広岡達朗「結果に満足してほしくなかった石毛宏典を挑発。あえてライバルを丁寧に指導して…」合氣道家・藤平信一が探る<妥協させない指導法>

2024年4月2日(火)12時0分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

どんな仕事もスポーツも勝って成果を上げるためには、妥協せず自分を追い込むほどの厳しさが欠かせません。一方でハラスメントを恐れるあまり、「ぶれなさ」「必死さ」を次の世代にうまく伝えられないリーダーが増えているのではないでしょうか。国内外の経営者が師事する「心身統一合氣道会」会長藤平信一氏のもとにも、指導者の悩みが多く寄せられています。厳しさとハラスメントの根本的な違いは何なのか?多くのリーダーを見てきた藤平氏が広岡達朗さんとの対話をもとに語ります。

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稽古より掃除の時間が長い


別の記事で触れた九重親方(元大関・千代大海)とのお話の中で、私の修行時代にもぴったり当てはまることが、いくつもありました。
「稽古より、掃除の時間のほうが長い」というのは、その典型です。
こんなことがありました。私がまだ20代前半の頃の話です。
「掃除なんて合氣道と関係ないのに」と思って、嫌々やっていたら、師匠に呼び出されて、「お前、掃除なんて合氣道と関係ないと思ってるだろ?」と、ズバリ言い当てられました。
「そんなことありません」と取り繕ったのですが、「うそをつくな。顔に書いてある」と。なぜ、それほど掃除をするか、当時の私にはその意味がわからなかったのです。私の場合、稽古の時間を「1」だとしたら、掃除の時間は倍の「2」でした。
九重さんも同じで「ひたすら掃除をしました」と言っています。九重さんは、その理由を、次のように推測してくださいました。

九重親方:「はっきりした理由はわかりません。でもやはり、精神の鍛錬なんだと思います。
一つのことに心を込められるかどうか。うちの師匠も、俺が嫌々やっているのを見抜いていたんでしょうね。で、こう言うんです。
『トイレ掃除をよくした人は横綱になってるぞ。北の湖も大鵬も全員やった。あの貴乃花だってやってたよ。もちろん、俺もやったよ』と。そんなふうに言われると『よし、やるか』となる。俺、単純だなって思うけど(笑)。
でも不思議なもので、地道にやっているうちに好きになるんですよ。真剣にやるようになる。そして、相撲も強くなっていくんですね。悪と断じる現代の風潮は、逆に乱暴なような気もするのです。」(以上、九重親方)

伸びる選手の見分け方


九重さんに話をお聞きして、私は広岡達朗さんの言葉を思い出しました。
広岡さんは、「この選手はモノになる」と、ひと目で見抜いてしまうので、「選手のどこを見ているのですか?」と聞いてみたのです。すると、こんな答えが返ってきました。

広岡:「一番わかりやすいのは、人の話を聞いているときや、練習の態度ですね。失敗したときに、まわりに言い訳をする選手はダメです。反対に、空振り一つで激しいくらい悔しがる選手は伸びます。
コーチの言うことに『はい!』『わかりました!』と、返事だけよいタイプも長続きしませんね。そういう小器用なタイプは、その場でできても、明日にはまた元に戻ってしまいます。
むしろ少し不器用で、明日も明後日も、ずっとできるようになるまで、コツコツ続ける人がモノになりますね。『人の言葉を簡単には信じないけど、納得したら徹底的にやる』という素直さも大事な要素かもしれません。
西武で監督になったときに、前の年に石毛宏典がルーキーイヤーで3割打ったんです。私は1年目の結果で満足してほしくなかったから挑発しました。『お前、それでよく新人王が獲れたな』と。彼は不満そうな顔をしていましたよ。
そこで私は、彼のライバルに当たる選手を丁寧に指導しました。石毛はピンときたんでしょうね。自分から熱心に練習するようになりました」(以上、広岡さん)
掃除と石毛選手の話は、一見、無関係に思えます。しかし、根底には「納得したらとことんやる」という一途さがあると思うのです。

1ミリのずれはやがて1メートルのずれになる


私の師匠(父・藤平光一)は、私が掃除した後を見に来ることがよくありました。しかも、私がいないときに来るのです。
あるとき、時間がなかったので、ちょっとだけ手を抜いたことがありました。でも、師匠からは何も言われません。それで私は「ああ、あれくらいでいいんだな」と、すっかり油断してしまったのです。
「昨日、何も言われなかったから今日もこれくらいで大丈夫だろう」となり、その次の日も「これくらいでいいや」となっていきました。
その後、どうなったと思いますか?1週間も経つと、私はすっかり、ずさんな掃除をするようになっていたのです。自分では手を抜いているつもりはないのですが、気づかないうちに変容していたわけです。
師匠は私を呼び、こう言いました。「人は、一度に1メートルずれたら、それに気づくだろう。しかし、1ミリのずれは認識できないものだ。だが、その1ミリのずれは、やがて1メートルのずれになる。そうなって初めて気がつくのだが、その大きなずれを修正するのは困難だ」と。
師匠は、私が自分で1ミリのずれに気づくよう、しばらく黙って見守っていたのです。
師匠は私に「1ミリのずれを防げるのは、お前だけなのだよ」と、優しく言いましたが、それが逆に心に刺さりました。自分の未熟さが、深く理解できたのです。

一人の微差がチームの大差になる


じつは工藤公康さんも監督時代、これとほぼ同じことを選手に言っていたそうです。


少しの妥協が大きな敗因へとつながることも(写真提供:Photo AC)

工藤:「掃除を見るだけで1ミリのずれに気づくというのは、本当にすごいです。そして、それを黙って見守り、タイミングを見て、心にズシンと響く指摘をする。
まさに、“氣の達人”だと感心しました。
私が選手に言っていたのは『微差が大差を生む』ということです。これは“妥協”に関することで、『まあ、いいか』という“小さな妥協”が、やがては大きな差となるよ、ということをくり返し言っていましたね。
野球はチームスポーツですから、一人が妥協したら、周囲の人間も必ず妥協し始めます。『ああ、それでいいのか』と。そしてチーム全体が妥協するようになっていきます。
そんなチーム、勝てるわけがありません。」(以上、工藤さん)

「これくらいいいか」は相手に伝わってしまう


工藤さんのお話は続きます。
工藤:「選手だけじゃなく、コーチや監督の私にも同じことが言えます。
本当は選手に指摘して修正すべきことがあるのに、『まあ、今日はいいか』と言葉を飲み込んでしまうことがあります。でも、一つ妥協すると、明日も『まあ、いいか』、明後日も『まあ、いいか』と妥協が続いてしまうのです。
コーチだって人の子ですから、指摘なんてしたくない。ギスギスするのは嫌ですからね。それに、コーチもかつては選手だったわけで、選手の気持ちもわかる。だから、つい妥協してしまうのですが、やはり、それをやってはいけないのです。
厳しいことを言うようですが、自分に妥協した途端、その選手は、それ以上、成長もしなくなります。だから、私たち指導者は、鬼だと思われても、常に言うべきことは言うし、やらせるべきことはやらせないといけないのだと思うんです。
人に偉そうなことを言う以上は、こちらも責任が生じますからね。『あなたはできているのか?』と言われるようではみっともない。こっちも必死にならざるを得ません。
でも、その気持ちが通じてくれれば、相手は聞く耳を持ってくれるのです。『あの人は真剣なんだから、自分も手は抜けない』と。真剣が真剣を生む。そうやって、お互いに磨かれていく。切磋琢磨ってそういうことだと思うんですよ」(以上、工藤さん)

※本稿は『活の入れ方』(幻冬舎)の一部を再編集したものです

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