長谷直美×東てる美×松平直子「3人そろって67歳、離婚も病も乗り越えて、怖いもの知らずの私たち。まだまだこれから!」
2024年3月11日(月)12時0分 婦人公論.jp
左から長谷さん、東さん、松平さん(撮影◎本社 奥西義和)
2024年3月26日夜。銀座のおしゃれなスポットで、3人組のライブが開催される。タイトルは「いつまでたってもDREAMGIRLS」。出演するのは、長谷直美、東てる美、松平直子の3人。女優、歌手など活躍の場は違う彼女たちだが、全員67歳ということがわかってから、ぐんと距離が縮まったという。昭和からバブル期、平成、令和、そしてコロナも乗り越えた同い年トリオが送る前代未聞のバラエティライブショー。3人3様の半生とともに、どんなステージになるのか、会場の「BASE GRANBELL」で話を聞いた。
構成◎吉田明美 撮影◎本社 奥西義和
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3人が集まるようになったきっかけ
松平 この3人が集まるようになったのは、実は最近よね。きっかけは私かな?
直美ちゃんと私は一時事務所が同じだったので、自然に仲良くなっていた。
長谷 私のライブにゲスト出演してくれたり、一緒にイベントに出たりしてたね。
松平 そしててる美ちゃんとは共通の知人を通して、20年ぐらい前に知り合ったのかな? 一緒にカラオケに行ったりして。
東 カラオケ! 一時よく行ったわね。私、暗い歌しか歌わなかったけど。(笑)
松平 それで、私のライブにお2人を招待して、お2人を引き合わせたんだけど…。実はその前に2人は会ってたのよね。
東 そう。私と直美ちゃんは50年ぐらい前に仕事しているの。クイズ番組『ズバリ!当てましょう』の収録で島根に行ったとき、一緒に出演したのよ。
長谷 私は全然覚えてない…(笑)。行ったような気がするけど。
東 その時、私、両親を連れて収録に行ったのでよく覚えてる。その時、値段を当てていただいたテーブルは、今でもまだ使ってるのよ。
長谷 え?あのリビングにあったテーブル?
東 そうそう。でも、2人とも10代のころはあまりにも忙しかったから、そのまま途切れちゃったのね。直子ちゃんのライブで改めてご挨拶して、それから私の舞台を2人に観に来てもらったりして…。
松平 それで私の遊び仲間をご紹介したんだけど、これが浅草の旦那衆で面白いのよね。
長谷 てる美ちゃんのお嬢さんも仲間になってるし。
東 直美ちゃんは、私より私の娘と先に遊んでたわね。
松平 その浅草の旦那衆が主催するイベントに3人で呼ばれることになって、そこで初めてゆっくり話すことができたのよね。コロナの真っ最中。
長谷 同い年だっていうことがわかって、本当に盛り上がったね。業界ではなかなか同い年はいなかったし。
仲良くなった理由
松平直子 ペドロ&カプリシャスの三代目ボーカリストとして1978年より32年活動。海外アーティストとのジョイントも多く、国内のみならず、サンフランシスコ、メキシコ、キューバ、韓国など海外でもライブコンサートを開催(撮影◎本社 奥西義和)
松平 3人の性格がバラバラなのも、仲良くなった理由かも。タイプが全然違うよね。てる美ちゃんは、テレビのイメージと全然違って、おっとりしてるし…。
長谷 おっとりというより、ボーッとしてる。(笑)
東 細かいことは気にしないだけよ。
松平 直美ちゃんは、そのままとっても男前。ナチュラルで、自由で、でもとっても気を遣ってくれる。
長谷 直子ちゃんは、面倒見がいいし、この中では年下だけど、頼りになるおねえさんって感じね。顔の広さもすごいしね。
松平 てる美ちゃんが、お料理がとっても上手なのは驚いたわ。直美ちゃんと2人で初めててる美ちゃんのお宅にお邪魔したとき、手料理をふるまってくれて…。おいしかった〜〜。私はお酒が飲めないんだけど、2人ともけっこう飲んでたわよね。
長谷 はい、いただきました(笑)。そして初めてお邪魔したのに、お泊まりしちゃった!
東 ちゃんと別部屋で寝てっていうのに、直美ちゃんはソファで着替えもせずに寝ちゃって、翌朝、こっそり帰っていった。(笑)
長谷 この年になってそんなことするなんて、思ってもみなかった。いや、どこでも寝てるわけじゃないけどね。(笑)
東 この年齢から気のおけない仲間ができるのは、本当にうれしいことだとつくづく感じるわ。
松平 そこで、3人でなんかやれたら面白いねという話が出たら盛り上がっちゃって…。
東 話だけ盛り上がることはよくあるけど、なんかとんとん拍子で実現することになったのは、びっくり。
松平 同い年だけど、生まれ月の順に直美ちゃん、てる美ちゃん、私って並ぶことにもだいぶ慣れてきたわ。
——同い年の3人が芸能界に入ったきっかけはそれぞれ。しかし、共通しているのは、3人とも「芸能界に憧れて、芸能界でのし上がっていきたい」という確固たる野望を抱いていたわけではないということ。最もデビューが早かったのは、長谷直美だった。
長谷 私は中学時代からアルバイトみたいな感じでモデルをしていた。あまり深く考えないまま「かわいいね〜」なんて言われているうちに、なんとなく本業になってきちゃった。きっかけはミス.エールフランスのコンテストだけど、なんだかいつの間にか芸能界入りしていたっていう感覚ね。事務所にガッチリ抱え込まれるのではなくて、ずっと自由にさせてもらっていたので、「野放しのアイドル」なんて言われてたわ。(笑)
アクション女優として一世を風靡
長谷直美 ミス.エールフランスコンテストでスカウトされ芸能活動を開始、歌手デビュー。長らく女優として活動したが、1995年結婚を機に活動を休止。18年間のフランス生活、イギリス演劇学校留学を経て帰国後、映画や舞台にて女優活動を再開(撮影◎本社 奥西義和)
東 直美ちゃんは今でも野生よね。1人で自由に生きてる感じ。(笑)
松平 アクション女優として一世を風靡したのは今でも強烈に覚えてるわ。
長谷 作品には恵まれたかもしれない。『太陽にほえろ』も楽しい収録だったし。
てる美ちゃんも、アルバイト感覚でこの仕事を始めたんでしょ?
東 私は、オイルショックで実家が没落しちゃって、なんとか自分の高校の授業料を自分で稼ぎたいと思ったわけ。でも、当時の高校生の時給って180円ぐらいだったのよ。スナック勤めだと600円。で、そんなときに知り合いから、舞台に出て踊ってくれれば1日8000円って言われた。17歳でわけわかんないし、じゃあ行きますと返事をして名古屋に連れていかれたら、そこはストリップ劇場だったのね。着物着て、胸を少しはだけて、なんて言われて…。
松平 17歳って…。今ならやばいわね。怖くなかったの?
東 私、その頃から度胸だけはあったのよね。知り合いもいなかったし、ここは言うこときいて、おっぱい出すぐらいいいや、なんて思っちゃった。そしたら来月は福岡だよ、なんて、どんどん仕事が来たの。そして、あれよあれよという間に日活の映画に出ることになっちゃいました。…って、このへんのことを話すと3日ぐらいかかるんだけどね。(笑)
長谷 本当に度胸があるわ。でもお嬢さんが多い私立でしょ?高校にばれたら退学になりそう。
東 そうなのよ。絶対に高校には内緒で、とにかくお金がほしくてがんばったの。
そしたらある時、映画のプロデューサーから、私の通っている高校の先生から連絡があったって聞いたのよ。
松平 ついにばれた?
東 その先生、普段はめちゃくちゃ怖くて、私は1度も口をきいたことがなかったんだけど、彼が私の出ている映画を観て、プロデューサーに「自分は東てる美が通う女子高の教員で、女学生の実態に詳しいからぜひ脚本を書かせてくれ」って売り込んだらしいの!
長谷 え〜〜〜〜!そっち??(笑)
東 それに、私に会いたいって言ってきた。卒業まであと3ヵ月のころだったかな。私は、会う気がしなくてそのまま卒業した。そしたら、数ヵ月後、その先生の脚本の作品ができたとプロデューサーが教えてくれたんだけど、タイトルは『むれむれ女子大生』!(笑)
松平 てる美ちゃんが、その先生の人生を変えちゃったわね。(笑)
長谷 でもそのままピンク映画で終わらなかったのが、てる美ちゃんのすごいところよね。
アルバイトからいつの間にか
東 当時のストリップ劇場に出ていた人たちって、テレビに出るとか映画に出るなんてまったく考えてもいない別世界だったのよ。だから私も何も考えていなかった。でも、あるとき、機会をいただいて金ドラに1クール出演したの。TBSのプロデューサーだった鴨下信一さんが私を見つけてくれて、石井ふく子さんにもつながり、東芝日曜劇場にも出られるようになったのは、今にして思えば本当に幸せなことだったわ。あのまま終わっていても仕方なかったし…。
松平 プロの女優になったわけね!
東 いやあ、どこまでアルバイトでどこから本業になったのか、実は今でもわからないぐらい。鴨下信一さんって、あとから怖い方だって知ったけれど、私ってそのころ反抗ばかりしてた…。プロ意識は完全に欠落していたの。
長谷 アルバイトからいつの間にか芸能界に入っていた、っていう感覚、私もわかるわ。
東 連続ドラマに出ていて、前回の続きのシーンの収録なのに、マニキュアの色を変えたり、髪型を変えちゃったりして…。「私はこの色が好きなんです!」「この髪型の気分なんです!」なんて堂々と言ってたのよ。
長谷 それはひどい!私も女優の自覚はなくて、自由な野生児と思われていたけれど、そこまでじゃなかったな。(笑)
東 直子ちゃんは、私たちみたいな遊び感覚じゃなくて、最初から歌手を目指してたのよね。
松平 私は短大に通いながら、卒業後はCAになりたいと思っていたの。でも一方で歌が、特に洋楽が好きで、歌う場所があれば歌いたいとは思っていて、ライブハウスにちょこちょこ出たりして…。
松平直子さん、22歳初グラビア撮影
東 私たちの時代って、音楽的に本当に恵まれたいい時代だったわよね。洋楽が一斉に入ってきて、小学生の時はグループサウンズ全盛だもん!
長谷 アイドルもどんどん出てきたし、高度経済成長の中で音楽はどんどん生活に入り込んできた時代よね。
松平 そうそう。一番幸せな時代だったわよね。そんな中で、私はいきなりぽんと21歳で、ペドロ&カプリシャスに入っちゃったから、ラッキーだった。
長谷 でも、プレッシャーもあったでしょう?
松平 もちろん! だって先輩の前野曜子さんや高橋真梨子さんがすごすぎて、比べられるのはつらかった。それに、ペドロ&カプリシャスって本当に超人気のグループだったから、そこのボーカルってみんなのあこがれのポジションだった。ライブハウスやディスコで歌っているボーカリストたちみんなが狙ってたと思う。
東 その座を直ちゃんが射止めたわけね。
松平 それがね。短大1年のときに、はかま満緒さんのプロダクションに所属していたんだけど、ある日ライブに出演したときに、たまたまエキストラで入っていたロックバンドのリーダーと、ペドロ&カプリシャスのリーダーのペドロ梅村さんが親友で、私の歌を聴いてくれて、その後、高橋真梨子さんがソロになるタイミングでペドロさんから声をかけてもらったの。だから、あまり「売れっ子の歌手になりたい!」という強い願望もないまま楽しく歌っているうちに、ペドロ&カプリシャスのボーカルとしてのオファーが舞い込んできた感じだった。
幸せに生きてきた
東てる美 実践女子学園高等学校卒業後、映画、TV、芝居の道に進む。映画最新作『おしょりん』、TV代表作は NHK『おしん』『おんな太閤記』『春日局』『徳川家康』『ゲゲゲの女房』、 TBS『渡る世間は鬼ばかり』など。2024年で芸歴50年(撮影◎本社 奥西義和)
長谷 でも、直ちゃんが、結局、ペドロ&カプリシャスの中で一番長くボーカルを務めたものね。すごいわ。
松平 初代の前野曜子さんは2年、高橋真梨子さんは6年で、私は32年!実は6年目に1度、やめてソロに転向したんだけど、事務所から戻ってきてくれって言われて、ソロ活動を並行してやってもいいという条件で出戻った(笑)。それからはペドロ&カプリシャスの名曲を歌い継いでいくことが私の使命かなあと感じながら続けてきた感じ。2011年に、もうやりきった感を感じこれからはソロとして独立しようと思い卒業しました。
——ともに昭和31年生まれの3人。デビュー直後から昭和を駆け抜け、30代前半でバブル期を経験。そして平成のバブル崩壊。大震災。そして令和のパンデミックと歴史とともに歩んできた。
長谷 私たちって、戦争も知らないし、ちょっと前の世代の学生運動も下火になっていて、しらけ世代なんて呼ばれたこともあったけど、平和で幸せに生きてきたわよね。
松平 なんといっても、30代前半にバブルを経験しているしね。一番お金を使いたいときにバブルって、幸せなことよね。
長谷 ディスコはもう卒業してたけどね。
松平 よくゲイバーで遊んだわ。京都で芸妓さんたちとお座敷で遊ばせてもらったり。贅沢な時代だったね。
東 私は29歳で子どもを産んでちょうど子育てしてたから、あまり自分が遊んだという感覚はないかな? でも4歳の娘を連れて豪華客船に乗ったわ。
長谷 私は、株で儲けて、ファーストクラスで世界一周のひとり旅をした!
東 松平 え〜〜〜?? 世界一周ひとり旅??!
長谷 ニューヨークからパリはコンコルドに乗っちゃった! 乗ったとたんに3人ぐらいのCAさんにアテンドされて、いきなりシャンパンよ! でもお客が3人ぐらいしか乗ってないの。 (笑)
東 直美ちゃん、やっぱり野生だわ!(笑)
長谷 私たち、幸せな時代に生きてはいるけど、男運は悪いわね。(笑)
東 そうね。みんな最初の結婚は失敗してる(笑)。私の最初の結婚相手は、もともとマネージャーだった人で、23歳年上だった。私、実父が13歳で亡くなっているので、ファザコンだったんだと思う。付き合う人はいつもかなり年上だったの。
長谷 もうテレビに出ていたころに結婚したの?
恋多き女
東 そうそう。テレビに出るなんて考えていなかったので、彼が引き上げてくれたのはとてもうれしかったんだけど、まさか自分が子どもを産むとは思っていなかった。ただ30歳を前にして、母に孫の顔を見せてあげたくなっちゃったのよね。それで29歳の自分の誕生日と同じ日に娘を授かったら、これがかわいくて子育てを楽しんでた。
若かりし頃の東てる美さん
松平 彼は初婚だったの?
東 いえいえなんと4回目の結婚!私と別れてからまた結婚したみたいだから通算5回!
長谷 もてる人だったのね。
東 遊ぶのが大好きな人だったの。お金持ちだったし、男だったらあんな風に遊びたいと思うだろうなと思って私は別にそれを咎めたりはしなかったのよ。
松平 じゃあ、なんで…?
東 自分は遊ぶのに、私に対する束縛が半端なかった!
長谷 松平 あ〜〜、なるほど〜〜。
東 37歳のとき、私、この人と一緒にいたら40歳になれないなと感じた。こんなに束縛されるのはもうまっぴら。いっぱいいっぱいだった。離婚を切り出したら彼は強気でまったく本気にしていなかった。1人になったら、何もできないと思われていたんだと思う。でも、本気にはしなかったけど、お互いに離婚届にサインして、夜中に区役所に出しにいった。そして、翌日、2人でそろって取り下げに行けば、離婚届けは無効になるということを知っていて、2人で取り下げに行ったの。そんな茶番を2回繰り返して、3回目に本当に提出して離婚が成立。
松平 今のお相手は、とっても穏やかでいい方よね〜〜。おうちにお邪魔したときに、かきあげを作ってくれちゃって…。いい人と巡り合ったんだから、結果オーライよ。
長谷 直子ちゃんは恋多き女よね。(笑)
松平 私は今、3回目の結婚中です(笑)。1度目は、いわゆる年下の青年実業家で六本木でお店を経営している人だった。男気のある良い人だったけど、仕事柄お酒を凄く飲んで…。色々あったけど6年で離婚。2度目は、8歳年下の音楽家で、ご両親がとってもいい方たちで、私を娘のようにかわいがってくれたんだけど、彼自身がパニック障害を発症して、日常生活が営めないぐらい重く、1人で電車にも乗れず、隣に信頼してくれる人が乗っている車を自分で運転して移動するしかない。エレベーターにも乗れず、狭い部屋も無理。家のトイレやお風呂もドアを開けて入ってた。食事も嚥下困難があったから、私がすべて手作りして…。
東 彼の仕事の現場への送り迎えも全部やってたってことよね。
松平 ちょっと買い物に、と自分だけ家を出ることもできなかった。私も強かったから耐えられたんだと思うけど、6年経ったころから、私自身の体調が悪くなってきた。彼の症状も重くなっていって、当たりどころがないので私に当たるし、これはもう一緒にいられないなと…。そのころにまた出会いがあった。
長谷 恋多き女だからね。(笑)
一生の中で一番勉強した
松平 離婚して最初のお正月に、お義母さんから1人用のおせち料理が届いたときには涙が出たわ。でも、今は彼の症状も落ち着いているらしくて、いい友人関係になってる。ちなみに1人目の彼ともいい友だち付き合いができてるの。
東 2度目の離婚のときに好きになった人が今のご主人?
松平 いやいや、別の人。お互いに強くて、似すぎていてぶつかるので、一緒にはなれなかった。好きなのでつらかったけど…。今の夫は5歳年上なんだけど、「君はどうして子どもを産まないの?」って聞いてきたの。産みなさい…。この言葉は私にとってはうれしかった。それで3回目の結婚に踏み切っちゃった。
長谷 いい話だね。私の場合は、パリに住んでいたレーシングチームのオーナーとの遠距離恋愛だったのが、娘ができたことで芸能界を引退して、パリに移住。そこからどっぷり専業主婦生活に入っていた。39歳のときのこと。
東 潔くパリに行っちゃうところが直美ちゃんらしいよね。
松平 男前な生き方ね。
長谷 慣れない町で、フランス語を覚えながら娘を育てていて、それなりに楽しかったんだけど、彼が糖尿病になったのよ。
東 それで離婚?
長谷 いやいや、糖尿病になったのに節制もしないし、一応家族のために生命保険に入っておいてと話したら、彼、きょとんとして「どうして僕が死んだあとにお金を残さなきゃいけないの?」と…。それを聞いて、さーっと私の中で何かが冷めた。それからはいつかは離婚すると思いながら暮らしてたの。
東 娘さんのためにがまんしたのね。
長谷 娘が高校生になったタイミングで離婚を切り出したんだけど、てる美ちゃんのところと同じでまったく本気にしてくれない。専業主婦の私は何もできないと思われていたのよね。しかも、日本から離婚届を取り寄せて「ここにお前の名前を書いておけ、俺が預かっておいてやる」と…。はぁ? 冗談じゃない。どうして私だけが離婚届けにサインして、あなたは書かずに預かるの? あなたもちゃんと書きなさいよ!と迫って、その日が離婚記念日よ。
長谷直美さん18歳、50年前の写真
東 お嬢さんを置いてきたのはつらかったよね。
長谷 娘はずっとパリで育っているから、パパといる、日本にはいきたくないと…。仕方なく親権は彼に渡したんだけど、私は、彼が今に死んじゃうと思っていたのね。それでいずれ娘は私のもとに来る。それまでに私がちゃんと生活できるようにしておかなくては、と、自分で何ができるか考え、やっぱり女優しかできないと思った。そこで日本に帰らず、ロンドンの演劇学校で芝居の勉強をし直すことにしたの。頭が熱でショートしそうになるくなるくらい勉強したわよ。一生の中で一番勉強したのがあの時期だと思う。本当によくがんばったな、私。
東 シェイクスピアなど古典劇を演じることができる国家資格のレベル8も取得して、堂々と女優に復帰したんだからたいしたもんよ。
松平 この年になると、いろいろあるけど、体に気を付けて元気でいないとね。
東 私は5年前に、肺腺がんが見つかった。仲良しの渡辺絵美ちゃんが出演した健康番組に「友達と焼肉を食べる」という絵作りで出演したの。その時に番組の方に「東さんもよかったら」と誘われ、「心臓」の回に出演、そこで見つけてもらったの。自覚症状もなかったしステージ1だったから内視鏡で手術したんだけど、リンパ節にも少し転移しているということで、抗がん剤治療を始めたのね。そしたら、体調が悪くて悪くて…。髪の毛が抜けるのはいいとして、味覚障害や耳鳴りがひどくて、途中でギブアップ。「死ぬかもしれないけどこのままだと副作用でおかしくなるからやめていい?」と娘にも話して、2クールでやめちゃった。その後、1年に1度検診に行ってるけど、今のところ元気よ。
シリーズ化できるように
長谷 私も番組の中で大腸がんを見つけてもらった。やはり早期発見だったからよかったわ。がんって早期発見すればちゃんと治る病気だからね。年に1度、娘に会いにパリにも行けるし、生活を楽しんでるわ。
松平 この年になるとよけい、仕事があってよかったなと思えるわね。
東 でも、今度のライブは、直子ちゃんは歌のスペシャリストだし、直美ちゃんもライブを経験しているけど、私は…。
長谷 そういうこと、言わないの! ちゃんとできるから!
松平 そうそう。女優さんって、歌に表現力があるから、いいステージになると思う。
東 これまでライブをやるとしても、私のファンの方の前だけだったけど、今回は私を知らない方もいるわけで、ちょっと緊張してるのよ。
松平 それぞれ個人パートのステージと、私たち3人のトークや一緒に歌う場面などなどみなさんに楽しんでもらえる構成になっているから、ぜひこの素敵な空間で酔いしれてほしいわね。
長谷 直子ちゃんって、本当にしっかり者よね。私たちをしっかりリードしてくれるし、任せて安心!
松平 はい。まかせてちょうだい。高校時代、超強豪校の剣道部で大将として鍛えた実績でちゃんと2人をリードするわよ!(笑) 直美ちゃんの選んだ「他人の関係」、てる美ちゃんの「人形の家」も楽しみにしているからね!
東 私、暗い歌しか歌えないから。(笑)
長谷 怖いもの知らずの私たち。どんなライブになるか、私たちにもわからないわ。
松平 これをシリーズ化できるように、3人でがんばろう。
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