辻本茂雄(1)「仕事なくなるぞ」「のたれ死にしろ」ピンチを全部チャンスに変えてきた芸人人生

2024年4月22日(月)13時6分 スポーツニッポン

 今年還暦を迎える吉本新喜劇のレジェンド、辻本茂雄(59)。劇団員としてのキャリアも35年目となった。切れ味鋭いツッコミで劇場をわかすが、ボケもできれば、“茂造じいさん”など持ちキャラも豊富。学生時代は自転車競技に没頭。膝の病気がなければ、競輪選手になっていた可能性が高く、この才能が世に出ることもなかった。いくつもの人生の転機を経験してきた屈指の舞台芸人が自身の芸歴を振り返った。(取材・構成 江良 真)

【辻本茂雄インタビュー(1)】

◆アゴネタではじけ、アゴネタに悩んだ新人時代◆

 —新喜劇が65周年を迎えて、辻本さんはその半分以上も在籍されていらっしゃいます

 「平成元年の10月2日、今でも覚えています。ベテランになりましたねえ。気持ちは中堅ですが(笑い)」

 —最初はコンビ(三角公園USA)と平行しての新喜劇だったと思うのですが、ご苦労も多かったと思います。光明が見えたのはアゴネタなのでしょうか?

 「そうです。今でも覚えてます。自殺しようとする彼女を止める真剣なシーンで、“確か彼氏のアゴ本さんでしたね?”と言われて、“辻本や!”と突っ込んだらドカーンとウケたんです。緊張と緩和ですよね。“シャクレ本さん?”、“辻本や言うてるやろ!”、ドーンドーンってウケて、当時のV見たら、今田(耕司)さんとかも舞台で笑ってました。アドリブやったし」

 —アドリブから生まれたのですね。

 「そっから借金取りの役を多くもらえるようになったんですが、次第にアゴをイジられたままでええんかなと思ったんです。周りをみると同期の石田靖くん、それに内場(勝則)さんとか、主役やし、芝居回すし、ボケるし、突っ込んで、すごく輝いてる。ぼくはイジられて突っ込むだけ。アゴネタのおかげでツッコミはうまなったところはあるんですけどね」

 —で、封印される?

 「スタッフにやめたい、と言いました。そしたら“なんでや?”と言われて。“芝居を回したいんです”、“そうか、仕事なくなるぞ”、“それでもやりたいです”、そしたらほんまに仕事なくなりました(笑い)」

 —厳しい世界。

 「3カ月くらいなかったけど、ガマンして良かったと思ってます。あのまま続けてたら座長にはなってないと思います」

◆拾い上げてくれた間寛平GM◆

 —大きな転機になったのは間寛平さん(吉本新喜劇GM)との舞台と聞いています。

 「寛平兄さんの広島公演で欠員が出たので、ぼくに声がかかったんです。寛平兄さんとちゃんと芝居したのは初めてやったんとちゃうかなあ?“頼むなー、アゴネタやめたらしいなー”、“石田くんとかみたいに芝居回すような役したいんです”、“ちょうどそんな役やん、頑張れよ!”って言ってくれて。そしたらいきなりオープニングのうどん屋での場面で、“食べろペリカン”って言われました(笑い)。そっから始まったんですけど、自分なりに一生懸命頑張ったら、いろんなところで辻本のツッコミおもろいと言っていただいて。少しずつ道が開けてきましたね」

 —95年には今でいう座長になられましたが、その後の東京進出は苦い経験でしょうか?

 「大変でしたねえ。番組の企画というのもあったんですけど、東京で新喜劇を売り出すということだったのですが、なんかドリフのコントみたいな感じで。吉本新喜劇とは違っててウケも悪かったんです。キャッチコピーが“死ぬ気で東京”、みたいな感じだったんですが、今でも忘れません。ファンから“のたれ死にしろ”みたいな手紙もらいました(笑い)」

 —そんなに不評でしたか…。

 「1年で戻ってきました(笑い)」

 —でも、そういう経験も糧にされて、現在があるのではと思います。

 「一生懸命やるしかないんでねえ(笑い)。才能ないから」

 —いやいや(笑い)。ただ、さまざまな経験は後輩の指導にも生きるのではないでしょうか?

 「あまり後輩の面倒見のいいタイプではないんですよね(笑い)。自分の舞台は一生懸命指導します。お客さんがおもろないと思ったら脚本のせいでも、団員のせいでもなく、辻本がおもんないとなるんで。そこは絶対に自分が背負わんといかんと思ってます。

 —プロのお言葉ですね。

 「ただ、ぼくも寛平兄さんにチャンスもらったみたいに、若い子も場数を踏まないとうまくならない。でも、60点の子と40点の子がいたら60点の子ばかり出すのではなくて、40点の子でもこんなイジり方したらウケる、という場合もあります。この点は寛平兄さんと意見が一緒でした。GMになられた時に出てへん子が多すぎる、出てるのも偏りすぎてる、このままやったら絶対あかんなあ、とおっしゃってました」

◆後輩の指導も難しい時代に…◆

 —いろんな団員の可能性を拾い上げるという感覚でしょうか。

 「そうですね。でも、最近は指導の仕方も難しい(笑い)」

 —それはハラスメント的な?

 「そうです。こっちは演技がうまくなるため、お客さんに笑ってもらうために一生懸命指導してるんですけど、おまえなコラ!とか言われへん」

 —(笑い)

 「なんべんゆうたらわかんねん!って言いたいこともあるんです。でも怒鳴るのを10としたら3に声量落としてます(笑い)」

 —今の若い劇団員に何か感じることはあります?

 「やっぱり色物(漫才やコントなど)でやってきた子は地肩が強いですね。自分でネタつくらんとあかんから。でも、オーディションで入ってきた子らは与えられた台本を演じるだけ。そのへんに差が出てきますね」

 —なるほど。

 「この前、アインシュタインがテレビのロケで楽屋に来たので、新喜劇の若手を紹介したんです。この子らもうNGK立ってるで、と言ったら、おまえら早いんじゃ!と2人がツッコミ入れてました(笑い)。彼らは苦労して、舞台に立って、賞レースに出て、のし上がっていく。ハングリーですよね」

 —辻本さんも相当な苦労をされていたとうかがっています。

 「ただ、ぼくはNSC(吉本総合芸能学院)に入るまで、まったくお笑いにも興味なかったですからね。今の若い劇団員以下でした(笑い)」

=(2)に続く

 ◇辻本茂雄(つじもと・しげお)1964(昭39)年10月8日生まれ。大阪府阪南市出身の59歳。学生時代は自転車競技で何度も全国大会に出場も、膝に腫瘍が見つかり引退。吉本興業の門を叩いた。漫才コンビ「三角公園USA」でデビューも89年に吉本新喜劇入り。徐々に頭角を現し、95年に座長就任。20年以上新喜劇の顔として活躍し、19年に座長を勇退。現在も貴重なバイプレーヤーとして舞台に上がる一方、主演公演も定期的に開催している。

スポーツニッポン

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