伊藤比呂美「がむしゃらと馬車馬──引用です」

2024年4月19日(金)12時30分 婦人公論.jp


(画=一ノ関圭)

詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬3匹(クレイマー、チトー、ニコ)、猫2匹(メイ、テイラー)と暮らす日常を綴ります。今回は「がむしゃらと馬車馬──引用です」。去年の年末から休みなしと嘆く伊藤さんですが——(画=一ノ関圭)

* * * * * * *

あたしにはずっと休みがない。

思えば、去年の年末から休みなしだ。

この業界には年末進行というのがある。あたしが小さい頃、年末、印刷屋の父は家に帰ってこなかった。ドラマの『不適切にもほどがある!』で「働き方って、がむしゃらと馬車馬以外にあるのかね?」と阿部サダヲが言ってたけど、ほんとにそんなふうだった。あたしがこの仕事をし始めた頃、父が「あんたたちが遅れるからおれたちが帰れなくなる」と言ってたのをしみじみ聞いたもんだ。

例年、年末進行はクリスマス前に終わるのに、去年は終わらなかった。そのままお正月休みに突入し、地震が起きて飛行機が炎上して、すごいお正月だったが、あたしは休みなし。ひとつ書き終わってもまた次が来た。まるで昭和の頃の父そのもの。

忙しい忙しいと誰かに言ったら「みんな忙しいんですよ」と返された。そうだ、あたしだけが忙しいわけじゃない、自分が特別と思っちゃいけない、と反省した。でも忙しいもんは忙しいんだ、どうしたらいいんだい、とやるせない、やさぐれた気分になった。

しめきりは常に過ぎている。頭がふらふらするまで夜なべしているけど、終わらない。それで朝が起きられない。

つい先週のことだ。くそ忙しいのに外に出て人に会う用が毎日続いた。ところが出かける前に、最初の日は胃痛、次の日は頭痛、用は済ませたが、最後の日は心臓がしくしく痛くなって、いかんこれはストレスだと気がついて、その日も、その後の予定もぜんぶキャンセルした。

こういう訴え、作家あるあるだろうが、ポイントはココです。──あたしがそこまで売れっ子の作家ではないということだ。悲しい事実ですが。つまり仕事量はたいしたことない。ただ要領が悪いだけ。

認めたくはない。認めたくはないが、昔はもっとさくさくこなしていたと思う。

集中できなくなっている。昔は一日でやった仕事が、今は三日も四日もかかる。それで忙しい時期にもスピードをあげられず、時間をかけ、のんべんだらりと仕事していって、結果としてこんなに、がむしゃらの馬車馬の日々になっている。

年のせいか。いや年というほど年取ってない。むしろもっと年取っていればいいのに、中途半端に年取ってるからだめなのかもしれない。あたしは現在六十八歳。「現在、わが国では65歳以上を高齢者、そのうち65〜74歳を前期高齢者、75歳以上は後期高齢者と定義している」と日本医師会が定義している。定義されちゃっちゃおしめえだなと思いながら、あたしには高齢である自覚がない。

数年前、六十の前後、同世代の友人たちが「年のせいか、何々ができなくなった」と口々に言うのを聞いて、何いってやんでいと思っていた。親友枝元も同い年だが、そんなことは絶対言わなかった。ふたりで、てやんでいと思っていたもんだ。

その頃、あたしは夫の看取りで忙しかったし、若犬だったクレイマーには今よりもっと散歩が必要だったし、夫の死んだ後は気持ちが宙に浮いてたし、日本に帰ってきてからは早稲田で若い学生たちの相手に明け暮れて、老いたもへったくれもなかった。

老いた自覚はまるでなかったが、熊本─東京のハードな通勤で、ときどき手首や腰や膝を痛めた。それは若いときにはなかったことだ。階段も辛かった。

今はズンバやってるから、その頃より体力はある。身体は動く。膝や腰はときにキシるが、ズンバを正しくやってるうちに治る(これ、いつか語ります。乞うご期待)。

ときどき、はああ疲れたとため息ついて、よっこらしょとつぶやくときもあるが、聞いてる犬猫にはスルーされる。

ところが、ここにじゃまが入るのだ。

インターネットである。集中が切れると、そのたびにニュース読んだり検索したり。音楽は朝から晩までつけっぱなしの掛け流し。おっと温泉用語だ。温泉に行きたしと思へども、温泉はあまりに遠くて暇もなし。

そして夜になると人の声が恋しくなるのか、映画やドラマをつける。これで集中しろっていう方がおかしいって? 前からこうだったんです。手段が今はストリームで、前はCDやDVDだっただけだ。

検索する癖も前からだった。見たもの聞いたもの何もかも検索する。さっきは「あかもく」と「めかぶ」の違いを検索していた。その前は「コンビニスイーツ」について検索していた。その前は「シネラリア」。この植物、何科の何属で、名前の意味は何で、なぜ昔はシネラリアだったが今はサイネリアと呼ぶのか、なんてことも検索していた。

検索対象、今現在はソファである。

二年前に買った犬用ソファ、ほんとは安物の人用ソファで、あの頃チトーが何でもかんでも壊していたからこれを買ったけど、三歳になり、物を壊さなくなり、この安物が残った。クレイマーは満足して座っているけど、人には座り心地が悪すぎて、もっといいのに買い換えたい。それで一行書いてはソファ、二行書いてはまたソファというぐあいであり、コンピュータの画面に出てくる広告が、ソファだらけになっている。

この検索癖さえなければと思うけれども、餅つきの合いの手みたいな効果を生んで、集中できるときには、却って検索してる方が、進む、進む。進まないときの方が絶対的に多いだけで。

婦人公論.jp

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