会話がなかった父と娘に、保護犬を迎えたことで起きた変化。娘が明かした、薬学部を目指した理由とは

2024年4月19日(金)12時30分 婦人公論.jp


福が来てから、娘との関係も大きく変化した(写真提供:著者)

環境省が公開している「犬・猫の引取り及び負傷動物等の収容並びに処分の状況」によると、令和4年度の犬の処分数は、2,434頭だそう。そのようななか、余命半年と宣告された妻と家族のために、殺処分寸前だった保護犬・福を家族として迎え入れた小林孝延さんは、「救われたのは犬ではなく僕ら家族だった」と語ります。小林さんいわく、「福が来てから、娘との関係も大きく変化した」そうで——。

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父と娘の関係


福が来てから、娘との関係も大きく変化した。大学への進学を前にした年頃の女子高生だったつむぎは、3つ上の兄ときおとは違って、自分から声をあげて主張したり、積極的に話すことがない、どちらかといえばおとなしい性格の子だった。

ときおは高校の進路を決めるときも、大学のときも、そして将来のビジョンなどあらゆる相談ごとを、すべて本人からもちかけてくれた。

だから僕はそれに応えることで父親としての役割を果たせているように思っていた。

ところがつむぎは、待っているだけでは一切なにも話しかけてはくれない。

それどころか薫(妻)の容態がおもわしくなくなった頃からは、家にいるときはほとんど部屋にこもるようになってしまい、僕とは会話らしい会話がなかった。

ただ、朝、お弁当を作って手渡せば「ありがとう」と素直に言うし、こちらから質問すればちゃんと答えてくれた。

だから、結局それは僕がもう一歩、彼女の心に踏み込んで、関わろうとしなかったことに起因していたのだろう。

チームワーク


しかし、福が来てからというもの、顔を合わせての会話はもとより、離れていてもしょっちゅうLINEでやりとりするようになった。

それどころか、お互いの予定を相互に把握して、日常の世話の役割分担を行い、休日には公園やドッグランに一緒に出かけるようになった。


『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(著:小林孝延/風鳴舎)

正直、福をコントロールするにはつむぎの存在が不可欠で、彼女なしではなにひとつできなかったということでもあるのだが、嫌な顔ひとつせず、かいがいしく福の世話をした。

ある日、ワクチンを接種するために行った動物病院の帰りに、犬も一緒に連れて入れるドッグカフェに立ち寄った。

ローテーブルの前に据えられたソファがどれも色や形が違っていて、どこに座ろうか席選びだけで目移りしてしまうおしゃれな店内だ。

席の半分ほどがうまっていたが犬連れのお客はほとんどいなかった。

娘が小学生のときは、よくふたりででかけて、チョコレートパフェとか、いかにも女の子が好きそうなものを食べさせて点数を稼いだものだが、年頃になってからはこうして一緒にカフェに入ることなんてなかった。

お腹が空いているというので、ナスのトマトソースパスタと、ラテアートがかわいいカフェラテを頼む。

愛犬家が多い店だけあって犬用のメニューもあるのに驚いた。

もっとも福は慣れない環境に怯えているから、きっとどんなに素敵なメニューを目の前にしても口をつけることはないだろうと思い、注文はしなかった。

福が暴れないようにひとりがしっかりと抱っこしてなだめているあいだに、もうひとりが食べる。

ランチを食べるだけでもチームワークが必要だ。でも犬連れでカフェにいると、自分たちが犬を家族に迎えたという実感がじわじわと湧いてくるのがわかった。

母親のために


料理を口に運びながら、つむぎがはじめて薬学部を志した理由を教えてくれた。

娘なりに母親のためになにかできることがないか、心を痛めて考え抜いた結果だったのだ。

もともとそんなに勉強が好きではない彼女が、薫のがんが再発してから人知れず猛勉強を始めた。

そんなことにすら気づかないなんて、本当にダメな父親だ。自分だけが頑張っているなんて思い上がりも甚だしい。

僕と娘の関係性の変化を誰よりも喜んでいたのが薫だった。

「つむぎはああ見えて気難しいところがあるから。こばちゃん(薫は僕をこう呼んでいた)とつむぎが仲良くなって本当によかった、これで安心だわ」

ひとつずつ、心配事を整理して、未来に向けた心の準備を始めていたのかもしれない。

教えてくれたのは


気がつけば福が家に来たことで、ぎくしゃくして滑りが悪くなっていた家族の間を仕切っていた扉が、今は滑らかに大きく開き、お互いへの思いやりが風のように心地よく吹き抜けるのを感じた。

過去を悔やんでもしょうがない。

そして未来を案じても今の時間が無駄になるだけ。

過去も未来も実際には存在しない。

存在するのはただ「現在だけ」。

そのことを教えてくれたのはまぎれもなく福だった。

※本稿は、『妻が余命宣告されたとき、僕は保護犬を飼うことにした』(風鳴舎)の一部を再編集したものです。

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