「松本人志の才能が鳴り響いていた」「ウッチャンは映画オタクだから…」放送作家が振り返る90年代コント番組の“最後のきらめき”

2024年6月28日(金)6時0分 ダイヤモンドオンライン

「松本人志の才能が鳴り響いていた」「ウッチャンは映画オタクだから…」放送作家が振り返る90年代コント番組の“最後のきらめき”

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Photo:Vittorio Zunino Celotto, VCG/gettyimages

今や地上波で見かける機会が減ってしまったコント番組。お笑い芸人がネタ番組で披露するコントは活況である一方、なぜコント番組そのものは姿を消してしまったのか。萩本欽一、ザ・ドリフターズ、ウッチャンナンチャンダウンタウンなどの番組でコントを量産した、放送作家の清水東氏にその事情を語ってもらった。後編となる本記事では、コント番組の終焉とコント作家の新たな活路について話を聞いた(一部、敬称略)。(コピーライター 橋本未来)

ウッチャンナンチャンとダウンタウン新たな才能に圧倒される

 数々の名物コント番組に関わってきた清水東氏が、「新たな時代の到来を感じた」と語ったのが、1988年にスタートしたコント番組『夢で逢えたら』(フジテレビ/1988〜91年)だった。若者から絶大な人気を誇っていたウッチャンナンチャンとダウンタウンを中心としたこの番組で、清水氏は新たな才能に圧倒される。

「松本(人志)の才能が周りに鳴り響いていましたね。当時はまだ、大阪から東京に収録に来ていた頃だから、彼らがどんな芸人なのかもはっきりとはわからない。でも、僕らが書いた台本を何倍にも膨らませて面白くしちゃうんです。僕が関わった中でベストコントを選ぶとしたら、『いまどき下町物語』という長尺のコントかな。警察官という設定しか書いてないのに、松本は顔に不思議なメイクをして、奇想天外なキャラにしちゃう。番組の名物キャラになりましたね」

 ウッチャンナンチャンも同様に、自らアイデアを出し、コント台本をより面白くしようとするタイプだったという。

「ウッチャンは映画オタクだから、映画のパロディみたいなコントを自分で書いて持ってくるんですよ。もう作家みたいな感じで。ナンチャンはボケっとしてるんだけど、反射神経というかキャラを演じる素質みたいなものがある。ウンナンと関わった中でベストコントを選ぶなら、別の番組(『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』1991年〜93年)でやった『ナン魔くん』というコーナーです。水木しげるさんの『悪魔くん』のパロディで、ちゃんとナンチャンが“ナン魔くん”というキャラを自分で考えて面白くするんですよ」

 また、『夢で逢えたら』をはじめ、優れたコント番組には必ず“コントの鬼”のような制作者が参加していたと話す。この番組では、通称“タワーさん”と呼ばれる人がコントづくりの陣頭指揮に当たっていた。

「その人は、身長が2メートルぐらいあるから“タワーさん”と呼ばれていたんですが、めちゃくちゃコントに厳しいんですよ。ダウンタウンのブレーンで当時は若手だった高須(光聖)さんとか、ウッチャンのいとこの内村宏幸さんなんかは、朝まで残ってコントを書かされるんですよ。コント塾みたいな感じ。僕は、多少のキャリアがあったから少し早く帰れたんですけどね(笑)」

 この番組は、2組を中心とした若いパワーやコント作家たちの奮闘もあり、深夜番組として異例の高視聴率を叩き出し、今も語り継がれる名番組となった。

 ところが、90年代半ばに差し掛かる頃、清水氏はコント番組の終焉を如実に感じ始めたという。


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