伊藤比呂美「ホットカーペットに溶ける」

2024年3月15日(金)12時30分 婦人公論.jp


(画=一ノ関圭)

詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬3匹(クレイマー、チトー、ニコ)、猫2匹(メイ、テイラー)と暮らす日常を綴ります。今回は「ホットカーペットに溶ける」。この冬、寒さ対策でまず出したのがホットカーペットだったそうで——(画=一ノ関圭)

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今、この家の中は植物だらけ(動物だらけなのは前から)。

熊本の冬は温暖だ。でも数年に一度の割合で寒い冬が来る。二〇二一年がそうだった。零下五度まで下がった。そしてうちの植物たちはほとんどが熱帯原産の鉢植えなので、生き延びられないのだった。ところが熊本の夏は、いや春も秋も、かれらの故郷みたいな温度と湿度だから、外でもかまわない。あたしはばんばん外に出す。それでみんな元気を取り戻し、温暖な冬ならそのまま越せる。そのうちに鉢から根が生えちゃったりするのである。

二〇二一年、零下五度の予報を見て、あたしは焦ってホームセンターに行き、簡易温室セットを買ってきて組み立てた。超特大のビニール袋を買ってきて、温室に入らない大鉢や根の生えたやつにすっぽりかぶせた。シェフレラ、ツピダンサス、ウンベラータ、パキラ、カシワバゴム、ポトスにクワズイモにモンステラ。で、みんな枯れたのだった。

温室に入れ忘れたフィロデンドロン・クッカバラは予想通り寒さにやられて、葉という葉が枯れたのだが、春になったらまた出てきた。ところが簡易温室とビニール袋で保護したのは全滅し、一つも蘇ってこなかった。

つまり、風通しである。

室内園芸で一番大切なのは一に風通し、二に風通し、三四が水やりと日当たりで、五に風通し。弱ったら外に出して、風通しのいい明るい日陰に置くだけで元気になる。

この冬はそこまで寒くないが、十二月に秋からいきなり冬になり、気温ががっくり下がった日々があった。それで植物たちをいっきに中に取り込んだので、園芸店の倉庫ですかというくらい混雑している。その上、そこに今年は、ホットカーペットを出した。元野犬のチトーの破壊衝動をおそれて、二年間出してなかった。しかしチトーももう三歳だ。ここ数か月は何も壊さずに生きている。

ところがホットカーペット、出してみたら、チトーの手を(口を)借りるまでもなく壊れていたのであった。強さの調節ができなくなっていて、つねに最強の出力で暖めるしかなくなっていた。……人生みたいだ。しかし、これはかなり危ない。

昔、恩師が火事で亡くなった。ほんとにお世話になった師であった。火事の原因は古い延長コードの漏電だった。そのとき以来、あたしは漏電にひどくうるさい。延長コードはなるべく使わない。使うときは、プラグはまがってないか、熱くならないか等点検を怠らない。数年に一度買い換える──。

枝元の家の延長コードは古いから、ときどき使えてときどき使えない。それであたしは枝元んちに行くたびに口をすっぱくして言ってるのだが、灯台もと暗しのカチカチ山であったのだったった。

実は、あたしの愛用しているオイルヒーターもちょっと危ない。

この間、洗濯した毛布をその上にかけて乾かした。あっという間に乾いたから、こりゃいいと思ってもう一枚。そしたらなんか臭うのですよ、家の中が。気がついたときにはかなり臭くて、つまり濡れた毛布が調節つまみにかぶさって、熱を持って、調節つまみがすっかり溶けてしまっていた。その結果、オイルヒーターも、最強で暖めるしかできなくなってしまったのだったった。

枝元に報告したら、容赦なく「バカだねーー」と言われた。まったく穴があったら入りたかった。「もう捨てなよ?」と言われたけど、まだ捨ててない。

しかし、普段は殺伐として、歩くしかない板の間なのに、カーペットが敷いてあるだけで、そしてそれが暖かいだけで、なんでこんなにごろりとして、手足を伸ばそうという気になるのだろう。

猫たちは全身を弛緩させて溶けている。

あたしが老犬ニコを抱えてごろりとする。するとテイラーがのそりと来る。そして至近距離にどたりと横になるから、その手や足をひっぱったり、腰を揉んでやったり、反撃されてかみつかれたりして遊んでいると、メイがのそりと来る。

老犬ニコ、誰ぢゃと思う読者も多かろう。カリフォルニアに残してきた犬だ。十一月に念願の呼び寄せがかない、今ここにいる。

この頃、猫たちが変わった。かれらももう四歳だ。仔猫だったときの、宇宙人と暮らしてるような、猫じゃらしで遊ぶときはおもしろいけど、後はコミュニケーションが取れないというような、あの不思議な感じがなくなった。いつもあたしのそばで、いつもあたしのことを見ていて、ずっとあたしといっしょに生きていきたいと思っているように、人臭くなった。

メイはつねにどっしり構えて、動物たちの頂点がクレイマーだとしたら、家のすみずみに気を配って守ってくれる執事みたいな存在になってるし、テイラーはすごいおしゃべりで、間断なくあたしに話しかけてくる。

そもそも犬も猫も、声というものをあまり出さないから、テイラーは、よく声を出す動物(あたし)に向かって、わざわざあたしの使う言葉(それが声)を使って話しかけてくれてるのかもしれない。

なんてことを考えながら、あたしはカーペットの上で大の字になる。

ニコは穏やかに眠っている。クレイマーは犬用ソファに寝そべって、あたしから声をかけられるのを待っている。チトーは野犬だったことなんてすっかり忘れたみたいに、しっぽをぶんぶん振りながら、遊んでくれるものはいないかと、御用聞きみたいに一匹ずつ聞いてまわっている。

婦人公論.jp

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