追悼 元横綱・曙太郎が54歳の春に逝く。外国人力士で史上初の横綱に。「花のロクサン組」若貴兄弟の壁になり激闘を繰り広げた

2024年4月14日(日)10時0分 婦人公論.jp


写真提供◎photoAC

史上初の外国人横綱となった曙太郎さんが、4月上旬に東京都の病院で心不全で亡くなったことを、11日に日本相撲協会が発表した。54歳だった。

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相撲道を極めていく横綱の厳しさ


史上初の外国人横綱となった曙太郎さんが、4月上旬に東京都の病院で心不全で亡くなったことを、11日に日本相撲協会が発表した。54歳だった。

私は11日にテレビのニュース番組で知ったとたんに、曙が若乃花(元横綱)と貴乃花(元横綱)の大人気兄弟力士と、ライバル意識むき出しの激闘をしたことを思い出した。3人は同期生(昭和63年3月初土俵)であり、「花のロクサン組」と言われていた。

平成5年初場所後に、曙は若貴兄弟よりも早く、第64代横綱となった。身長は203cm、体重は233kgという巨漢。ハワイ州オアフ島出身で、入門してから18場所連続で勝ち越すという強さ。平成2年秋場所に入幕。長い腕による強烈な突っ張りだけなく、四つに組んでの投げ技もあった。平成8年に日本国籍を取得している。

平成10年の長野オリンピック開会式での曙の雲龍型の土俵入りは、一点を見つめる眼光から相撲道を極めていく横綱の厳しさを感じた。世界に披露する土俵入りは神々しかった。

私は3歳くらいから大相撲をテレビで見ていて、悩みが多く、学校に行きたくない気持ちに耐えて通学していた中学生の時に、「大相撲には人生がある。土俵には人間の生きざまがあるのだ」と思い、この世界を一生見て行こうと決心した。

しかし、曙が土俵に登場すると、その相撲人生の苦闘を考えもせずに、巨漢はそれだけで得だと気楽に見ていた。「春はあけぼの!」と清少納言の『枕草子』の名文を、テレビ画面に向かって叫んでいた。

平成5年名古屋場所の千秋楽を、忘れることができない


しかし、曙が若貴兄弟と対戦する時だけは、測ったわけではないが血圧が上がる感じがした。曙は、横綱を目指す若貴兄弟の前に岩でできた壁のように立ちはだかったのだ。

私は、若貴兄弟が好成績を上げ、横綱に昇進することを願っていた。そうすれば、私が生涯のファンと決めた父親である二子山親方(元大関・貴ノ花様=別格なので「様」をつけている)が大喜びをすると思ったからである。若貴兄弟のどちらかが優勝すれば、テレビのニュースや新聞や相撲雑誌に、師匠としての凛々しいお姿を数多く拝見できると思っていたのである。

平成5年名古屋場所の千秋楽を、私は忘れることができない。

横綱・曙と大関・貴ノ花、関脇・若ノ花(四股名の「ノ」は当時のまま)は巴戦での優勝決定戦となった。巴戦は2連勝すれば優勝なのだ。

ふだんは信仰心がゼロの私だが、八百万(やおよろず)の神々に祈りながら、貴ノ花と若ノ花のどちらかが優勝することを願った。しかし、曙は圧倒的な強さで、若ノ花を押し倒し、貴ノ花を寄り倒し、若貴の兄弟対決にはならなかった。

私は「曙をスカウトしたのは高見山(元関脇・東関親方)だ。高見山を恨む」と叫んだ。

昭和一桁生まれの母は、「高見山を育てたのは前田山(元横綱・高砂親方)だよ。恨むなら前田山だ」と、若貴兄弟のどちらかが優勝できなかった悔しさは、戦後初の横綱である前田山にまでおよんだ。

曙は「強くなりたい」と思い続けた


曙は、優勝11回、殊勲賞4回、敢闘賞2回、平成13年初場所が最後の場所となった。引退後は、東関部屋で後進の指導をしていたが、平成15年に日本相撲協会を退職して、プロの格闘家になり、同年大晦日に格闘技の「K-1」でボブ・サップさんと対戦して注目を集めた。その後、プロレスの世界でも活躍した。


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曙の訃報のニュースから7年間も闘病していたことを知った。そして、2冊の本を思い出した。引退した後に出版された『横綱』(平成13年9月30日、新潮社発行)と、私が大崇拝する沢木耕太郎先生の『春に散る』(上下巻、2017年1月10日、朝日新聞出版発行)である。

『横綱』によると、曙は「強くなりたい」と思い続けたが、平成11年初場所で引退届を出した。しかし、当時の時津風理事長(元大関・豊山)により再起をうながされている。曙は重症の変形性膝関節症を患っていた。

再起のチャンスを生かし、19場所ぶりに名古屋場所で優勝を果たした。ところが、その後、膝はさらに悪化。痛み止めの薬と点滴を打ち続け、内臓や身体まで痛みだした。その苦しみと横綱の責任を果たしたいという気持ちを読み、私は涙が出た。

引用すると「ともすればネガティブな方向に走りそうになる頭の中の考えを私は首を振って打ち消し、終盤の土俵にあがりました。一番、一番、命を削ったっていい。」とあった。そして、20世紀最後の場所となる平成12年九州場所で11回目の優勝を果たしたのである。

曙にとって「命を削ったっていい」と思えた場所


『春に散る』の下巻では、主人公である広岡が桜の花びらが散る中を歩き、心臓発作に苦しみながら、自分の生きた道を思うのだ。引用すると「広岡は徐々に薄れていく意識の中で思っていた。そういう場所があったということ。もしかしたら、人は、それを幸せと呼ぶのかもしれないな、と。」

「そういう場所」とは、広岡が若い時に挫折したボクシングの世界だと思う。曙にとっては、「命を削ったっていい」と思えたその場所が大相撲だった。

26年前の4月の深夜、難病で入院していた私の父が危篤であると病院から電話があった。病院の敷地は広く桜の木が多く、病院に駆けつけた時、嵐のように風が吹き、地面に落ちた桜の花びらが空に向かって舞い上がっていた。父の魂を桜の花びらが空に連れて行ったのだと感じた。それから、春に逝く人は、桜の花びらが魂を天国に舞い上げるのだと、私は思っている。


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曙が亡くなった時、桜は咲いていたのだろうか。

土俵入りをする曙の写真がある本のページを開き、私は合掌した。

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