『しゃべくり007』に、あぶないレジェンド俳優、舘ひろしと柴田恭兵が参戦!舘ひろし「生まれ変わっても渡哲也さんの舎弟になる。父であり、兄であり、人生の師…」

2024年5月13日(月)12時30分 婦人公論.jp


「『若々しいですね』とか言われれば悪い気はしないけれど、70年生きてきたというのはどうもピンとこない。ついこの間まで原宿あたりを拠点にバイクを乗り回していたのにって(笑)」

今夜放送の『しゃべくり007』に、あぶないレジェンド俳優、舘ひろし柴田恭兵が登場。2人にゆかりのある女性たちがあぶない過去を告白!?するという。渡哲也さんとの別れを語った『婦人公論』2021年2月9日号記事を再配信する。
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『西部警察』の刑事役など、石原プロモーションの看板俳優の一人として、映画やドラマで、また、歌手としても活躍してきた舘ひろしさん。近年では、コミカルな役やCMでも違った一面をのぞかせている。(構成=丸山あかね 撮影=宅間國博)

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渡さんとの別れが受け入れられなくて


2019年に古希(数えで70歳)を迎えました。人に伝えてビックリされると照れちゃって。「若々しいですね」とか言われれば悪い気はしないけれど、70年生きてきたというのはどうもピンとこない。ついこの間まで原宿あたりを拠点にバイクを乗り回していたのにって(笑)。僕が「クールス」というバイクチームを総括していたのは20代半ばの頃だから、もう半世紀近く前のこと。つくづく時が経つのは早いなと思うわけです。

特に昨年はコロナに翻弄されているうちに終わってしまったという気がします。世界中の誰にとっても2020年は厳しい年だったし、今も苦しみの中にいる方がたくさんいると思うのだけれど……。僕の場合、渡哲也さんが亡くなるという悲しい出来事が重なりました。

いつかは今生の別れが来ると頭ではわかっていても、いざ現実のこととなると心が追いつかない。そういう感覚に陥るのは初めてのことで、しばらくの間、何もする気になれないまま、ボーッとしていました。現実逃避していたのかもしれませんね。

ーー俳優の渡哲也さん(享年78)が肺炎のため他界したのは20年8月10日のこと。静かに逝きたいという渡さんの遺志により密葬が行われたのち、石原プロの関係者には8月12日、一般には8月14日に公表。お別れの会などはなく、9月16日に四十九日法要が営まれた。

僕はお通夜も告別式も出席が叶いませんでした。寂しかったけれど、自分が行けばご遺族は「それならあの方にも来ていただかなくては」という話になってしまう。逆に、舎弟であるところの僕ですら参列しないのだからと示し、周囲の人たちに納得していただくのが自分の役割なのかなと考えました。渡さんも「それでいい」と言ってくれていると思います。

そもそも死に際に会うとか、亡骸に対面するってことには、あんまり意味がないというか……。人によっていろいろな価値観があるのでしょうが、少なくとも僕は、生きているときに誠意を尽くす、話しておきたいことがあれば心を打ち明け、伝えたいことがあれば恥ずかしがらずに伝えるということのほうが大事だと思う。

それに葬儀に参列しなかったのもお骨を拾わなかったのも、ある意味、優しい別れでした。おかげで僕は今も渡さんが生きているような錯覚を覚えます。いつ電話がかかってきても不思議じゃないと思っているくらい。

父であり、兄であり、人生の師でもあった


渡さんと最後に会ったのは18年の春でした。故・石原裕次郎邸で石原プロ解散を巡る話し合いが行われた折にね。その後も僕は渡さんに定期的に電話をかけていて、最後に話したのは亡くなる1週間ほど前。短い会話のあと、いつものように「ひろし、ありがとうな」と言ってくれたのですが、その声は弱々しく、話すこと自体が苦しそうで……。

結局のところ、僕は渡さんが亡くなった翌月、9月10日の月命日に、お宅に伺ってお焼香をさせていただきました。遺影は宝酒造のCM撮りのときのもので、素敵な笑顔でした。手を合わせながら「ありがとうございました」と伝えました。本当に感謝しかありません。渡さんは僕のすべてだったというか……。父であり、兄であり、人生の師でもありました。もしも来世というものがあれば、再び渡哲也という人の舎弟になりたいと思っています。

今の自分があるのも渡さんのおかげです。初めて会ったときのこと、鮮明に覚えています。1979年、当時僕は29歳でした。その日は東京・神宮外苑の聖徳記念絵画館で、僕にとって初のドラマ出演となる『西部警察』の記者会見が行われることになっていました。

その前に会いたいと渡さんが言っておられるということで、僕は約束の時間より少し早く、指定された秩父宮ラグビー場近くの喫茶店へ向かったのです。ところが渡さんはすでに到着していた。そればかりか僕の姿を見るなりパッと立ち上がって、「舘君ですね? 渡です」と握手を求めて手を差し伸べてくれました。

それまで僕は東映で映画の撮影に臨んでいたのですが、当時の東映の俳優さんって……中には挨拶に行ってもソファに寝転んだまま「おぅ、頑張れや」みたいな感じの人もいました。僕はそういうものだと思っていたので、渡さんと会って、こんなに紳士的なスターがいるんだと衝撃を受けました。

「お前は笑顔がいいんだから、もっと笑えよ」


『西部警察』で僕が演じた巽(たつみ)という刑事は、番組スタートから半年後に殉職するという設定でしたが、81年に鳩村という刑事役で再出演することになります。その間に僕が自ら志願して石原プロモーションに入社したのは、渡さんに憧れていたからです。その渡さんが「お前には華がある」と言ってくださって。僕はその言葉だけを心の支えにして役者を続けてきました。

もう一つ、「お前は笑顔がいいんだから、もっと笑えよ」と忠告されたことが忘れられません。当時の僕は役者としてやっていく自信がなく、それでいて世の中を斜めに見て「どうせ俺なんか」と不貞腐れていたのです。せめてもの抵抗として、あるいは弱さを隠すための手段として、強面を貫いていた。でも渡さんは何もかもお見通しだったのでしょう。「もっと大人になれよ」と諭された気がして、ハッとしましたね。

渡さんが僕に遺してくれたのは形のない形見。俳優としてのたたずまいや、男として、人としての正しき心の有りようといったことです。僕は、渡さんを通して人生を見てきたから、自分は役者街道を、もっといえば人生を、ちゃんと歩んでくることができたのだと確信しています。

完璧な家族なんてどこにも存在しない


——人は運命的に縁の濃い人にめぐり合い、心の家族になっていく——舘さんが渡さんとの関係性を重ね、じっくりと取り組んだ映画『ヤクザと家族 The Family』が公開された。舘さんが演じるのはヤクザの親分、柴咲組組長・柴咲博だ。少年期の不遇な家庭環境からグレていた、綾野剛さん演じるところの主人公・山本賢治は、柴咲から手を差し伸べられたことで居場所を見つけ、やがて二人は父子の契りを結ぶ。ヤクザという存在を家族の視点で描き、社会に一石を投じる骨太なヒューマンストーリーである。

脚本を読んで、是非やりたいと思いました。僕は常々、自分のところにその役が来るのには意味があるはずだと考えています。それでいえば今回は、きっと「舘ひろしは石原軍団を通して男の世界を熟知している」という説得力のようなものを期待されているのかな、と。

もちろん石原プロはヤクザ組織ではないけれど、縦社会であるという点において共通しています。山本に手を差し伸べる柴咲は、僕にとっての渡さんだったわけで……。男が男に惚れる瞬間とか、裏切りのない世界とか、共感できる部分がたくさんありました。

柴咲は穏やかで、みなさんが思い描くヤクザの親分とは違うかもしれません。でも真に怖い人はやたらと他者を威嚇したり、恫喝したりしない。そう考えて役作りをしていきました。

一度だけ、敵対関係にある組の頭を相手にドスをきかせて見得を切る場面があるのですが、僕は柴咲が牙をむいて本性を見せるそのシーンにかけました。そこでヤクザを見せなかったら、ただの優しいオジサンで終わっちゃうじゃない?(笑)

柴咲には家族はいないという設定です。といって、だから孤独なんだと解釈するのは短絡的だと思います。だって、家族っていいものだとは限らない。むしろいびつなのが普通じゃない? なのにファミリーカーのコマーシャルに出てくるような、完璧な家族を求めるから苦しくなるんですよ。

僕はシェル・シルヴァスタインという人の書いた『ぼくを探しに』という童話が大好きで。少し欠けた円形の「ぼく」は自分の欠けた部分を求めて旅に出るのだけれど、完璧な円になったらコロコロ転がってしまうわけで、欠けた部分があるからいいのだ、と気づくという物語。

『ヤクザと家族』という映画を通じて僕が個人的に感じ取っていただきたいのも、完璧な家族なんていないということ。なにしろ「家族って何なんだろう?」と思わずにはいられない、本作はそういう力のある作品に仕上がっていると思います。

石原プロって伝統的に大根役者が多い?


綾野剛君は素晴らしい俳優さんで、演技力、表現力もさることながら、集中力が凄いんです。一方、僕はボーッとしてるタイプ。彼にリードしてもらう形で撮影に臨んだという感じでした。綾野君がピリッとしてるので、僕もピリッとしなくちゃ、みたいな。

実は僕、渡さんから演技力を磨けと言われたことがなくて。「ひろし、お前、最近芝居が上達したな。ダメだ」と言われたことならありますけどね。石原さんも渡さんも、もちろん僕も含め、石原プロって伝統的に大根役者が多いじゃないですか(笑)。

でもそれでいいと。役者にとって最も大切なのは存在感だという大前提のもと、芝居のうまい人ならほかにもいくらでもいるのだから、小芝居をしても彼らにはかなわない。ならば自分らしくやれという教えだと思います。

——言葉とは裏腹に、舘さんは、18年に映画『終わった人』で第42回モントリオール世界映画祭最優秀男優賞を受賞。続いて20年には旭日小綬章を受章した。

ビックリしているというのが本当のところなんです。ただ、ドラマも映画も共同作業なので、賞をいただけたのは周囲のみなさんのおかげだと感謝しています。

あとは気合で勝負ですね。現実から目をそらさず、毎日、鏡で全身を眺めることが大事だと思う。身体もそうだけど、心の中もね。自分に嘘をついたり、自分の心を誤魔化したりしないことです。そうすれば、いつまでも輝いていられるんじゃないかなって、僕はそう信じてます。

婦人公論.jp

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