「富岡製糸場」管理費用は多額でも、来場者数はピークの1/3以下…。<世界遺産登録は万能の妙薬>という誤解 アレックス・カー×清野由美

2024年3月22日(金)12時0分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

新型コロナで減った訪日外国人観光客も今や急回復。日本政府観光局(JNTO)によれば、2023年10月の訪日客数は、コロナ流行前の19年同月を既に上回ったそう。しかしその急増により、混雑などのトラブルが再び散見しています。「オーバーツーリズム」という言葉も今や広く知られるようになりましたが、実際その影響に悩まされている日本に足りないものとは? 作家で古民家再生をプロデュースするアレックス・カー氏とジャーナリスト・清野由美氏が建設的な解決策を記した『観光亡国論』をもとに、その解決策を探ります。

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「ユネスコサイド」とは何か


英語に「cide(サイド)」という接尾辞があります。「herbicide(ハービサイド=除草剤)」「genocide(ジェノサイド=集団殺戮)」など、概ね「殺す」ことを意味していますが、最近のヨーロッパや東南アジアでは、ユネスコの世界遺産登録を受けて、急な観光ラッシュで苦しむ場所を「ユネスコサイド」という言い回しで表現するようになっています。

世界遺産に登録されて世界中から観光客が集まるようになった後に、的確なコントロールを怠れば、その途端、町に観光客目当てのゲストハウス、ホテル、店が立ち並ぶようになります。

そうなると、昔からある景観や文化的環境が薄れてしまいますし、観光スポットだけでなく、住民が大切にしてきた場所まで、ネガティブに発信されてしまいかねません。

そのプロセスは、町に観光客が増えることで、昔からあった店がなくなり、金儲けをあてこんで遠くからやってきた土産物屋だらけになる「稚拙な」商店街と同じです。

たとえば中国雲南省の世界遺産の町、麗江では、かつては先住の少数民族、ナシ族が旧市街で昔ながらの生活を営んでいました。

しかし観光地としての知名度が上がるにつれ、旧市街に北京や上海の業者が進出し、大量生産された土産物を販売するようになりました。世界中から来る観光客で表面上は賑わってはいますが、もともと旧市街に住んでいたナシ族の人たちは減り、町は本来の姿を失って、空洞化しています。

世界遺産登録は「妙薬」ではない


ユネスコサイドの流れは4段階を踏んで進みます。

1、世界遺産に登録される、あるいは登録運動が起こる。
2、観光客が押し寄せて遺産をゆっくり味わえなくなる。
3、周辺に店や宿泊施設が乱立して景観がダメになる。
4、登録地の本来の価値が変質する。

そして、場合によっては最後にもう一つの段階が加わります。

5、一時、流行った後、客が急激に減り、観光を期待した町が苦戦する。


『観光亡国論』(著:アレックス・カー、清野由美 中公新書ラクレ)

日本では、ユネスコによる世界遺産登録を、地方を甦らせるための「万能の妙薬」のごとく、とかくありがたがる風潮があります。

しかし実際は、ユネスコによる世界遺産登録がうわさされただけで、人々が押し寄せ、管理が行き届かなくなる事態が生まれており、さらにはそうした人たちが一気に増えたり減ったりすることで、地域がダメージを被る、という問題まで起きているのです。

富岡製糸場来場者数の推移


観光振興をテーマにしたある集まりで、群馬県から来た人と話す機会がありました。群馬にある世界遺産といえば、2014年に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」が有名です。

観光客が大勢並んでいるニュースを見ていましたので、「世界遺産に登録されたらされたで、大変なことですね」と話しかけたところ、相手の方からは「いや、もう熱は冷めました」と意外な返事が返ってきました。

事実、『読売新聞』の記事(2018年6月25日朝刊)によると、富岡製糸場は世界遺産に登録された14年、年間133万7720人もの来場者がありましたが、2年後の16年度にはそこから4割減少し、17年にはついに半数以下に落ち込んだそうです。

富岡市の発表によると、その後、コロナ禍の20年度には17万人台までさらに落ち込み、そこから22年度に31万人ほどまで持ち返したものの、ピーク時に比べるとなかなか厳しい状況と思われます。

人口約5万人の富岡市にとって、富岡製糸場が持つ観光的な価値は財政面でも地域維持の面でも大変に重要です。一方で世界遺産登録を維持するため、その修復・管理にかかる費用はこの先10年で100億円にも上るとされています。それなのに、その原資となる入場者数が下降線を描いていることで、目算が大きく狂い始めているのです。

世界遺産登録の本来の意味


富岡製糸場の事例を踏まえて言いたいのは、自分たちの町、地域の遺産をいかに観光のために整備できるか、より総括的に考える必要があるということ。もしくは世界遺産への登録が、本当の意味で観光振興につながるのか。

地元の人たちや関係者たちが、それらの問いを吟味した先に、世界遺産登録の本来の意味は生じます。

そこを詰めないまま、「世界遺産登録=観光客誘致の切り札」と短絡させるだけでは、物見遊山的にやってきて、「失望した」と文句を拡散する人を増やすだけです。

日本人が大切に守ってきた場所ならば、世界のブランドに頼る前に「日本が認めた」「自分たちが大切にしている」という視点を、今一度磨いていくべきでしょう。

※本稿は、『観光亡国論』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

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