『すずめの戸締まり』が『天気の子』以前と変わった5つのこと。新海誠監督の“作家性”を改めて考える

2024年4月5日(金)19時40分 All About

地上初放送となる『すずめの戸締まり』が、『君の名は。』と『天気の子』の頃(それ以前)と変わった5つのこと、変わった理由を記していきましょう。(※サムネイル画像:(c)2022「すずめの戸締まり」製作委員会)

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2024年4月5日、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)にて、『すずめの戸締まり』が地上初放送となります。
その放送は本編ノーカットのうえ、エンディングは新海誠監督が企画書に描き込んだイラストを使用した特別仕様。本編での名シーンの数々に加えて、こちらもSNSでの盛り上がりが期待できます。
そんな『すずめの戸締まり』は、『君の名は。』と『天気の子』の頃(それ以前)の新海作品と連なる特徴が根底にありつつも、大きな変化もあります。それは新海監督の作家としての成熟であるとともに、心境の移り変わりも理由にあると思うのです。そのことを、5つの項目に分けて記していきましょう。
※以下、『すずめの戸締まり』および、『君の名は。』と『天気の子』の結末も含むネタバレに触れています。ご注意ください。

1:劇中歌がなくなった理由

『君の名は。』と『天気の子』では、高揚感にあふれるメロディアスな劇中歌にあわせた、テンポ良く展開するミュージックビデオのようなシーンも大好評を博していました。
しかし、今回はエンディングで流れる『カナタハルカ』と、芹澤がドライブ中にかけた『ルージュの伝言』などの既存曲以外には、劇中歌はありません。
実は、2022年12月号の雑誌『CUT』(ロッキング・オン)のインタビューでは、新海監督は「RADWIMPSの劇中歌を、今回は最初から使わずにいきましょう」と野田洋次郎に話していたと、はっきりとつづられています。
その理由は「単純に『君の名は。』『天気の子』で、ある種やり切れた気持ちがあった」「あれ以上のものを、また少し味を変えて出しても、同じような衝撃を観客に与えるのは難しいんじゃないか」「物語の最後に重心がかかるような、感情の爆発を最後に集中できるような構造にしていきたい気持ちがあった」といったものだったのだとか。
つまりは、二番煎じの演出にはしないというだけでなく、劇中歌で盛り上がりや感情のピークが途中に来てしまうことを、今回の『すずめの戸締まり』では避けたかった、ということなのでしょう。
その甲斐あって、ラストに鈴芽が「行ってきます」と言ってから、やっとかかる『カナタハルカ』の歌と歌詞は、これまでの新海作品とはまた違う深い余韻を与えてくれたと思います。
ちなみに、『Tamaki』という劇中で使用されなかった楽曲もあります。
こちらはタイトル通り、鈴芽の叔母である環の気持ちを表現した曲で、野田洋次郎いわく「主題歌のために作ったというより、映画から着想を得て書いた曲」とのこと。
環役の深津絵里は、アフレコ前にこの曲のデモを聴きながら役作りしていたこともあったのだとか。劇中で鈴芽に言われている通りとても重い、だけど切実な気持ちが歌われているので、ぜひ聴いてみてほしいです。

2:モノローグがほぼなくなった理由

新海監督の作家性の1つに「モノローグの多用」がありますが、今回の『すずめの戸締まり』では、母の椿芽が椅子を作った時の夢を見た直後の、鈴芽の「(椅子を)大事にしていたの、いつまでだっけ」以外では、モノローグはありません。
実は『CUT』の同インタビューで新海監督は、「鈴芽が今までの新海作品に比べて“自分語り”が少なくて、それが新境地ではないか」と指摘されると、「初期の脚本ができた時に、スタッフから『新海さんは今回、初めて自分じゃない人を書いたんですね』って言われたのがうれしかったんです」と返しています。
なるほど、これまでの新海作品のキャラクターがモノローグで「自問自答」するのは、新海監督が自身を投影し、考えを「代弁」させていたから、ともいえます。
そして、鈴芽はこれまでとは異なり、新海監督がより自分の頭で考えて想像(創造)したキャラクターとなり、自身の代弁者ではないからこそ、モノローグがほぼなくなったのではないでしょうか。
加えて、新海監督は「鈴芽の抱える大きな喪失感は、彼女の人物像を作っていく上で、自分が彼女だったらということを徹底的にイメージしていきました」とも語っています。
安易なキャラクター造形をしないことはもちろん、(項目4で後述するように)東日本大震災の当事者ではない新海監督が、それでも当事者の喪失感をくみ取ろうと奮闘したこと、最終的に鈴芽が「自分自身」に「大丈夫」と言ってあげられることともリンクしているのです。

3:ポップでマスコット的なキャラクターを登場させた理由

草太が椅子になるというアイデアはディズニー作品を思わせるものですし、彼らを導く猫のダイジンもいじらしくてかわいらしくて、小さなお子さんでも楽しめる作品になっているのは言うまでもありません。
こうした人間の姿をしていない、ポップでマスコット的なキャラクターが登場するのも『君の名は。』『天気の子』と異なるところです。
「アニメ!アニメ!」のインタビューによると、新海監督は椅子やダイジンを登場させたことに対して、「東日本大震災という実在の悲惨な災害が根底にあるので、物語の語り口としてはコミカルで明るいものにしないと、エンターテインメントとして成立しないと思った」とも語っています。
さらに、『CUT』の同インタビューでは、「現実に起きた悲劇を、笑えるようなエンターテインメントとして扱ってはいけないという考えがあるんだとしたら、僕はそちらのほうが怖いと思うんです。たとえ何が起きたって、人間は生物として笑いながら、ご飯を食べながら、美しいという感情を持ちながら生きていくわけですから」とも語っています。
それと同時に、新海監督は「感動させるためだけに震災を扱ったと言われるような、そういう批判が溢れるものにしてはいけない、とにかく真摯に向き合って作品としての強度を高めなければいけないという覚悟はして、作り始めました」とも語っています。
新海監督は後述もする通り、東日本大震災を扱うこと、それをエンターテインメントとして描くこと自体に葛藤があり、覚悟の上でこの作品を世に送り届けていたのですが、それでも(だからこそ)「広い観客層に見てもらえる楽しい作品」にすることにも、決して手をゆるめなかったのです。
さらに、深海監督は制作がコロナ禍に入るタイミングに「理不尽に小さくて硬くて窮屈な場所に閉じ込められてしまう、そんな(コロナ禍の)感覚を草太に託すことができれば、ちょっと奇想天外な展開だったとしても、共感してくれる人がいるんじゃないか」とも考えていたのだとか。
そんなイメージも込めながらも、椅子の“アクション”や鈴芽との“バディ感”などが、やはりエンターテインメントに昇華されているのも、『すずめの戸締まり』の優れたポイントでしょう。

4:「現実の世界」で起こった東日本大震災を描いた理由

新海監督の直近の3作は、物語に災害が大きく関わっています。『君の名は。』では彗星の落下、『天気の子』では東京に雨が降り続いてしまうというものでしたが、『すずめの戸締まり』では、はっきりと東日本大震災を題材としています。
「NHK福島WEB特集」のインタビューによると、浜通りに積み上げられた黒いフレコンバッグ、立ち入り禁止のバリケードなどは、新海監督が実際に福島県双葉郡をロケハンして、目にしたありのままの光景を描き込んだそうです。
これまでの「東日本大震災を連想させる架空の災害」ではなく、「現実の自分たちの世界で起こった東日本大震災」を描くというのは、新海監督にとっての1つの覚悟であり挑戦だったのは間違いありません。
そして、現実に多くの人が傷つき、亡くなった人も多くいる東日本大震災を描くことは、当事者を深く傷つけてしまう可能性があります。新海監督自身、2022年12月放送の『クローズアップ現代』(NHK)にて、「創作には暴力性がある」という重い言葉も交えて、その葛藤を語っていたこともありました。
しかし、『すずめの戸締まり』で現実の災害を描いたことこそ、大きな意義があったと思います。
今から10年以上前に起こったことなので、その後に生まれた人や、当時の記憶がない若い人に、東日本大震災にまつわる事実や人の思いを届けることも、その1つ。それ以上に「災害を理由に自分を大切にしていない人」に向き合った内容であることも重要でした。
例えば、幼い頃に母を亡くし、喪失感およびサバイバーズ・ギルトを抱えていると考えられる鈴芽は、立ち入り禁止の看板を乗り越えつつ「(死ぬのが)怖くない!」と口にしています。
草太も、教師を目指しながらも“閉じ師”の仕事をしていて、椅子になってしまったとはいえ試験をすっぽかし、芹澤に「あいつは自分の扱いが雑なんだよ」と言われたりもします。
2人は共に「自分を大切にしていない」人物であり、それは災害に見舞われたり、災害で大切な人を亡くした人が持ちうる心境なのかもしれません。
そして、劇中で鈴芽が「草太さんがいない世界が、私は怖い!」と言ったこと、草太が「もっと生きたい、死ぬのが怖い!」と願うことは、呼応しています。
そんな2人が、互いにだけではなく、自分自身にも「生きてほしい」と願うこと、それこそ成長した鈴芽が幼い頃の鈴芽に「あなたは光の中で大人になっていく」と、新海監督が過去作でも言及していた「大丈夫」に通じる言葉を「自分自身」に言ってあげること、それこそが重要だったのだと思います。
事実、新海監督は「鈴芽が『あなたは大丈夫だよ』って言えた根拠は、僕たちがいつもしているのと同じような、実感があってごく単純なもの。それさえあれば、みんななんとかすることができる。生きてさえいれば、それがこの先も生きていける根拠になる。そういう形であのメッセージを届けることができれば、自分たちが作るエンターテインメントが、震災を描いた映画である意味が成り立つと思いました」と語っています。
それは東日本大震災および、災害に見舞われた人を、確かに傷つけてしまう可能性もあると思います。しかし、それ以上に、生きている多くの人にとっての希望にもなりうる、とても優しいものだと思うのです。

5:『星を追う子ども』の語り直しでもある

そんな『すずめの戸締まり』の物語の結末は、「災害ですでに亡くなった人を救いたいという願い」を描いた『君の名は。』、「災害とてんびんにかけてでも大切なただ1人を救うという選択」をした『天気の子』とは、相対するものかもしれません。
しかし、新海作品の『星を追う子ども』は「亡くした大切な人への執着に囚われてしまう」「それからの希望を描く」物語が描かれており、『すずめの戸締まり』はそちらに近い内容へと「回帰した」、または「語り直し」といえます(しかも、こちらもモノローグがない作品でした)。
『星を追う子ども』のラストシーンを見れば、より『すずめの戸締まり』は新海監督が新しいことに挑戦しつつも、やはり根底にある作家性や、メッセージ性の優しさは以前から変わらずにあるのだと、気付けるのではないでしょうか。

次回作も「もしも私があなただったら」という作品に

『すずめの戸締まり』の劇場公開からもう1年半近くが経過しているので、次回作が気になる人も多いでしょう。実は、先週に開催されたX(旧Twitter)のスペースで少しだけ、新海監督が言及していました。
スペースの初めのほうから「まだ何も言えない段階」であることを前提に、「肝要な心でゆったり待っていただければ」「新作にずっと向き合っている」「スタッフが集まっていると」語っており、今は「新作の制作に着手」している段階でしょう。
さらに、そのスペースの52分25秒ごろからは「次回作のテーマは決まっている」「細かいところは変わるかもしれないけれど、物語はある程度はできている」とも語っています。
さらに、新海監督はそれ以前の2023年3月の『news zero』(日本テレビ系)のインタビューにて、「次にメインで扱うのは災害じゃないかもと思います(でも分からない)」と語りつつも、「2011年(の東日本大震災)をきっかけにして、『もしも私があなただったら』、そこから逃れられないような考え方になってしまった」「『もしも私があなただったら』という要素が中央に入った映画は、たぶんこの先も作っていくんだろうな」とも語っています。
新海監督は東日本大震災の当事者ではないですが、前述したように『すずめの戸締まり』は当事者の喪失感をくみ取ろうと奮闘し、自分自身ではない想像上の鈴芽というキャラクターをもってして、やはり「もしも私があなただったら」と葛藤し考え抜いて作り上げた作品です。改めて、新海監督はなんと誠実で真面目な作家なのだと思えますし、やはり今後の「もしも私があなただったら」の作品も期待できるのです。
ちなみに、同スペースでは「世の中にはたくさん面白い映画がたくさんあるのでまずは面白い映画をたくさん見ていただければ」と語っており、現在公開中の『夜明けのすべて』『恋わずらいのエリー』『四月になれば彼女は』『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』を称賛したり、はたまた『変な家』の大ヒットに言及する場面もあります。
この言葉通り、今は新海監督も推薦する、面白い映画を見ようではありませんか! 2023年に絶賛した「10作品」を選んで見るのもおすすめですよ。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
(文:ヒナタカ)

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