間寛平 20代で多額の借金、39歳で東京進出「明石家さんまちゃんに大変お世話になって、借金を返せるようになったんですよ」
2024年6月15日(土)6時50分 TOKYO FM+
放送作家・脚本家の小山薫堂とフリーアナウンサーの宇賀なつみがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「日本郵便 SUNDAY’S POST」(毎週日曜15:00〜15:50)。6月9日(日)の放送は、間寛平(はざま・かんぺい)さんをゲストに迎えて、お届けしました。
◆芸歴54年…とても苦しかった芸人人生
宇賀から紹介を受けるや否や、寛平さんは「アヘアヘウヒハ」と持ちギャグを披露。芸歴54年の御年74歳で、今なお芸人として現役を貫く傍ら、2022年2月には吉本新喜劇初のゼネラルマネージャー(GM)に就任しています。
そんな寛平さんがお笑い芸人になったきっかけは、さまざまな偶然が重なってのこと。19歳ぐらいの頃、車に乗っていたときにぶつけられて入院することに。同級生が病室に見舞いに来てくれたときに、たまたまラジオを聴いていた寛平さんが「俺、こんなの(お笑い)やってみたいなぁ」と何気なしにつぶやいたところ、その同級生が当時アルバイトをしていた喫茶店のママが吉本興業の社員と知り合いだったことから、後に紹介されて、あれよあれよとお笑いの世界へ足を踏み入れることになったといいます。
元々、お笑い芸人を志していたわけではなかったため、ネタも何もなかったという寛平さん。そのため、所属したばかりの頃は、もっぱら出番の終わった先輩芸人に食事を運んだり、着替えのサポートや靴磨きをしたり、身の回りの世話ばかりで、半年が経過した頃には「嫌で、もう辞めようかなぁ……」という思いが頭をちらほらし始めていたと振り返ります。
そんなとき、「博多淡海(はかた・たんかい)さんっていう九州ですごい人がいて、その人の息子さんが入ってきたんです。木村進(きむら・すすむ)いうてね。その息子さんと一緒に頑張ってきたわけです。『新喜劇を俺らで盛り上げよう!』言うて」と、退所を踏みとどまった理由が木村さんとの出会いだったことを明かします。
その当時といえば「先輩には、岡八郎(おか・はちろう)さんとか、花紀京(はなき・きょう)さんとかすごい方がいてたんですよ。色物さんでは、“やすし・きよし(横山やすし・西川きよし)”と人気がすごかったんですよ。
だから、その人ら(の出番)が終わった後に新喜劇の舞台が始まるんですよ。もう、しんどいわけですよ。でも入ったお客さんを何とか喜ばせなあかん。頑張らなあかん。木村進に『2人で頑張ろう!』って言われて、そこからやってきたんですよ」と回顧。
その後、寛平さん&木村さんの頑張りが認められ、23歳の頃に2人でダブル座長に。そして、24歳のときには寛平さんが若くして座長に就任します。
その当時、いろいろな人の保証人になり「歩くハンコ屋」と呼ばれていたエピソードについても言及。座長といえど、周りは先輩芸人ばかりで「頼まれるから保証人になると、先輩が逃げて行くわけです。返すのに僕が借りて……となっていって。今度は僕が一発当てよう思って、(自主製作で)アメマバッジに手を出して、(それが売れずに借金が)また膨らんで……冷静に考えたら、ほんまにアホちゃうか思うわ」とポツリ。
20代にして多額の借金を背負い、「にっちもさっちも行けへんようになって、でもそんなこともありながらね、僕も39のときに東京に出てきたわけですよ。そこから何とか頑張らなあかん思って。(明石家)さんまちゃんに大変お世話になって、借金を返せるようになったんですよ」と苦しかった時代を振り返ります。
借金をようやく返し終わったと思った矢先、寛平さんは阪神・淡路大震災で被災。自宅が崩壊してしまったそうで「大変でしたけどね。いろんなことあるでしょ……」とつぶやく場面も。
寛平さんは「昔、フェリーで淡路島を渡るときにね、(娘の)一番上のお姉ちゃんが4歳か5歳のときに、一緒に手を握って甲板に立っているときに『こいつ放り込もうかな』って思ったもんね。そのときに、嫁がパチっと撮った写真があるんですけど、『このときが一番つらかったんや』いうて、娘に話をしていてね。娘がその写真を家宝のように持っていますわ、ずっと大事に。本当にそのときがどん底やったね。“このままではあかんな”と思いながらやっていましたね」としみじみと語ります。
そんなつらい状況でも何とか乗り越えられたのは、「やっぱり“家族を守るのは俺しかいてないわ”と思って。“とにかく頑張らなあかん”とやっていましたね。自分のなかで嘘はついていないし、人も裏切っていない。騙したこともないし、“絶対に神様は見てくれているやろう”と思って、毎日僕の頭のうえにいてる神様と話をしていましたね。『俺、何悪いことした?』とか言いながら」と当時の心境について赤裸々に話してくれました。
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6月9日放送分より(radiko.jpのタイムフリー)
聴取期限 2024年6月17日(月) AM 4:59 まで
※放送エリア外の方は、プレミアム会員の登録でご利用いただけます。
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<番組概要>
番組名:日本郵便 SUNDAY’S POST
放送日時:毎週日曜 15:00〜15:50
パーソナリティ:小山薫堂、宇賀なつみ
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/post/
◆芸歴54年…とても苦しかった芸人人生
宇賀から紹介を受けるや否や、寛平さんは「アヘアヘウヒハ」と持ちギャグを披露。芸歴54年の御年74歳で、今なお芸人として現役を貫く傍ら、2022年2月には吉本新喜劇初のゼネラルマネージャー(GM)に就任しています。
そんな寛平さんがお笑い芸人になったきっかけは、さまざまな偶然が重なってのこと。19歳ぐらいの頃、車に乗っていたときにぶつけられて入院することに。同級生が病室に見舞いに来てくれたときに、たまたまラジオを聴いていた寛平さんが「俺、こんなの(お笑い)やってみたいなぁ」と何気なしにつぶやいたところ、その同級生が当時アルバイトをしていた喫茶店のママが吉本興業の社員と知り合いだったことから、後に紹介されて、あれよあれよとお笑いの世界へ足を踏み入れることになったといいます。
元々、お笑い芸人を志していたわけではなかったため、ネタも何もなかったという寛平さん。そのため、所属したばかりの頃は、もっぱら出番の終わった先輩芸人に食事を運んだり、着替えのサポートや靴磨きをしたり、身の回りの世話ばかりで、半年が経過した頃には「嫌で、もう辞めようかなぁ……」という思いが頭をちらほらし始めていたと振り返ります。
そんなとき、「博多淡海(はかた・たんかい)さんっていう九州ですごい人がいて、その人の息子さんが入ってきたんです。木村進(きむら・すすむ)いうてね。その息子さんと一緒に頑張ってきたわけです。『新喜劇を俺らで盛り上げよう!』言うて」と、退所を踏みとどまった理由が木村さんとの出会いだったことを明かします。
その当時といえば「先輩には、岡八郎(おか・はちろう)さんとか、花紀京(はなき・きょう)さんとかすごい方がいてたんですよ。色物さんでは、“やすし・きよし(横山やすし・西川きよし)”と人気がすごかったんですよ。
だから、その人ら(の出番)が終わった後に新喜劇の舞台が始まるんですよ。もう、しんどいわけですよ。でも入ったお客さんを何とか喜ばせなあかん。頑張らなあかん。木村進に『2人で頑張ろう!』って言われて、そこからやってきたんですよ」と回顧。
その後、寛平さん&木村さんの頑張りが認められ、23歳の頃に2人でダブル座長に。そして、24歳のときには寛平さんが若くして座長に就任します。
その当時、いろいろな人の保証人になり「歩くハンコ屋」と呼ばれていたエピソードについても言及。座長といえど、周りは先輩芸人ばかりで「頼まれるから保証人になると、先輩が逃げて行くわけです。返すのに僕が借りて……となっていって。今度は僕が一発当てよう思って、(自主製作で)アメマバッジに手を出して、(それが売れずに借金が)また膨らんで……冷静に考えたら、ほんまにアホちゃうか思うわ」とポツリ。
20代にして多額の借金を背負い、「にっちもさっちも行けへんようになって、でもそんなこともありながらね、僕も39のときに東京に出てきたわけですよ。そこから何とか頑張らなあかん思って。(明石家)さんまちゃんに大変お世話になって、借金を返せるようになったんですよ」と苦しかった時代を振り返ります。
借金をようやく返し終わったと思った矢先、寛平さんは阪神・淡路大震災で被災。自宅が崩壊してしまったそうで「大変でしたけどね。いろんなことあるでしょ……」とつぶやく場面も。
寛平さんは「昔、フェリーで淡路島を渡るときにね、(娘の)一番上のお姉ちゃんが4歳か5歳のときに、一緒に手を握って甲板に立っているときに『こいつ放り込もうかな』って思ったもんね。そのときに、嫁がパチっと撮った写真があるんですけど、『このときが一番つらかったんや』いうて、娘に話をしていてね。娘がその写真を家宝のように持っていますわ、ずっと大事に。本当にそのときがどん底やったね。“このままではあかんな”と思いながらやっていましたね」としみじみと語ります。
そんなつらい状況でも何とか乗り越えられたのは、「やっぱり“家族を守るのは俺しかいてないわ”と思って。“とにかく頑張らなあかん”とやっていましたね。自分のなかで嘘はついていないし、人も裏切っていない。騙したこともないし、“絶対に神様は見てくれているやろう”と思って、毎日僕の頭のうえにいてる神様と話をしていましたね。『俺、何悪いことした?』とか言いながら」と当時の心境について赤裸々に話してくれました。
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6月9日放送分より(radiko.jpのタイムフリー)
聴取期限 2024年6月17日(月) AM 4:59 まで
※放送エリア外の方は、プレミアム会員の登録でご利用いただけます。
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<番組概要>
番組名:日本郵便 SUNDAY’S POST
放送日時:毎週日曜 15:00〜15:50
パーソナリティ:小山薫堂、宇賀なつみ
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/post/