小泉今日子「昨年末に母を見送って。母の尊厳を守りたい一心で、在宅介護で姉と共に看取りを。母の住んでいた家を、みんなが集まれる場所にしたい」【2023編集部セレクション】

2024年5月22日(水)7時0分 婦人公論.jp


「これからはすべての責任を自分で背負って、今まで見えなかった景色を一通り見てやろう。自由を思う存分味わってから死のう、と」(撮影:岡本隆史)

2023年に配信したヒット記事のなかから、あらためて読み直したい「編集部セレクション」をお届けします。(初公開日:2023年7月14日)。
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アイドル百花繚乱の1980年代に歌手デビューし、人気を集めた小泉今日子さん。歌手、女優としてキャリアを築く一方で、大きな転機を迎えたのは、50歳を目前に控えた頃だったといいます。(構成=篠藤ゆり 撮影=岡本隆史)

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すべての責任を自分で背負って


舞台や映像、音楽、出版など、エンターテインメント作品をプロデュースする会社「明後日」を立ち上げたのは2015年。その3年後に、デビュー以来36年間所属していた事務所から独立しました。

16歳でアイドル歌手としてデビューし、女優のお仕事もするようになって……、とくに不満があったわけではありません。ただ、組織の一員である以上、ルールには従わなくてはいけない。髪形ひとつ自分の意思では決められないんです。まぁ、私はルールを破ることもあったし、セルフプロデュースにも積極的でしたけど、自分の人生を自分では決められないという感覚は、ずっとありました。

30年以上そういう環境に身を置いていたけれど、50歳のタイミングが最後のチャンスだと思ったんです。これからはすべての責任を自分で背負って、今まで見えなかった景色を一通り見てやろう。自由を思う存分味わってから死のう、と。

また、演劇界には有名無名にかかわらず面白い人がいっぱいいます。彼らがチャレンジしたい時にプロデューサーとして力になりたい、という気持ちもありました。「こんなに面白い人がいるんだよー」って、みんなに言いたいんだと思います。

この8年で、もちろん失敗もたくさんしたし、それはもう、たくさん授業料を払いましたよ(笑)。私は高校1年の時に学校を中退して、ずーっと働いてきたので、今頃授業料を払っている感じですね。でも、なんとかなるさと楽観的に考えているんです。なにより、自分らしく生きているという実感があって幸せです。

傷ついた時支えてくれたのは


会社を立ち上げる前の10年間は、『読売新聞』の読書委員として書評を書いていました。もともと本を読むのが好きで、テレビ局の楽屋や移動の車中ではいつも本を読んでいたけれど、それほど多読というわけではなくて。読書委員を務めていたおかげで、たくさんの本に出会えました。

2011年、読売新聞の担当の方が、「どうしても小泉さんに読んでほしい」と、大島満寿美さんの小説『ピエタ』を勧めてくれました。読み始めたら、止まらなくて……。

小説の舞台は18世紀のヴェネツィア。ヴァイオリン協奏曲「四季」で有名な音楽家のヴィヴァルディは、孤児を養育するピエタ慈善院で子どもたちに音楽を教えていました。時がたち、かつての教え子の一人で現在は院の事務方をしているエミーリアのもとに、ヴィヴァルディの訃報がもたらされ——そこから物語が動き始めます。

エミーリアもピエタで育った孤児なのですが、ある貴族の女性から「昔、ヴィヴァルディ先生の楽譜の裏に大切な言葉を書いた。その楽譜を探してほしい」と頼まれるんです。そして、運命に導かれるように、高級娼婦やヴィヴァルディの妹などさまざまな人と出会う。そこで生まれる、身分を超えたシスターフッドが本当にすばらしくて……ささやかな幸せを探し続ける彼女たちのけなげさに感動し、涙があふれてしまいました。

書評を書いた当時、ちょうど私は主人公と同じ40代半ば。私も彼女のように、「本当はあの時、傷ついた。心にトゲが刺さったままだ。でも、もう大人の私は痛い痛いと言ってはいられないから、気づかないふりをして前に進まなくちゃ」という感覚がありました。

それでも負けなかったし、ぶれなかったのは、自分がどういう人間かってわかっていたからかなぁ。自分が自分であることを証明するものは、記憶しかなくて、だから記憶に支えられたし、子どもの頃に素敵だなと思ったものにすごく助けられた。この本を読み終わり、改めてそんなことを考えました。

仲間総動員でなんとかしよう


こういう物語があることを、もっとたくさんの人に知らせたい。そのために私たち俳優ができるのは、それを立体的にすることです。映像では無理。イタリア人になれませんから(笑)。でも、舞台なら可能です。どの時代の、誰にでも、人間ではない概念のような存在にだってなれるのが舞台。「あぁ、舞台って自由だよなー」「いつかこの物語を舞台にしてみたい」と、読みながら考えていました。

そんなわけで会社を設立して間もない頃から、この作品の舞台化のために動いていました。実際、ある脚本家の方と具体的に話を進めていたのですが、残念なことにその方がご病気で他界されて。その後、劇作家で演出家でもあるペヤンヌマキさんが引き受けてくださり、満を持して2020年に上演することが決定。ところが今度はコロナで延期せざるをえなくなったのです。

すでに劇場を3週間おさえていたので、中止すればキャンセル料が発生します。2ヵ月ほどスケジュールを空けてくださっていた役者さんたちに、補償金も払いたい。「どうせ赤字になるなら、気持ちよく」と腹をくくりました。劇場はキャンセルせず、演劇、朗読、音楽などを日替わりで届ける企画に切り替え、『ピエタ』も朗読劇として上演しました。

社員3人しかいないので、最後はみんなボロボロ(笑)。でも私は、そういう時に止まっていたくないタイプだったんですね。劇場もスタッフも収入を絶たれているし、俳優やクリエイターたちは発表の場を失っている。だったら、仲間総動員でなんとかしよう、と。こういう時こそ「利他主義」でありたい。仲間ってすばらしいなと思いながら、3週間駆け抜けました。

「利他主義」については、フランスの経済学者で思想家のジャック・アタリ氏を取り上げたテレビ番組で知りました。その後、彼の本も読んで、「利他主義」の世界っていいなぁ、私もそうありたいなと思ったんです。

まぁ、補償金を払って中止にしていたら、もっと小さな赤字で済んだんですけど(笑)。でも、なんか気持ちよかったです。私は窮地に追い込まれると、落ち込んだりせずに奮い立つんだなぁ、と気づきました。


「私って、自分がやりたくてやっていると思われがちだけど、実はけっこう受動的。基本は、猫と一緒にソファに寝転がって、映画やドラマを観てダラダラ過ごしたい人間です」

どうせ働くなら楽しく、だれかの楽しみのために


『ピエタ』の舞台化は、きっといつかできるだろうと信じていました。だからなかなか辿り着けなくても、ネガティブな気持ちにはなりませんでした。そしてようやく今年の夏、実現することに。

結果論ですが、今がベストタイミングだと思います。以前は流して読んでいたところが、しっかりと目に入ってきましたし。作品自体が、時期を選んでくれたのではないか、という気さえします。

高級娼婦のクラウディアが、「ヴェネツィアの貴族は政治をしなくなり、お金儲けばかり考える商人になってしまった」と嘆くくだりがあります。「それ、まさに今、起きていることと地続きじゃん」と(笑)。ペヤンヌさんとは「今と繋げたい」とずっと話していたけれど、3年前とはまた違う解釈が生まれている実感があります。

私が演じるのはエミーリア。書評を書いた頃はクラウディアを演じてみたいと思っていましたが、どの役が自分にふさわしいかをよく考えたら、事務方を務める彼女でした。私が『ピエタ』舞台化のためにくねくね歩いてきた道と、エミーリアが歩く道が似ている気がしたんです。

根が受け身という点も、共通していると思いました。私って、自分がやりたくてやっていると思われがちだけど、実はけっこう受動的。基本は、猫と一緒にソファに寝転がって、映画やドラマを観てダラダラ過ごしたい人間です。ただ、どうせ働くなら楽しくやりたいし、誰かが楽しんでくれることのために力を注ぎたいんです。

母が住んでいた家をみんなが集まれる場所に


『ピエタ』の公演が無事終わり、一段落したら、家族や親戚と過ごす時間も大切にしたいと思っています。実は昨年末、母を見送りました。80代半ばでした。

腰椎を圧迫骨折して救急車で運ばれたんですが、その時の病院の対応が納得のいくものではなくて……。姉が怒りで震えているのを見て、「ここは私が」と思い、担当医とお話しして母を退院させました。それからしばらくは、一緒に外出もできたのですが、今度は脳梗塞で倒れ、また同じ病院に運ばれて……。

母は以前、上あごの腫瘍切除の手術を受けており、特殊な入れ歯を使っていました。でもそれを外されてしまい、食べることも話すこともできなくなってしまって。姉が何度も「つけてあげてください」とお願いしても、聞いてもらえませんでした。2週間何も口にできず、栄養は点滴のみ。

母の尊厳を守りたい一心で、姉と相談し、退院させて実家で看病することにしました。在宅医療の先生を探して来てもらいましたが、2週間も口を動かさなかったせいで、嚥下ができなくなっていて。本人が胃ろうや延命措置はしてほしくないというので、点滴で栄養を補給しながら、見守り続けました。

退院してから見送るまでの約1ヵ月間、毎日、叔母や姪っ子、姪の子どもたちなど、たくさんの人が母に会いに来てくれて。私もその間は仕事をほとんど入れず、姉と交替で母に付き添い、夜は母と一緒に過ごしました。

姉もみんなも、朗らかに、献身的に介護をしてくれる。その様子を見ながら、この人たちに何かあったら、私がお世話したいなぁと感じたんです。母が住んでいた家は、今、誰も住んでいないので、落ち着いたらちょっと手を入れてみんなが集まれる場所にしたい。私も、いつでも帰れるようにしたいです。

私はひとり者なので、最後はどこで過ごすかということも考えています。実家のある神奈川県の厚木で仕事をするのもいいかも、とか——。劇場やライブハウスもあるから、やろうと思ったらいろいろなことができるはず。都心でなきゃいけない理由はありません。

姉の嫁ぎ先が実家の近所の元兼業農家で、使わなくなった畑を家庭菜園にして野菜を作っています。庭に舞い込んできたニホンミツバチを義兄が捕獲して、養蜂に挑戦したりして。そのハチミツが、おいしいんです! この先起きると言われている食糧危機に備えて、みんなで自給自足しながら暮らせるコミューンみたいなものを作ったら楽しいんじゃないかな。そういう村が全国にたくさんあって、ゆる〜く繋がったら、面白そう。

ブックカフェもやってみたいし、ブレックファーストつきのトークショーとかも楽しそう。私も若い頃はバカみたいに夜中まで飲み歩いたりしていたけれど、そういうこともなくなり、最近はやたら早起きに。「掃除終わっても、まだ9時だよ」みたいな感じで、午前中やることないんですよ(笑)。シニア世代が時間を有効に使えるエンターテインメントはなんだろう、などと想像しています。

そんなふうにバラバラに散らばった妄想はたくさんあるけれど、それもいつか形になるんじゃないかな。思いついたことは忘れないタイプなので、きっとベストタイミングが来た時、引き出しからいろいろなものをパッと出せると思います。

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