安野モヨコ「こんなに長く一緒にいると思わなかった」。ドタキャンされたハワイ旅行に「食べられるもの」が多いイタリア旅行…。夫・庵野秀明との結婚生活を振り返る

2024年4月3日(水)12時0分 婦人公論.jp


<『監督不行届』第拾八話より>

漫画『ハッピー・マニア』で人気を博し、その後の作品『シュガシュガルーン』では第29回講談社漫画賞を受賞するなど、数々の名作を生み出している、漫画家・安野モヨコさん。そして、安野さんのパートナーはアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の監督・庵野秀明さん。このクリエイティブなご夫婦は一体どんな生活を送っているのでしょうか。安野さんは、「2022年の3月で結婚して20年を迎えた」そうで——。

* * * * * * *

旅の思い出


2022年の3月で結婚して20年を迎える。
いまだに私たちが夫婦だと知って驚いている人が
いらっしゃるのを散見するけど
まさかこんなに長く一緒にいると思わなかったので自分たちでも驚いている。

本当なら20周年記念でどこか旅行にでも行きたいところだが
このご時世では難しい。
大人しく家で過ごすことになりそうだ。

思えばこの20年いろんな場所へ旅行した。
私は忘れん坊なので全部は思い出せないが、今パッと思い出せるものについて書いてみようと思う。

最初の旅行。
まだはっきり交際してるのかどうかわからないようなころ
私がハワイに行くので監督に付き合ってもらった。

ただ単に買い物がしたかっただけなのだが友人の都合がつかなくなったので
ダメもとで一緒にいかないか、と誘ってみたのだ。

ハワイみたいな場所には興味がなさそうだったので
断られるかな、と思っていたのだけど行くという。
正直ちょっと驚いた。自分で誘っておいて
え、行くんだ。
みたいな気持ちになった。だって監督ハワイのイメージ無いし。
落ち着いて考えてみたら自分の買い物に付き合わすわけにもいかないし
向こうで何すりゃいいんだろう?

ホテルのテラスでビール飲んでるとこしか思い浮かばない。
果たして現地に着いてみるとどうしても行きたい場所があると言い出した。
戦艦ミズーリである。

ずっと買い物ばかりもつまらないので付いて行く事にする、と伝えると
若干迷惑そうな顔をしている。
それでもあまり気にせず一緒に真珠湾に向かった。

戦争体験者のおじいさんが案内してれるツアーは結構な人気だった。
30人くらいのグループで歩くのだが、その間中ずっと写真を撮っている。
みんながガイドさんの説明を聞きいったり驚いたりしている間中も
一言も発することなくただ自分の行きたい場所にどんどん移動して
文字通り死ぬほど写真を撮りまくっている。

その間もちろん私は完全に放置されていた。

なんのことはない、監督の目的はミズーリの資料写真を手に入れることだったのだ。

そのほかには遊園地やハナウマベイなどでシュノーケリングをしたけど
お互いやりたいことや行きたい場所が違いすぎて噛み合わない。
疲れ果てて東京に戻ったときには
無言で別れたのを覚えている。
成田離婚する人たちってこういう感じなのかな、と思った。

そこからどうやって復縁したのかは忘れてしまった。

その次に思い出すのは著書「監督不行届」でも描いたオーストラリア旅行だ。
私は独身の頃思い立って1人で海外旅行することがあったのだけど
エアーズロックが好きでよく行っていた。
日本だと見ることがないような景色が面白くて、行くと頭の疲れが
スコーンと抜ける。
同じ理由でグランドキャニオンもよく行っていた。

それを監督にも見て欲しい、と結婚して割とすぐ一緒に行ったのだが
エアーズロックに対しては「まあまあだな」と、なぜか上から目線だった。
監督は巨大建造物とかの方が好きで、自然の巨大な景色にはそこまで惹かれないのかもしれない。
この旅行では監督が日焼けしすぎて死にかけたのだがそれは
漫画にも描いたので皆さんご存知のことと思う。

ツアコン化したハワイ旅行


あとは旅行のドタキャンも忘れられない。

義母と叔母を連れてのハワイ旅行に監督と4人で行く予定だった。
義母の世代はハワイへの思い入れや憧れが強く、前から家族で行こうと計画はしていたのだが
そんな折義父が入院してしまって結局行けずじまいだったのだ。
三周忌も過ぎたので叔母に付き合ってもらって行く事になった。

「ハワイ!ハワイ!」と、すごく楽しみにしている義母&叔母。
私にしてみると義母と叔母と一緒と言うのはもう完全に嫁仕事なので若干しんどかったが、
それでも嬉しそうなお二人を見ると

まあいっか。

いつも義母の世話をかって出てくれる優しい叔母も一緒だし、いざとなれば監督がいる。
義母も監督の言うことは聞くから心配ないか…!
と、楽観的な気持ちでいた。

するとどうだろう。
監督が直前になってどうしても仕事の都合がつかず行けないと言い出した。

ええ〜!!!!

軽くパニックである。
アニメや映画というのはスケジュール通りというわけにはなかなかいかなくて
自分1人の都合だけで休めないのも仕事の性質上仕方ない。

ただ、キャンセルするにしても全員分となると直前すぎてお金もかかるし
何よりあんなに楽しみにしていた年寄りたちが可哀想。
義母は足腰を悪くしていたのでキャンセルすると次行けるかどうかわからない。

色々と悩んだ末にハラを決めて私1人で義母と叔母を連れて3人で旅立った。

この旅行はマジでやばかった。そもそも個人旅行なので
往復のチケットとホテルしかとってない。
到着すると同時にツアコンと化して朝から晩までコンシェルジュとやりとりしていたのを思い出す。

毎日キャンセルと予約を繰り返して


海でのアクティビティや火山を見に行くなどの動きのあるツアーは無理なので
フラダンスを見たりファイアーショーなどを手配したのだが
ファイアーショーを見終わったあたりで義母のご機嫌が悪い。
幼稚園児のようなしかめっ面で
黙りこくったまま一言も発しないので心配してどうしたのか聞くと
「怖かった」
と言う。
こんな怖いものを見せるとは何事か、ということでお怒りのご様子である。
うるせえ知るか。

すごいめんどくさいので、すぐにネイルサロンの予約を入れ
受付のおねーさんにものすごい可愛い爪にしてくれとオーダーしてやった。
すると2時間後ニッコニコで現れた。ちょろいもんである。

しかし全日このような調子なので、やっととった休みもフルスロットルである。
夜のうちにコンシェルジュと相談して時間を調整して仮予約してもらい
朝食で今日はこんなところに行こうと思うけどどうですか?と聞けば
「いや。疲れそう」「怖い」
などの理由でNGが出る。
いや、サンセットクルーズってそんなアクティブじゃないのよ?
パラグライダー乗ったりしないのよ?
みたいな説明を小一時間して了承をもらう。

ヒイヒイいいながら毎日キャンセルと予約を繰り返してやっと最後の日になった。

夜はワイキキの古めのホテルの上の階にあるバーラウンジを予約してあった。
宿泊していたホテルのコンシェルジュの一押しだっただけに大変眺めが良く
席も特等席だったために正面に見えるダイヤモンドヘッドが夕陽を浴びて輝いていた。
美しい夕暮れの空に私も目を奪われていたが、ふと横を見ると義母と叔母が涙を流していた。

こんないいところに連れてきてくれてありがとう、と
2人とも泣いている。

夕食の間中繰り返し繰り返し楽しかった、ありがとう、本当にいい思い出になったと
感謝してくれて毎日大変だったけどいっぺんに疲れが吹き飛んだのを覚えている。
私自身もなんだかんだで楽しかったし最後の最後で自分も感動して泣いた。

だが家に帰ってから監督にかなり文句を言ったのも覚えている。嬉しかったのと大変だったのは別の話である。

ヨーロッパでの年末年始


海外旅行で言うと
作曲家の鷺巣詩郎(さぎすしろう)さんご夫妻とお正月を過ごすことが何年か続いていた時期があって
毎年のようにフランスやイタリア、ドイツなどで年を越していた。

監督はイタリアの方が食べられるものがたくさんあるので
イタリアにもよく行った。
ローマで大晦日(おおみそか)を迎えたりベルリンで元旦を迎えた年もあった。海外での大晦日はいつも決まって華やかなパーティーだったのでどれも大変楽しい思い出だ。

しかしヨーロッパでのお正月はえらく寒い。

ある年、デンマークのチボリ公園の中のホテル「Nimb」に泊まってから
パリに移動するという予定で動いていたのだが
成田からのデンマーク便がその日が最後のフライトというビンテージ(ボロ)飛行機だった。
古い機体だからやはり隙間風が入るの?と思うほどとにかく寒い。

毛布を頼むと夏休みのお昼寝か!と突っ込みたくなるようなうっすいガーゼのケットだ。
もう1枚欲しいと言うと1人1枚しか無いと断られたのでコートを着たまま
凍えながら眠った。

コペンハーゲンに到着した頃にはすっかり風邪をひいていた。
2泊してパリに移動したときには更に悪化して熱が出ていた。
パリではホテルコストに滞在した。
私はジャック・ガルシアが大好きなのでここはパリでの定宿
大大大好きなホテルである。
鼻下長紳士回顧録のイメージのもとにもなっている。


2泊してパリに移動したときには更に悪化して熱が出ていた(写真提供:Photo AC)

しかしながら病気の治療に向いている宿ではない。
一階のラウンジでは毎晩のようにパーティーしていて騒がしい。

どんどん悪くなる私だったがお正月で病院は休みだし
薬局も日本と違い処方箋がないと解熱剤のようなものも買えない。
ウエルカムフルーツとして最初から部屋に大量にあったイチゴを毎日少しずつ食べて
なんとか生きながらえていた。
監督も心配してせっせと看病をして頭に載せるタオルを替えてくれたりしていたが
あるとき、何か元気になるものを買ってくる!と言って出かけて行った。

そしてほっぺを赤くして帰ってくると
大きな包みを渡された。
中身はハムとチーズの挟まった
ハードフランスパンのサンドイッチであった。

すごい美味しそう。

でももう何日もいちごしか食べてないし熱まだあるし
なんでこんな固い食べ物。切る時ガリガリ音がするようなやつじゃん。
朦朧(もうろう)としながらそんなことを思ったのを覚えている。
逆にもうそれぐらいしか覚えていない。

ふわふわと漂っているのが監督


お休みのフランス人医師に無理言って診察してもらい
処方された薬飲んだら症状が悪化したりしながらも
結局日本人医師のいるアメリカ人向け病院を鷺巣さんに見つけてもらって
ことなきを得た。

飛行機で風邪ひいて免疫が弱っているところに
空港で溶連菌(ようれんきん)に感染してしまったようだった。
医師からは子供がかかるようなやつですよ、とこともなげに言われたが
自分としては死にかけた気持ちだった。

特にフランス人医師から症状を尋ねられたときに
英語で正確に自分の状態を伝えられなかったことが致命的だったので
日本に帰ってから英会話を習ったりした。

監督との旅の思い出をたくさん書こうと思っていたのに
なんだか自分のことばかりになってしまった。

旅先ではホテルとのやりとりやお店での会話も
大体私が担当で監督は存在感が薄いせいかもしれない。
乗り物選びについてのみ強く主張してくるけど
それ以外はふわふわと漂っているのが監督なのだ。

※本稿は、『還暦不行届』(祥伝社)の一部を再編集したものです。本文の体裁は書籍掲載時のままとなっています。

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