「撮ってよかった」乳がんで左胸全摘も翌年に再発、藤原宏美の迷いを払拭したセミヌード撮影

2024年5月25日(土)16時0分 週刊女性PRIME

現在も受けている3か月ごとの定期検診。次回の検診で服薬が終われば検診も半年ごとに(写真/本人提供)

写真を拡大



 タレントとして関西を中心に活躍する藤原宏美さん。6年前に乳がんが見つかり、がん細胞が乳管や小葉内にとどまっている0期の“非浸潤がん”だったものの、大事をとって左胸を全摘出することとなった。しかし翌年にはまさかの再発。「経験が人を強くするって本当ですね」と前向きに振り返る。

選択肢は「全摘出」「全摘出+再建」「部分切除+放射線治療」


「全摘しようと決意するまで、ものすごく悩みました。これまでの人生で一番悩んだんじゃないかなって思います」

 そう話すのは、関西を中心に活動するタレントの藤原宏美さん(47)。6年前の冬、ステージ0の乳がんを患い、左胸を全摘出。その模様は密着番組として関西テレビで放送され、大きな反響を呼んだ。

「周りは本当にびっくりしていましたね。私自身その反響に驚いたくらい。でもそこでいろいろな方が声をかけてくださって、一人じゃないんだって思うようになりました」

 がんが見つかったきっかけは左胸に感じた異変で、自らクリニックを受診したとき。

「たまたま夫の肘が胸にあたったとき、かつてない痛みがあって。先生は乳がんは痛みがないとは言うけれど……」

 当時は乳がんでこの世を去った小林麻央さんのニュースが世間の注目を集め、乳がんに対する関心が高まっていたころだった。

 クリニックを訪れたのも、念のため、不安を払拭しようという思いがあったという。しかし、エコー検査にマンモグラフィー、MRI、生検と検査は進み、ついに「0期の非浸潤がん」と診断される。

「先生にそう言われたものの、“0期、非浸潤”という言葉自体が初めてで、すベてにとまどって。0という言葉の響きに、乳がんの前段階なのかな、しばらく気をつけていればいいのかな、と解釈していました」

 しかし、告知と同時に、入院、手術のスケジュールが告げられる。

「こちらはまだ気持ちの整理が全然できていないし、いろいろなことが追いついていかない状態で……」



 とはいえ戸惑ってばかりもいられない。医師から提案された選択肢は、「全摘出」「全摘出+再建」「部分切除+放射線治療」の3つ。女性にとってはどれもつらい選択だ。

「すごく悩んで、部分切除に決めました。でも先生にそう伝えに行ったら、『もう一度考えてきてください』と帰されて。先生がその3つの選択肢を出したにもかかわらず、です。先生いわく『部分切除だと形を保つ自信が僕にはない』という。提案したのに“自信がない”と言われても、ですよね。これはもう全摘しかないということなんだと受け止めました」

 がん細胞が乳管の外に出ている浸潤がんに対し、彼女の場合は非浸潤がん。外に広がる危険は少ないが、しこり自体が大きく、4×4センチに達していた。





 残された選択肢は「全摘出」か「全摘出+再建」の2つ。すでに手術日は決められている。

「知人にやはり乳がんの全摘経験がある女性がいて、相談に乗ってもらったんです。するといきなりトイレに連れていかれて、脱いで胸を見せられて。私自身そのときまで知らなかったけれど、彼女は両胸を全摘していた。それでも彼女は『命と比べたら大したことない。実際に取っても大丈夫よ!』と言う。その元気な姿に、カッコいいな、生きていくってこういうことかと……」

今の自身の姿を残そうとセミヌード撮影

 力強い言葉に背中を押され、まずは全摘を決意。医師には同時に再建手術もすすめられたが、「再建は80歳になってからでもできる。今はとりあえず自然体でいよう」と、手術に向け気持ちを切り替えていった。

 今の自身の姿を残そうと、手術の1週間前、写真撮影に臨んだ。プロのカメラマンとヘアメイクのもと、セミヌードをカメラに収めた。

「できあがった写真を見て、素直に“きれいだな、撮ってよかったな”って思いました。そこからはもう何の迷いもなく、先生にすべてお任せしよう、と思うようになりました」

 当初の予定どおり、告知翌月手術を決行。入院中はやはりつらい時期もあった。決意したとはいえ、心境は複雑だ。

「手術直後は怖くて見ることができませんでした。経過観察で先生には毎日見せるけど、私自身はどうしても無理だった。3日目にようやく見たけれど……。もう現実を受け止めるしかないですよね」

 入院は1週間で、レギュラー番組も休むことなく、早々に現場復帰を叶えた。全摘の半月後には温泉に出かけたというから驚かされる。

「早く日常に戻りたいという思いがあったので。最初は怖かったけれど、誰も私の裸なんて見てないだろうと開き直っていましたね。先生にも珍しいねって言われました(笑)」

 と、あくまで前向きだ。

 しかし、翌年、乳がんが再発。浸潤がんの局所再発との診断だった。全摘後に再発するケースは珍しく、1%の確率とされている。このとき初めてセカンドオピニオンを受けることを決めた。

「先生に不信感を持っていたわけではないけれど、一人の先生の意見だけでいいのかなと。先生に“セカンドオピニオンを受けてもいいですか”と正直に言ったら、先生も“ぜひ受けてください”とすすめてくださいました。最終的に主治医とセカンドオピニオンの先生の意見がほぼ一緒で、そこで納得できました」

 2019年春、2度目の手術。部分麻酔で、意識がある中での手術だった。

「なので全部聞こえていて。“メス”って本当に言うんだ、なんて思ってましたね(笑)」

 手術は無事成功し、その日のうちに帰宅を許された。当時の心境をこう話す。

「1回目の手術は初めてのことだらけでしんどかったけど、そのときは前年の全摘の経験があったので。そこを乗り越えたらあとはもうへっちゃらというか(笑)。経験が人を強くするって本当ですね」





 最初の非浸潤がんと違い、2度目のがんは浸潤がんで、術後も放射線治療と服薬が必要となった。放射線治療は25日間で、毎日の通院を強いられた。さらにホルモン療法をスタート。服用は5年間続き、「それも今年の7月で終わるんです!」とホッと胸をなでおろす。

乳がんは唯一自分自身で見つけることのできるがん

 がんを経験し、食生活も大きく変わった。びわ茶にハーブティー、オリーブオイルなど、がんによいとされる食材を積極的に取り入れ、同時に栄養バランスに配慮した食事で健康管理を行っている。

「先生が言うには、私のがんは7年ほど前にでき始めていたものだそうです。振り返れば、当時はストレスを抱えていたり、甘い物をとりすぎていたりと、心当たりがあって。身体のために、食事や運動、ストレスをためないよう気をつけたりと、基本的なことを大切にするようになりました」

 乳がんを公表し、周囲の声が闘病の大きな励みになった。同時にがん患者の多さに改めて気づかされたという。

「入院したとき、当時のマネージャーがお見舞いに来てくれて、そのとき彼女のお母様が乳がんで亡くなっていたことを初めて知りました。ほかにも自分のお姉さんが乳がんだったとか、家族がそうなんだとか、打ち明けてくれる方がたくさんいて……」

 乳がんにかかる割合は日本女性のがんの中でもトップ。さらに罹患率は年々増加し、決して人ごとではない。

「自分を含め、大切な人がなる可能性は大きい。けれど乳がんは唯一自分自身で見つけることのできるがんでもあって。定期検診だけではなく、セルフチェックもしてもらえたら。そうすることで、より早く見つけることができるし、早く見つかればそのぶん選択肢も多くなる。自分の経験を通して、みなさんにそう伝えられたらと思っています」

取材・文/小野寺悦子 

ふじわら・ひろみ 1976年生まれ、奈良県出身。1999年宝くじ「幸運の女神」を務め、宝くじ関連のテレビ、CMやラジオなどに多数出演。骨盤をバランスよく整えるストレッチ、和の所作の魅力を生かした“お能でヨガ”を関西から発信している。

週刊女性PRIME

「がん」をもっと詳しく

「がん」のニュース

「がん」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ