしました。完璧だわ、と自画自賛したりして。(笑)

ものを整理したらスッキリしたけれど


ここまできてやっと断捨離すべきものが明確になりました。不要というより、自分の変化を受け入れて諦めるという感覚です。たとえば10センチヒールのパンプスはもう履けません。それからサイズアウトしてしまった服などもありました。

どなたか使ってくださらないかしら? と思いましたが、人によって好みが違うので差し上げるのは難しい。とはいえ一度しか履いていない靴や、気に入っていた服をゴミ袋に入れるのは忍びない。どうしたものかと考えていたところ、テレビ局の小道具さんが快く引き取ってくださり、あれは本当に助かりました。

そのほかにもリサイクルショップへ持っていったり、人に頼んでネット上のフリーマーケットで売ってもらったり……。手放したものの中には大切にしていた食器などもありましたが、「残しておけばよかった」と後悔したことは一度もありません。

私が考える断捨離の極意は、未練を断ち切る「覚悟」と、ものを無駄にしないための労力を惜しまない「行動力」を備えることなのです。

確かにものを整理したら心もスッキリしました。でも、縮小する一方ではつまらないのも事実なのです。ですから私は欲しいものがあれば買うようにしています。「欲しいわ」と心が動くのは、もっと人生を楽しみたいという生命力の証。ものを増やしたくないからという理由で、自分のワクワクする気持ちに蓋をしてしまうのは本末転倒だという気がします。

もっとも、物欲の濃度や対象は年齢とともに移ろうもの。私は骨董品の器に凝っていた時期があって、少しずつ集めるのが無類の喜びでしたが、あるときを境にピタッと止みました。

結局のところ、使わず無用の長物と化してしまったものもありますが、「高かったのに」などと気に病むことはないですね。それを買うためにお仕事を頑張るとかして、欲しいものを手に入れたときのトキメキってあるでしょう? それだけで、ものは十分に役割を果たしてくれたと私は考えているのです。

相変わらず器には目がなくて、今もデパートの食器売り場へ行くと誘惑がいっぱい。友人を招いて、こんなお料理を盛って……と夢が膨らみます。でも「似たようなものを持っていなかったかしら?」と考えたりして、ずいぶんと冷静になりました。

改めて考えてみると、ものを買うという行為は人生の中のひとつの経験なのですよね。恋愛と同じように幸せを与えてくれる一方で落胆することもありますが、どんな経験も無駄ではないのです。私が物欲にブレーキをかけることができるのも、一通りのことを経験したからでしょう。

好きなように暮らせば生きる力が湧いてくる


都心を離れて熱海で暮らすというと終活かと思われてしまいそうですが、私の目的は第二の人生を謳歌するために環境を一新することでした。ひとつには「自分の時間を大切にしたい」というのがあります。

幸い私は元気なので、その元気を自分のために使いたいのです。希望どおり、熱海に移り住んでからフラダンスを始めたり、しばらく遠ざかっていた日本画を描くようにもなりました。

時間は有限であると意識すれば、自ずと物事の優先順位や合理性について考えるようにもなります。たとえば友人からお食事に誘われても、それだけのために東京まで行くことはしません。でもスケジュール的にほかの用事と組み合わせることができれば喜んで、という感じ。

心の通じた人とは、何年ぶりに再会してもたちまち打ち解けることができます。都心を離れ頻繁に会えなくなったからこそ、本当にご縁のある人が明確になったという側面もあるのです。

そしてもうひとつ、第二の人生の大テーマは「気持ちよく生きること」です。要となるのは暮らし方ですが、どうすることが自分にとって気持ちがいいのかは千差万別。正解がないだけに、「自分はどうなの?」と自問自答して、自分らしさを見失わないよう心掛けています。

気持ちよく暮らすためには掃除が欠かせません。毎日掃除機をかけ、窓を磨き、ベランダの落ち葉を掃いて、お布団を干すのでベランダの桟も拭いています。せっかちなので、庭の木に今にも落ちそうな枯れ葉があると先取りしてしまうほどです。

何でも自分でやらないと気が済まないという性格上、家政婦さんに頼らずにいるのですが、家事をしながら体を動かすことは私の運動法であり、健康のバロメーターでもあります。

自分のペースで自由に過ごせるのは一人暮らしの特権ですね。連れ合いのいる人生も素敵ですが、私は結婚しない人生を選んだのですから、孤独だという発想は手放し、一人を楽しまなくてはです。好きなように暮らし、気持ちがいいなと思えば自然と生きる気力が湧いてきます。

今がすべて。過去は振り返らず、未来を思い煩うことなくがモットーです。いつまで一人暮らしができるのかしら? 大切にしているものは最終的にどうなるのかしら? なんて考えはじめたら、今を楽しむことができなくなってしまうでしょう。「なるようになる」と気楽にとらえ、躍動的に生きていくと決めています。

婦人公論.jp

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