大谷翔平選手が結婚を発表!「ハリウッドスターのようなルックスと開花していく才能に人気は高まる一方だった」。ジャーナリストが日ハム入団から国際的な注目を集めるまでの道のりを振り返る

2024年2月29日(木)17時30分 婦人公論.jp


パリスさん「大谷にはドラマを生み出す力があり、それが観る者を惹きつける」(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

今シーズンよりドジャースに移籍した大谷翔平投手が2月29日、自身のインスタグラムで結婚を発表しました。「お相手は日本人女性です」という突然の報告に、日本列島は騒然。Xのトレンドに関連ワードが次々に上り、ニュースでは一斉に速報が流れるなど、さっそく大変な話題となっています。そこで今回、現地の一流ジャーナリストであるジェイ・パリスさんが大谷選手メジャーデビューの軌跡を振り返った記事を再配信いたします。パリスさんいわく「大谷にはドラマを生み出す力があり、それが観る者を惹きつける」そうで——。

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アマチュアからプロへ


北海道日本ハムファイターズは、大谷翔平を獲得した。背番号は、ダルビッシュ有がつけていた11番に決まった。

実際、日本ハムは大谷の入団で何を得ることになったのだろうか。

強豪校である花巻東高校出身の大谷は、3年生のときに岩手大会で何度も記録的な速球を投げ、スカウトたちを驚嘆させた。とはいえ、まだ完成された投手とは言いがたく、コントロール力、安定した球を投げるピッチングの精度などには課題があった。

「バッティングもできる普通の投手という感じだった」1994年から日本の野球界を分析し続けている共同通信社のジム・アレンは、大谷を客観的に評した。

春季キャンプでは投手のメニューだけでなく、ショートとしても練習を重ねた。そうすることで右腕を酷使せず、故障を避けるという狙いがあったようだ。

日本に残るという選択肢が正しかったことは、すぐに明らかになった。層の厚い日本のプロ野球界では、多くの新人と同じように大谷も好不調の波をやり過ごすことが可能となったのだ。それでも、この若き新人選手にはやはり光るものがあり、体も技術も今後さらに向上していくであろうことが予想された。

大谷のデビュー戦は2013年3月29日だった。開幕戦のその日、初打席は三振に終わったものの、埼玉西武ライオンズのエース岸孝之に対し、大谷は2安打1打点を上げた。

5月23日には初登板し、東京ヤクルトスワローズを相手に粘るが5回で2失点を喫する。そして7月10日にはプロ入り後初のホームランを放った。

1年目の大谷は打率.238、3本塁打という成績で、外野手としては54試合に出場した。しかし鋭いヒットを放つスタイルでツーベースヒットを15本記録した。なお、守備での7補殺はパ・リーグ3位である。

投手としても決して悪くはない1年だった。3試合で勝利投手となり、防御率は4.23、全13登板のうち先発は11登板、61と2/3イニングを投げた。

試合前のバッティング練習にも注目が集まっていた。今でもそうだが、当時から練習中にホームランを量産し、観ている者たちを圧倒していたのだ。

投打双方で起用した日本ハム


「毎晩、大谷のニュースが流れていたよ」とアレンは振り返る。

賛否両論の意見はあったものの、大谷と約束した通り、日本ハムは投打双方で彼を起用していた。


『大谷翔平 二刀流メジャーリーガー誕生の軌跡』(著:ジェイ・パリス、訳:関麻衣子/辰巳出版)

「大谷を打席に立たせることには批判も多かった。新人だし、.238の打率なんて大したことはないからね」とアレンは言う。

それでもファンにとって大谷は至宝であり、足首や頬骨の負傷による欠場があったにも関わらず、投票によってオールスター・ゲームに外野手で選出された。

球団は大谷が独特の選手であり、才能があることを確信していた。プロ1年目は派手な活躍がなくとも着実に歩んだ年であり、新人王の投票では則本昂大に大差をつけられて2位となったが、選んだ道は正しかったのだと本人も確信していた。

2年目は投手としての出番がより多くなり、24試合で先発、11勝4敗という結果を出す。9イニングの奪三振率10.4はトップレベルで、トータルで155と1/3イニングを投げて179奪三振という成績を残し、パ・リーグで3位となった。

当然ながら打者らは大谷の速球を受けるのを好まなかったし、特にストレートに見えて鋭く落ちるスプリットは彼らを苦しませた。

打者としての大谷はどうだったか。2年目も、もちろん打席には立っていた。打率は.274、10本塁打、31打点、OPS(出塁率+長打率)は.842という記録を残している。

ドラマを生み出す力


大谷にはドラマを生み出す力があり、それが観る者を惹きつける。2014年のオールスター・ゲームでは、162kmという、当時の最速記録を叩き出した。

レギュラー・シーズンの試合でも同様の記録を何度も出し、日本のプロ野球界ではマーク・クルーンと並ぶ速球の持ち主として名を馳せた。


2014年のオールスター・ゲームでは、162kmという、当時の最速記録を叩き出した(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

15投球中8球が160km超えという、驚異の記録も出している。

ハリウッドスターのようなルックスと開花していく才能に、大谷の人気は高まる一方だった。落ち着いた態度、礼儀正しさ、個人よりも常にチームを最優先する姿勢などもまた、彼が多くの人々から愛される理由だった。

さらに、日本のプロ野球界の投手らとは異なるスキルを持つことにも注目されていた。

多くの日本人投手は、スピードは控えめでも、打者の意表をつくような球を得意としている。

ところが193センチの長身である大谷はパワー型の投手で、その体躯から繰り出される投球は160kmを超える。

持ち味の「飛距離の長いホームラン」


また、日本人の打者は内野にとどまるシングルヒットが多く、守備をかいくぐって外野に球が出れば御の字とされる傾向がある。

大谷もそういった球は打てるのだが、なんといっても彼の持ち味はその筋力から生み出される飛距離の長いホームランで、試合でもバッティング練習でもそれを見せてくれる。

2014年9月7日には対オリックス・バファローズ戦で10号ホームランを放ち、2桁勝利と2桁ホームランの達成という、1918年のベーブ・ルース以来の偉業を達成し、当然ながら日本人としては初の快挙となった。

この年の日米野球で、大谷は侍ジャパンに選出され、MLBオールスターズとの5試合において輝きを見せた。

第1試合での登板では無失点に抑え、結果チームは2─0で勝利する。第5試合は日本ハムの本拠地である札幌ドームで行われ、大谷は先発投手として出場した。4イニングを投げ、7奪三振するも敗戦に終わったが、160kmに迫る剛速球と鋭く落ちるスプリットは圧巻だった。

日米野球に出場してメジャーリーグのトップ選手と対戦したことで、大谷の知名度は上がることになる。二刀流をこなす日本人選手、大谷翔平の存在に、国際的な注目が集まるようになってきたのだ。

※本稿は、『大谷翔平 二刀流メジャーリーガー誕生の軌跡』(辰巳出版)の一部を再編集したものです。

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